杏花達が友情を深めている頃、琅雲と青鸞は夜湖に来ていた。
「雷宗主はあっさりしていましたね」
「あの方は富豪特有の余裕がありますからね。それに、善人です」
失われた神器と、それが呪物となり現代まで行方がわかっていないという危機的状況。
それを話すには絶対的な信頼関係が必要である。
そこで、二人はまず天宮閣富豪榜第一位の紅葉山荘へ向かい、雷 梓睿と話をしたのだ。
雷氏はかつて国師を輩出したこともある名門で、今でこそ朝廷と距離を置いているが、その政治手腕は有能と法霊武林で有名だ。
ただ、先先代宗主の時代に邪術の研究をしていたという噂があり、当時まだ幼かった梓睿は苦労して育った。
それが故に、同じ轍は踏まぬと誓い、身を正して生きてきたのだ。
梓睿は若き宗主の二人に「協力は惜しみません。全財産、そして現在の地位を失おうとも、共に戦います」と言ってくれた。
二人は梓睿に七大法霊武門を含む法霊武門百家の監視をお願いした。
飛び抜けた財力のある紅葉山荘はたくさんの武門から頼られている。
異心ある武門や、おかしな動きをする武門があれば注意して欲しいと依頼したのだ。
「静氏は法霊武林において最も歴史のある武門。それ故、判断に時間を要するかもしれませんね」
「琅雲の言う通り、難しいでしょう。敵対こそしないものの、関わることを望まれない可能性もあります」
二人は顔を見合わせ、ため息をついた。
「それにしても、いつ見ても立派な城郭都市ですね」
夜湖 静氏の本拠地、月影城。
琅雲は慈雨源郷とは全く違う景色に感嘆した。
「静氏の祖先は名のある軍師ですからね。城の設計もお手のものだったのでしょう」
青鸞も街中を見渡しながら「美しいですね」と呟いた。
「では、行きましょう。軍師の血が流れる静氏の弁舌に負けぬよう、心して」
「そうですね。まあ、琅雲がいれば何も心配はありませんけれど」
「青鸞兄さん……」
先ほどまでの重い雰囲気はどこへ行ったのかと思うほどの朗らかな笑顔を向ける青鸞に、琅雲は苦笑した。
二人は法霊武林の者だけが辿ることのできる印の通りに進み、隠された城門へとやってきた。
門番に名乗ろうとしたその瞬間、重々しい音を立てて門が開き、静 宇津が姿を現した。
その姿は最盛期を窺わせる壮健さで、一部の隙もない。
ただ、漂う雰囲気は壮麗な霊山のように霧深く、腹の底が見えない。
「雪宗主、霖宗主。久方ぶりである」
「お久しぶりです、静宗主」
「お元気そうで何よりです」
宇津は鋭い眼光はそのままに、柔和な笑顔を浮かべ、若き宗主達を中へ招き入れた。
「天宮閣達人榜の第一位と、才子榜の第一位がこの老耄を訪ねてくるとは。法霊武林に何か問題でも?」
手入れの行き届いた城内は、飾り気はなくとも骨格が堅牢で美しい。
静謐な空気は、二人の緊張を煽った。
「法霊武林が、その問題の火種になるやもしれません」
琅雲の言葉に、宇津はふっと笑った。
「神器か」
琅雲と青鸞は驚きのあまり足が止まった。
「ご存じなのですか」
「大秦国の皇宮を設計したのは我が祖先。宝物庫の密室を造ったのも」
「しかし……」
琅雲の表情から何を言いたいかを察した宇津は、ゆっくりと頷き、話し出した。
「霖宗主はよく学んでおられるようだ。その通り。国家の機密に関わる場所を設計した者や建築に関わった者は、その秘密を漏らさぬよう、殺されるのが慣わし。しかし、我が祖先は稀代の軍師であった。目前まで迫っていた戦のために、人柱になることを免れたのだ」
二人は宇津に促され、部屋へと入った。
「だが、戦に勝利し帰還した我が祖先を待ち構えていた選択は二つ。『死』か、朝廷の力が及ばぬ場所への『逃亡』。見ての通り、逃亡を選んだ祖先は、ついてこようとする忠実な部下達を振り切り、陽の光も届かぬほど深い森で数百年を過ごした」
宇津が座り、二人も後に続く。
「我ら静氏は、大秦国のために命をかける筋合いなどない」
予想通り、話し合いは困難に思えた。
琅雲は目を瞑り、深く呼吸をしてから、口を開いた。
「静宗主、少し昔話をしましょう」
宇津は琅雲の意図を汲み取ろうと、その目をまっすぐ見つめた。
「私はそなた達が産まれる前より宗主として静氏を護ってきた。そんな私に、若き霖宗主がどのような昔話が出来ようか」
鋭い眼光。
しかし、琅雲はひるまず話し続けた。
「静宗主、白蓮という名に聞き覚えはありませんか」
宇津の眉がわずかに動いた。
「妻の名は桃花。静宗主がこのご夫婦に出会った時、彼らはまだ十代でした」
ゆっくりと息を吐き、茶器に手を伸ばしながら、宇津は頷いた。
「確か、夫の兄弟分に会うため、大秦国を遊歴中だと言っていた」
「その頃、静宗主の奥様は身重で、侍医からは体調に不安があると言われ、あなたは妊婦の身体に良いとされる薬草を探しに山へ入っていたのですよね」
宇津が目を見開き、琅雲を見つめる。
「何故それを……」
「すでに陽は落ち、辺りを照らすのは月の光だけ。あなたは忘れていました。その日、山を百鬼夜行が通ることを」
妖邪の行軍は各地を守る法霊武門によって常に監視観測されており、害をなすと判断されれば、近隣武門へ警告し、人を募り討伐へ向かうというのが古くからの決まり。
「あなたは妻と幼い子供達にかかりきりで、警告を出すことすら頭から抜け落ちていた」
宇津の手が冷たく、口元が硬くなっていく。
「百鬼夜行は目前に迫りくるものの、山には若い蓬莱の夫婦と自分だけ。彼らを逃すだけで精一杯。自分は死ぬしかない。そう思ったその時、その夫婦が叫びました。『その場から動かないでください』と」
手が震え出す。
「白蓮氏が張った結界は、大秦国で見るものとは桁違いに強固。彼が召喚した金烏と玉兎と呼ばれる従者の殺傷能力は、これまで見てきたどんな武人よりも華麗で圧倒的だった。そして桃花殿が使う色鮮やかな術の数々は春風に舞う花びらのように優雅で、畏怖の念を覚えるほどに強力だった」
宇津は目を瞑り、俯きながら当時の光景を鮮明に思い出していた。
「若き夫婦はたった二人で三百体もの妖邪を葬り、あなたとその家族、そして周辺の村々や街に住む人々を救ったのです」
琅雲は一呼吸おき、さらに話を続けた。
「戦闘が終わりほっとしたのも束の間、城の方から三人の侍従が走ってきました。息も切れ切れで、泣いている者もいた」
宇津が顔を上げる。
「奥様が破水したのです。それも、大量の血とともに」
青鸞は琅雲と宇津を交互に見た。
「それを隣で聞いていた夫婦は『私たちを信じてくださるならば、救ってみせます』と、申し出ました。あなたは藁にもすがる思いで懇願したはずです」
宇津の目に涙が浮かぶ。
「桃花殿はあなたと夫を抱えて飛ぶと、案内された通りに窓から城内に入りました。すぐに清潔な衣に着替えた夫婦は、慌てる産婆や侍女、侍医達を廊下へ出し、たった二人で新たなる戦場へと身を投じたのです。そして四時間後、元気な赤子の声と共に、笑顔であなたを手招きする奥様に会わせてくれた」
宇津はこぼれ落ちる前の涙を拭い、琅雲に鋭い視線を向けた。
「その話が神器と何の関係がある」
「そのご夫婦の娘が今、我々法霊武林や大秦国のために戦おうとしているのです」
持ち上げかけていた杯を落とし、宇津が固まった。
「あなたを救った夫婦の苗字は星。夫は蓬莱国星辰王殿下で、妻は桃薬天女様。我が国の危機を救うために、蓬莱の天皇陛下により十年前から扶桑へ移り住み、密かに探ってくださっていました。その危機がまさに今現実となりかけており、そのせいでお二人の大事な娘、杏花が、法霊武林 対 大秦国皇宮とならないように、必死で頑張ってくれているのです。我らはその想いに報いるべきなのでは?」
琅雲は青鸞と視線をあわせ頷きあうと、宇津へ向き直り、言った。
「大秦国皇宮が憎いのならばそのままで構いません。しかし、妻と子の命を救われた恩よりも、その気持ちは大きくないはずです」
宇津は大きく息を吸い、俯いた。
様々な思いや葛藤、祖先への申し開きや、未来ある孫達への愛情が、頭と心を埋め尽くしていく。
そして、琅雲と青鸞をまっすぐ見つめ、頷いた。
「私は何をすればいい。協力は惜しまぬ」
「ありがとうございます」
若き宗主二人は大きく息を吐いた。
「そんなに緊張していたのか」
「もちろんです、静宗主」
「あなたは顔が怖いですから」
「雪宗主は相変わらず率直だな」
三人はやっとのことで茶にありつくと、一気に飲み干した。
「静宗主にお願いしたいのは、欒山 霓氏の調査です」
「霓氏……。確かに、出自に不明な点は多い。養子にとったという扶光もどこから来た者なのか噂話すら入ってこないほどだ」
「静氏には特別な人脈があるとか」
緊張が解けた青鸞は微笑みながら宇津を見た。
「ふっ。よう知りおるな」
「そのお力を貸していただきたいのです」
琅雲の真剣な目に、宇津は頷いた。
「容易ではないだろうが、持てる全ての力を使い、調べてみせよう」
「感謝いたします」
その後、三人はお互いが知っている情報を交換し合い、青鸞と琅雲は門前まで宇津に見送られ帰路についた。
「そういえば、弟達は大丈夫でしょうか」
「瑞雲はしっかりしているし、菫鸞は器用だから大丈夫でしょう。しっかり杏花を……、まさか、二人とも守られているのではないでしょうか」
「杏花の方が圧倒的に強いですからね」
「弟達には頑張ってもらいましょう」
「それもそうですね」
二人は自身の弟達が杏花に守られている姿を思い浮かべ、吹き出した。
「あ、そうそう。近々、星辰薬舗から不凍航路へ配達に来てくださるとか。琅雲も会いたいのでは?」
「是非。来るのはきっと、蒼蓮兄さんでしょうから」
「では、帰る方向は同じですね」
二人は微笑みあうと、風火輪で飛び立った。