ついに迎えた法霊雅学初日。
総勢七十一人が揃う雅学室は、昨日の武闘場での話題でもちきりだった。
雪宗主の厚意で菫鸞の後ろに席を用意してもらえることにはなったが、早速矢のような視線が突き刺さる。
「雪氏の門弟でもないのに雪二公子の後ろに席があるぞ……」
「薬舗の娘って本当なのかしら」
「名門でも、法霊武門でも、そもそも法霊武林にすら属していないらしい」
「なんでいるの?」
「噂では、外国の方らしいよ」
「大秦人でもないの?」
「扶桑に住んでるってことは、もしかしたら……」
「ああ、あの街は数百年前に皇帝がどこかの国に友好の印として贈った土地だったはず」
「この後の挨拶が楽しみね」
このままでは斜め前に座っている瑞雲が暴れ出しかねない。
杏花の焦りを感じ取ったのか、菫鸞が隣に立っている瑞雲に「杏花の素晴らしさに、みんなが驚く顔が楽しみだね」と微笑んだ。
すると、先ほどまで前方を睨みつけていた瑞雲の表情が少し緩み、杏花の方を振り返って「応援している」と言って頷いた。
「ありがとう」
杏花は微笑み、「ほら、前向いて。そろそろ金先生来るよ」と、瑞雲に前を向くよう促した。
天宮閣閣主の金 晨は、昨年閣主の座を継いだばかりで、雅学の教鞭を取るのは今年で二回目。
若く聡明で、その雅な風貌から、女性門下生にとても人気がある。
純白の深衣に身を包んだ長身の美男子、金 晨が雅学室へやってきた。
「皆さん、初めまして。本日から四ヶ月間、教鞭をとらせていただきます、金 晨と申します。よろしくお願いしますね」
女性門下生たちの甘美なため息が聞こえる。
「それでは……、今日は顔合わせの日でしたよね。皆さんから見て左の武門から順にお願いいたします」
雅学室の中央通路に最初に出てきたのは、欒山 霓氏。
「欒山 霓氏、霓 若蓉でございます。我が武門の伝統武術は槍術。こちらの宝槍を献上いたします」
若蓉は平伏し、立ち上がって門弟に宝槍を運ばせてから席に戻った。
その間、ずっと浮かない顔をしていたのは、周囲から微かに聞こえる嘲笑のせいだろう。
次に中央へ出てきたのは藤陵 鳳氏。
「藤陵 鳳氏、鳳 佳栄でございます。我が家の伝統武術は剣術。閣主のために特別に作らせました宝剣を献上いたします」
佳栄は平伏し、優雅に立ち上がった。
中央通路に出てくる時から他の武門を見下すような視線と態度に、杏花は顔を顰めた。
同じく尊大な態度の鳳氏の門弟は恭しく宝剣を持ち、運んでいった。
次は綺雨 霖氏、そして氷妃河 雪氏と続いた。
五番目は夜湖 静氏。
「夜湖 静氏、静 茜耀でございます」
杏花の目が大きく見開かれ、頬が紅潮した。
(なんて美しい人なの……。百花王のお姉様達もきっと驚くだろうな)
「我が一族の伝統武術は剣術。六代目宗主が鍛治を得意としていたため、時を経て才を継いだ父が打ちました宝剣を献上いたします」
男性門下生達の目が輝いているのがわかる。
まるで歩く真冬の三日月のようだ。
余韻が残る中、紅葉山荘 雷氏が終え、最後は煌風 音氏。
「煌風 音氏、音 隆戦。我が一門の伝統武術は刀術。数千の妖邪を葬ってきた宝刀を献上する」
武人然とした立ち居振る舞いに、声の端々には傲慢さを感じる。
法霊武門で最も多くの兵力を有しているからなのだろうか。
献上された刀も、本当に人間が振り回せる大きさなのか? と、その場にいる皆が思うほどのものが運ばれていった。
そして、「法霊武門の紹介は以上です。この度、法霊武林外から参加してくれることになった方がいます。では、中央へ」と促された杏花。
金 晨の優しい眼差しと、瑞雲、菫鸞の「頑張れ」という目に背中を押されるように勇気を出し、杏花は中央通路へと出ていった。
「青梅、献上品を持ちなさい」
雅学室にさざなみのように声が沸く。
それもそのはず。
今まで室内に存在しなかった緑色の水干を身につけた童子が杏花の後ろに出現し、床から浮いているのだから。
その手には長い桐の箱を携えて。
杏花は中央通路に着くと深呼吸をし、そして口を開いた。
「蓬莱国星辰王府 星氏、星 杏花でございます。この度は異文化交流を目的に参加の許可をいただきました。我が一族の伝統武術は、刀術。蓬莱国で産出される玉鋼を原料に蓬莱三名匠の一人、赫夜が打ちました蓬莱刀を献上いたします」
青梅が桐の箱を開け、中の蓬莱刀を金 晨に見せた。
「素晴らしい宝刀です」
金 晨が自ら受け取ってくれた。
大勢の視線を背に感じ、手が震える。
ちらりと後ろを振り返り、瑞雲と菫鸞を見る。
声には出さずに、「大丈夫」と二人は微笑んでくれた。
杏花は再び前を向き、言葉を続けた。
「私は医仙である桃薬天女の娘。そのため、法霊武林の皆様とは違う力を使い、術を行使いたします。どうか、ご容赦くださいますようお願いいたします」
雅学室は静まり返り、それが何を意味するのか、杏花にはわからなかった。
雅学が始まって十日目、杏花を取り巻く環境は一変していた。
「ねえ! 星公子がいらっしゃったわ!」
「とても可愛らしいのに、強くて美しくて優しくて……。まさに貴公子の中の貴公子よ!」
「きゃあ! こちらを向いてくださったわ!」
「星公子!」
どうやら紳士的振る舞いをやりすぎてしまったらしい。
女性門下生達からの視線を奪ってしまったようだ。
「いったい何をしたらこうなるの?」
「いや、その……」
菫鸞と瑞雲の呆れた顔が杏花を余計に困らせる。
「た、ただ助けたり診察したり手当てしたり……。それだけなのだけれど……」
「女子を抱き抱えて空を飛んでいただろう」
「そんなことしたの⁉︎」
どうやら瑞雲に目撃されてしまっていたようだ。
「雪宗主が裏山への入山を許可してくださったから、このあたりによく自生している珍しい薬草を採りに行ったんだ。そうしたら、何人かの女性門下生の方々が眺めの良い場所でお茶会をしていて……」
夕刻、足元が少し見づらい時間。
女性門下生の一人が下山途中で足を踏み外し、山肌を落下していこうとしたその時、杏花が駆け付け、その女性を抱き抱えて空を飛んだのだ。
そのままゆっくりと登山口へと降り立ち、「お怪我はございませんか? どこか座れる場所までお連れします」と宿舎の女性専用区画まで飛んで行ったものだからその場が大騒ぎに。
椅子に座った女性の足元に跪き、「足に触れても?」と聞いてから診察を始め、「軽い捻挫ですね。よかった。すぐに治りますよ」と手当てをしたものだからもう大変。
「女性間での噂話はすぐ広まるものね」
「当然の対応をしただけなのに……」
「格好いい」
「あ、ありがとう、瑞雲」
それ以来、杏花は女性達からの「私、ちょっと調子が悪くて……。診ていただきたいのです」という熱っぽい視線と声、態度に悩まされている。
「男性の、特に一部の人達からはすごく嫌われてしまったけれどね」
「ああ……、鳳公子と、音公子兄弟かぁ。隆誠は兄君に同調しているだけだと思うけどね。あの兄弟は主従関係だから」
菫鸞が言うその三人と取り巻きの門下生達はとても厄介で、武術演習のたびに杏花に挑もうとしてくる。
毎回、武道専門教師の禹 憐がいなしてくれてはいるものの、そろそろそれも限界のような気がしている。
「でも、よく静公子の目に止まらなかったよね、杏花は」
「あの人が好きなのは天性の美女だから。私にはその要素がないもの」
「杏花は可愛い」
「うん、ありがとう瑞雲」
静公子こと静 柔桑はとても自己愛が強く、かなりの好色で艶福家。
「女性はみんな好きだけれど、私と同じくらい美しい女性はもっと好き」と公言しているほどだ。
「幸運なことに、柔桑みたいな男性は、自分と同じくらい女性から好かれている女性に対しては興味がわかないという特徴がある」
「なるほどね。あんまり嬉しくはないけれど、同類だと思われているわけだ、杏花は」
「嬉しくないけれど、そう」
杏花は喜んでいいのか悲しめばいいのかわからない今の状況にため息をついた。
三人は雅学室へ入ると、それぞれの席に着く。
全員が集まったころ、金晨が雅な笑みを浮かべながらやってきた。
「みなさん、ごきげんよう。今日は『鬼』について学んでいきましょう」
金晨は部屋の後方中央にある一段高くなった場所に腰かけた。
「では、どなたか『鬼』、『鬼人族』、『鬼神』、『禍ツ鬼』、『禍津鬼神』の違いについて分かる方はいらっしゃいますか?」
始めから静かだった雅学室が余計に静まり返る。
瑞雲が挙手した。
「おお、その勇気に感謝します。では、霖 瑞雲。よろしくお願いいたします」
瑞雲は立ち上がり、答える。
「『鬼』は個人の怨念が生み出す変化によって成るもの。土地の怨念を集めて遺体に吸収させ、人工的に作ることも可能。『鬼人族』は赤肌大型鬼人族、青肌大型鬼人族、灰肌小型鬼人族などの総称。近年では肌の色ではなく、土地の名前で呼ばれることの方が多い。『鬼神』は神や仏が持つ武の化身であることが多く、鬼という字が示すのは邪ではなく強さの指標」
杏花は真剣に聞きながら頷いた。
菫鸞はこっそり菓子を頬張っている。
「『禍ツ鬼』は『鬼』が土地や人々の怨念を吸収して変化したもの。人間と同等の知能を持ち、姿形も我々とそう違いはない。『禍津鬼神』は『禍ツ鬼』の中でも人知を超えた力と知能、知性を持ち合わせたもの。人間との婚姻譚も複数あり、その性格は一概に邪悪とは断定しがたい」
瑞雲が話し終えると、金晨はとても嬉しそうに微笑んだ。
「素晴らしい。完璧です」
金晨は瑞雲に座るよう促し、それぞれの特徴について話し始めた。
「『鬼』の中には病そのものを示すものがいます。体内に隠れ、悪さをすることから、『隠鬼』と呼ばれています。自我はありますが知能はそう高くなく、簡単な指示にしか従いません。中には有翼のものなどがおり、戦うには厄介です。『鬼人族』はその体躯や強靭さから鍛冶職人、または傭兵として働いている方が多いですね。厳密に言えば、世杉族や五葉族とそう変わりのない種族です」
あちこちから書き留める音が聞こえる。
「『鬼神』は霖二公子が答えた通り、神や仏の武の化身です。稀に、『禍ツ鬼』の中からある一定の知性を持った者が神や仏の元で修業し、『鬼神』になることもあります」
杏花の鼓動が早くなりだした。
「『禍ツ鬼』は我々が対峙するものの中で最も邪悪で暴悪。その精神は悪辣で凶悪のため、こちらの道理は通用しません。指揮系統としては『禍津鬼神』に付き従うので、長となる『禍津鬼神』が卑劣であればあるほど、彼らはそれに同調します」
杏花が目を伏せる。
次の話は、青梅に関わることだからだ。
「そして、『禍津鬼神』。彼らに関しては一概に悪とは言い難く、人間を守るために『禍津鬼神』同士が兵を率いて争ったこともあるほどです。『禍津鬼神』の中には、五方守心と呼ばれている者達がいます。彼らは人間界と接している鬼幻界を北方、西方、南方、東方、そして中央と分け、それぞれの地域を統治しています」
鼓動が一層強くなる。
「その中でも、東方の『禍津鬼神』は数千年もの間守護神としてあり続け、現在でもその意志は後継者へ受け継がれ、平和を保っているそうです」
杏花は胸が誇りで満たされていった。
「そんな最強の『禍津鬼神』ですが、彼らには致命的な弱点となる致死節があります。それは、調伏の祝詞や呪文、経に『真名』を入れて読み上げられること。そのため、彼らは絶対に真名を明かすことはなく、常に通名を使用しています」
杏花は右肩に触れた。
青梅の真名を知っているのは杏花だけ。
信頼の証に捧げられたそれには、蓬莱国の者ならば誰もが知る哀しい物語がある。
裏切られ、陥れられ、血族皆殺しの目にあい、全てを奪われた皇子。
青梅はそれでも人間を恨むことも、憎むこともせず、鬼幻界の東方を守り続けた。
「それでは、次は『鬼』という文字を含む彼らの歴史について話していきましょう」
金晨の笑顔に、何人かの雅学生がうっとりと顔を緩めている。
本日も座学は順調に進み、楽しい小休憩の時間がやってきた。
菫鸞は微笑みながら杏花と瑞雲に菓子を配った。
「次は武術演習だね」
「今日挑まれたら応じようかな」
「え、いいの?」
「二人を巻き込みたくないから」
昨日のこと。
隆戦が「もし星殿が応じないのなら、ご友人と勝負させていただこう」と、瑞雲と菫鸞を指名してきたのだ。
「ご不満か? 霖二公子に手加減されて同格だと思い上がっている女子の実力を見せていただきたいだけですよ」と言う捨て台詞と共に。
「手合わせは技術の確認。それに、手加減してもらっているのは私の方だ」
「瑞雲、私は大丈夫だから」
「別に私も戦ってあげてもいいのだけれどね」
「菫鸞まで……」
その時、武闘場からこちらに向かって走ってくる者がいた。
「杏花! 大変なことになっちゃった!」
「莅月姉さん、どうしたの?」
莅月は鳳氏の息女で、杏花のことを嫌っている佳栄の双子の妹。
性格は全く違い、善良で柔軟。亜麻色のふわふわな髪が似合う美少女だ。
眩暈で滝から落ちかけていたところを救った一件から、杏花とはすでに親友の仲。
医術の心得があるところも共通点で、よく二人で深夜まで話し込むことがある。
何故かはわからないが、莅月はあの女好きで有名な静 柔桑に恋をしている。
「兄上と音兄弟が武闘場を封鎖して杏花を呼んでいるの……。本当にごめん。私には兄上のことがもうわからないよ……」
目に涙を浮かべる莅月を抱きしめ、杏花は言う。
「大丈夫、大丈夫だよ。こんなにも優しい莅月姉さんを泣かせる奴は、例えそれがあなたの実兄だとしても叩きのめしてあげる」
杏花は莅月からそっと身体を離すと、瞳を発光させたまま武闘場へと向かった。
武闘場の中にはすでに多くの門下生が半ば人質のように集められており、禹 憐と金 晨が困り果てた顔をしていた。
「杏花。君は下がって……」
金 晨が何重にも張られている結界を壊そうと剣に手をかけた。
「いえ。あの人たちの求めに応じます」
「でも……」
禹 憐も戟を持ち、杏花達四人が行くのを止めようとするも、「先生、大丈夫です」と、杏花はその厚意を受け取らなかった。
杏花は右手拳に仙力の渦を作り、目の前にある結界を殴り壊した。
その衝撃で突風が吹き荒れる。
菫鸞はよろける莅月を支え、瑞雲は前方を睨みつけた。
「はっ。それくらい出来て当然だよなあ? 医仙様には我ら法霊武林の使う法術など通用しまいよ」
隆戦が大刀を肩に乗せ、口元を歪めて嗤っている。
「なぜ他の武門まで巻き込むの」
「こうでもしなきゃ、お前は受けないだろ?」
隆戦に同調するように、佳栄も薄ら嗤った。
「もう逃げられませんよ、星 杏花」
杏花は左手に愛刀『杏花刀』を佩き、刃を下にした。
「私は逆刃で戦う。怪我をさせたくないから。音公子はどうぞそのままで」
「馬鹿にしてんのか」
「違う。もしそうでもしなければ……」
杏花は自身の周囲に仙力の渦を巻き起こし、刀に纏わせた。
「あなたの手を斬り落としてしまうから」
苛つきが頂点に達した隆戦は、床を蹴り勢いよく距離をつめて杏花に斬りかかった。
杏花も抜刀し、目の前に迫る大刀を右に受け流す。
剣光が疾る。
純粋な腕力だけで言えば、圧倒的に隆戦の方が強い。
しかし、蓬莱刀の戦い方は、腕力だけではない。
三十合目を斬り結んだ瞬間、突如隆戦が振り返り、大刀の刃衝波を雪氏と霖氏の門弟が固まって立っているところへ放った。
杏花の瞳が強く光る。
杏花刀を飛ばし、門弟と刃衝波の間に浮かべると、仙力の渦を発生させた。
隆戦が放った刃衝波は杏花の刀が纏う仙力とぶつかり、弾け消えた。
「惜しかったなあ」
杏花は刀を手に呼び寄せ、この状況を嗤っている隆戦にその切先を向けた。「卑怯者。恥を知れ」
ただ風が吹いただけだと、その場にいた誰もが思った。
刹那、甲高い音の後、隆戦の大刀が武闘場の天井に突き刺さった。
「……は?」
杏花が下から薙ぎ払うように振り上げた刀が、隆戦の大刀の鍔を捉え、打ち飛ばしたのだ。
隆戦の喉元に、杏花の刀が突きつけられる。
「もう二度と構うな。次は容赦しない」
杏花は刀を鞘に納めると、天井に突き刺さった大刀を仙力で引き抜き、隆戦の足元の床へ突き刺した。
「勝ったつもりか? お前、霊力も使えるんだろ。俺たちと同じ条件で戦ってみろよ」
恥をかかされたと感じた隆戦は、杏花の左腕に見えている霊力花を指差した。
「次は私ですね。星 杏花、使う力は霊力でお願いします」
瑞雲と菫鸞が止めに入ろうと駆け寄ってくるのを手で制止し、杏花は「受けて立ちましょう」と告げた。
仙力の渦を身体に戻し、霊力を身体の外へ通わせる。
「私の霊力花は花の貴公子、蘭です。あなたのは……。その見たことのない花……、この世の花ではないでしょう」
「私の霊力が形作るのは根霊界に咲く花、炎珠杏華です」
「ふふふ。まさか、医仙の娘の霊力花が地獄の毒花とは! これは傑作です」
「形がそうなだけで、毒はありませんよ」
「そんなこと、私が知らないとでも?」
お互いに十分な距離を取り、一礼し、鞘から抜き構える。
「では、よろしくお願いしますね」
「こちらこそ」
佳栄の剣捌きはその性格とは違い、まさに正道。
一撃一撃が澱みなく繰り出され、正直なところ、戦い甲斐のある相手だと杏花は思った。
さすがは天宮閣達人榜七位。
(でも、|瑞雲《ルイユン》には遠く及ばない)
二十合目まで様子見をしていた杏花はそこから攻勢に出た。
佳栄も上手く受けているように見えるが、杏花の一刀の重さに手が痺れてきているのがわかる。
そして五十合目、杏花は佳栄の突きをいなし、振り下ろした刀で剣を床へとめり込ませた。
「おお、まさかこういう終わり方になるとは。蓬莱人は戦意を奪うのがお得意なのですね」
「疲れたので早く終わらせたかっただけです」
先ほどまでとは違い、杏花の額に浮かぶ汗。
呼吸も幾分荒い。
「さあさあ、もうお開きにしましょう。いいですよね? 先生方」
杏花の異変に気づいた菫鸞と瑞雲が教師二人に詰め寄る。
「そ、そうですね。このあとは自由時間としましょうか、禹 憐」
「そ、そうしましょう」
禹 憐は気弱な性分なので、瑞雲の目に怯えてしまったらしい。
背を丸めて去っていった。
「では、何かあったらすぐに私に知らせてください」
金 晨は困ったように微笑み、小走りで禹 憐を追いかけた。
「莅月姉さん、先に戻ってて。私もすぐに宿舎に向かうから」
「わ、わかった」
心配そうに杏花を見つめる人々の目からゆっくりと遠ざかり、三人は書房の裏に向かった。
「かはっ」
杏花の口から血が吐き出された。
倒れ込む杏花の身体を、すぐに瑞雲が抱き抱える。
間に合った。
二人以外に目撃者はいない。
「本当、あいつら横暴だなぁ!」
普段は滅多に怒ることのない菫鸞は、杏花の背をさすりながら憤っている。
杏花は優しい友人二人に支えられながら、「白梅」と呟き、薬を用意してもらった。
「杏花様……」
「そんなに悲しそうな顔をしないで」
身体の調和を保つため、ゆっくりと仙力の渦を纏う。
「あの人の剣、他人の霊力を吸い取れるんだね。油断した」
「だから杏花に霊力を使わせたんだよ。もうみんな知っているもの……。杏花の病のこと」
「そっか」
杏花は羽織っている白い衣を見つめた。
誰だったか忘れたが、なぜ校服の上に衣を着ているのか尋ねられた時に、話したのだ。
「この衣は私の弱い身体を補うのに必要なのです」と。
病のことは秘密にしているわけではない。
ただ、わざわざ教える必要もないと思っているだけ。
憐れみの目で見られるのは辛い。
(私は決して可哀想ではない)
瑞雲の心配そうな顔に、胸が苦しくなる。
「今度は私が戦う。全員の武器、へし折ってやるんだから」
菫鸞は「任せて!」と微笑んだ。
「本当にやりそうだね」
菫鸞が天宮閣達人榜に載っていないのは、同年代の誰もが戦いを避けているからだ。
現在達人榜一位の青鸞の地位が揺るがないのも同じ理由。
雪氏はとにかく剛腕で俊敏、そして鋼を食べて生きていると疑われるほど丈夫で頑丈。
瞬きの間に武器を掴み、破壊する。
それは相手の腕でも足でも肋でもどこでも同じ。
たおやかな見た目の雪兄弟のどこにそんな力があるのかと、法霊武林の人々は疑問に思っている。