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006 自社ビルの空中庭園

「いい朝だね! 何でこんな空気重いの?」


 コノエが手ずから注文したらしい朝食と共に現れた。イエモリ商会の入口で配達人にサインを書いている。モミジが率先して受け取り、応接用のテーブルへと運ぶ。

「ひとり増えたと思ったらひとり減ってたんや」

「何の頓知?」

 番台の奥に座り、火の点いていない煙管を器用に回すイエモリの台詞に、コノエが疑問符を浮かべながら店内に入ってくる。

「皆さん、温かいものは温かい内にっすよ」

 モミジが音頭を取った。

「コノエ先輩、ゴチっす。遠慮なく頂くっす」

 とりどりのしゃらくさい軽食を瞬時に物色して、遠慮のない後輩はさっさと自分の分を確保した。その時、別室でチトセの様子を見ていたらしいサラが困り顔をしながら部屋に入ってきた。

「あの子、閉じ籠っちゃったわね。わたくし秘蔵のお菓子も無力でしたわ。ショックだったんでしょうね、チトセちゃんが一番懐いていたものね」

 物憂げに伏せた目線を持ち上げると、彼女は来訪者が増えていることに気付く。

「あらコノエちゃん、来てらしたの? そんな感じに仕上がったのね」

「サラちゃん起きてんじゃん! 数年振りだね! どういう意味?」

「これ、コノエちゃんが召し上がる? 賞味期限は切れていなくてよ」

「それ災害備蓄用じゃん! 備蓄しときなよ。自分と一緒に」

 どうやら旧知の仲らしい。聞いている方に緊張感のある会話を振りまいて、二人は和やかに朝食の席へと加わった。


「そんな事になってたの?」

 昨夜の一部始終をお復習いしたコノエは、早速シロを撫でながら「ふわふわだねぇ」と声を掛けている。怖いもの知らずか。

「イサナちゃん、笑ってる。楽しかったのね」

 サラが写真を手に寂しそうに微笑んでいる。

「時間を使い切ったのね。わたくしたちは変わらぬ姿で長い時を過ごしますけど、いつか終わりはございますの」

「……イオリ先輩」

 モミジがこちらも見ず、険しい声で俺を呼んだ。

「アンタ全部知ってたっすね?」

 その写真見たら分かったっすよ、と責める口調で捲し立てる。

「昨夜は後でよく見せてもらおうと思ってちゃんと見れてなかったっすけど。ワタシの知る限りツルギ先輩は誰とも写真撮りたがらなかったっす。苦手だからって、片っ端から断ってましたもん。それをアンタにだけは撮って渡した。自分だけ事情聞かされてたんじゃないんすか? 今回のこと。だからあんなに、ずっと薄情な感じだったんすね?」

 写真には、腕を伸ばし自身に向かって笑顔でシャッターを切ったであろうツルギと、その奥に不意打ちで撮られレンズを睨んだ瞬間の俺の横顔が写っていた。

「何とか言えっす!」

 今度ははっきりと俺を振り向いて、モミジが詰問してくる。

「確かに」俺は観念して口を開いた。

「本人の事は本人から事前に聞いてた。全部は知らない。ここの事も知らなかった」

「ハァ〜???」

 モミジは素っ頓狂な悲鳴を上げて横に倒れた。肘掛けに縋りついている。

「ハイ。シロちゃんの白い影時代の姿の謎は?」

 挙手したコノエが脇から聞いてきた。彼の傍で籠に寝かされているシロがモタモタと寝返りを打っている。

「それも解らない。見当もつかない」

「そこが謎なんよなぁ。アメミヤツルギの正体は判明した訳やけど」

 ああは成らんはずや、とイエモリが椅子の背に反り返る。

「人やないからな」

 お兄様、とサラが声を掛けた。

「それはそれとして。チトセちゃん、一人ぼっちで放って置かないほうがよろしいと思うの」

「あー、あんまりええ状態やないしなぁ」

 えっ、とモミジが驚く。

「虚ろに入り込むと申しましたでしょ? 心の隙間もですわ」

「腹どつかれて穴空いとったしなぁ」

 はぁ? イエモリ以外の全員から声が出た。

「どうしてそれを早く仰らないのかしら……あなた、傍にいてあげてくださる?」

 サラは前半をイエモリに、後半を俺に向かって言った。

「あなたが適任だと思いますの。頼まれてくださって? この建物の中に居るはずよ」

 しっかりと目を合わされ、指名を駄目押しされる。適任かどうかは分からないが、有無を言わさぬ空気は感じた。

 良い状態でないと言うなら、確かにチトセを探すべきではある。あるのだが。

 各人各様の種類豊富な視線を集めた俺は、結局追い立てられるように屋内階段の方へ向かった。


 そうは言っても他人の敷地内である。あまり勝手にあちこち見回る訳にもいかない。どうしたものかと逡巡したが、最上階から見回ることにした。途中で見つかるかもしれないし、順に降りていけばいいだろう。

 階段の果ての建屋から屋上へ出る扉を開け、外界に踏み出す。鍵は掛かっていなかった。意外にも小綺麗に整えられた、所謂空中庭園がそこにあった。

 チトセは池があると言っていた。

 少し進むと、彼女の言葉通り石材を積み上げた枠の中に、透明な水が湛えられていた。その側に設えられた木製の長椅子の上に、三角座りの膝に頭を乗せたチトセがいた。

「……食わなくて平気か?」

 気の利いた言葉は何も出てこなかった。

「食べても食べなくても、眠っても眠らなくても変わりません」

 チトセが顔を上げる。

「壊れても直ります」

「そうらしいな」

「誰の差し金でここに?」

「言葉には気をつけてくれ……」

 俺も心配したから来た、と素直に伝える。ごめんなさい、と謝られた。

「謝る事じゃない」

「モミジさんの暴言もです」

 それは蒸し返さなくてもいいのでは?

「私たちは生殖できません。そう作られているからです。なので私が先に写真を確認していれば、モミジさんが勘違いすることもありませんでした。すみません」

「それこそあんたの責任じゃない」

 日頃の行いと信頼関係のせいでしかない。遡って改めたいかというとそうでもないので、甘んじて受け入れようと思う。そう伝えるとチトセは困惑したような顔をして「良くない傾向では?」と聞いてきた。そんな気はしている。

「コノエにも言われた」

「良いお友達なんですね。……何でそんな苦い顔するんですか」

 座ってください、とチトセが三角座りの脚を降ろし隣を示した。一人分の空間が空いている。側に居ても構わないらしい。少し安心した。

「コノエとは面識が無かった? 他の二人はあいつの旧知らしいけど」

「私、ここに居たのは随分前です。それからはずっと別の場所に居ました。最近戻ってきたばかりで」

「ドリンクスタンドを?」

「やってみたかったんです。ああいうの」

 潰れちゃいまいたけど。そう言ってチトセの顔が再び曇りだしたので、話題を変えるつもりが「腹に穴が……」と口走ってしまった。下手くそか。

「言うなって言ったのに!」

 イエモリに一瞬怒った後、「陥没してましたけど、今は大体回復してます」と俺に説明してくれた。本当に申し訳ない。

「痛みは?」

「それなりに。でも人よりずっと鈍いと思います」

「……食べても食べなくても、眠っても眠らなくても変わらない。壊れても治る。痛みも鈍い。……姿が変わらないまま長い時を過ごす」

「はい」

「でもいつか終わる時が来る」

「……イエモリかサラが話しましたか?」

「うん。でも、その前に」

 ツルギから聞いていたと伝えた。

「自分の跡を追うな、とも」

 チトセが驚いたように俺を見上げる。自分が今どんな顔をしているか分からない。目線を落とすと、行儀良く膝の上に置かれた彼女の両手が目に入った。

「手に触れても?」

 どうぞ、とチトセが差し出した細い指先を握る。外気に触れていたせいか冷たかった。それを言うと、彼女は「袖の中はどうでしょう」と腕を捲ってみせた。手首の内側を触らせてもらう。

「温かいな」

「脈拍も有りますよ」

 矢張り精巧すぎる。どんな技術なんだ。

「……そういえばイエモリの腕をもいだ件について謝罪してなかった」

 チトセが吹き出した。

「あれはイエモリが不審者過ぎたのが悪いですよ。最初から取れてたし」

 良かった。少し顔色が戻ってきたようだ。手を離して彼女の袖を戻させてもらう。

「あの、イサナと最後に会ったのって、もしかして」

 チトセが聞き辛そうに俺に尋ねた。

「あの時は、……」

 話そうとするのに、言葉がつかえたまま上手く出てこない。

 チトセが俺の手の甲に自分の掌を重ねてきた。寄り添うように、軽く、俺に重心を掛けると彼女は頭を振った。


 冷たかったお互いの手が、重ねた部分から少しづつ熱を取り戻す。

 もういい、と合図を送ると彼女の優しい手は離れていった。

「イオリさん、探しに来てくれたんですよね。ありがとうございます。お世話かけました、戻りましょう」

 チトセは身軽にベンチから立ち上がると、俺を促し建屋へ歩き出した。



 連れ立って地階に降りると、呑気な連中の賑やかな気配がしていた。

「……最初は彼氏連れ込んで来たなコレと思たんやけどなぁ」

 半開きの内扉から、話し声が漏れ出ている。

「今からでもうっかり抱きしめてあげてくださればよろしいのに」

「やー、どうっすかね。ツルギ先輩の近くにいて間違い起こさなかった変態っすからね」

「モミジちゃんは好みじゃないの? 変態は」

「草でも喰んでろって感じっすね。好みの異性は物腰丁寧で筋骨隆々な益荒男っす」

「あー」

「あらー」

「ほな違うかぁー」

 どっ、と朗らかな笑いに包まれる室内。全員ハラスメント研修が必要か?

 チトセが冷ややかな顔で扉を全開にし、現場に踏み込んだ。水を打ったように一同が静まり返る。いいぞ。

「コノエさん」

「僕?」

「今日は新メニュー考案会議の予定でしたけど、私は参加しなくて構いませんね?」

「アッはい」

「モミジさん」

「はい……」

「めっ」

「可愛い」

「サラとイエモリ」

「ごめんて」

「なぁに?」

「イオリさんと出掛ける。今夜は帰らないから」

 チトセは静かに扉を閉めると、俺を振り返り、凛とした態度で「行きましょう」と告げた。


 閉じた扉の向こうで無責任な歓声が沸き上がる。

 怖い。家に帰してほしい。


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