全速力で海の上を駆けるも、目的地のナコリン島に到着した時には夕方近くになっていた。
そのままの足で商人ギルドに向かい、受付の男性に事情を説明する。
「ベルジュ商店の親子? 今日の取引は終わって、もう宿に戻っているはずだが」
「どこの宿!?」
「島の南にある古宿だ。あの辺りの宿屋はその一軒だけだし、すぐにわかるぜ」
「ありがとう!」
「ところでお嬢さん、あんたどこから来たんだ? この時間に到着する船はないはずだが」
「海の上を走ってきたんだよ! それじゃ!」
受付さんにお礼を言うと、ボクは走って島の南側へと向かう。
この島はカナーレ島のように水路が発達しておらず、陸路で進まねばならなかった。
……棒のようになった足を引きずりながら、ボクは島の宿屋に到着する。
すると、ちょうどその入口にイソラの姿を見つけた。
「イソラー!」
「え、ナギサ!?」
信じられないものを見るような顔をするイソラのもとに、ボクは駆け寄る。
「イソラ、ルィンヴェルに、解毒剤を……」
そこで体力の限界が来たのか、ボクは全身の力が抜け、彼女の腕の中に倒れ込む。
「わっ、お、お父さーん!」
イソラがナッシュさんを呼ぶ声が聞こえる中、ボクの意識は遠のいていった。
◇
……次にボクが目覚めると、見知らぬ天井が見えた。
「あ、ナギサ、気がついた?」
「……はっ」
跳ねるようにベッドから起き上がると、目の前にイソラとナッシュさんの姿があった。
続いて窓の外を見ると、真っ暗だった。
「い、今、何時?」
「そろそろ日が変わった頃。ナギサ、死んだように眠ってたよ」
「も、もうそんな時間……! ねえイソラ、解毒剤を……!」
「ナギサちゃん、落ち着いて。解毒剤って、どういうことだい?」
思わずイソラの腕を掴んだ時、ナッシュさんがボクを
それで少し冷静になったボクは、これまでの経緯を二人に話して聞かせる。
「マダラウミヘビの解毒剤か……どのみち、お店の倉庫にはないよ。今の時期に仕入れても売れるものじゃないからね」
「そうだったんだ……どうしよう」
ナッシュさんはそう教えてくれるも、ボクは落胆していた。
必死にここまで来たというのに。
「……待てよ。解毒剤を取り扱っている店に、一箇所だけ心当たりがある」
その時、ナッシュさんが口元に手を当てながら言う。
「本当!?」
「ああ。知り合いが港に店を出していてね。明日の朝にでも、訪ねてみることにしよう」
「ちょっとお父さん、港のお店ってフェルゼンさんのところ?」
「そうだよ。あそこなら可能性がある」
「確かにそうかも……今の時期に水着とか、季節感のない品物を扱ってたし」
「そうだろう。覗いてみる価値はある」
ナッシュさんは何度か頷くと、ボクに向き直る。
「というわけで、朝一番に港のお店を覗いてみることにしよう。ナギサちゃんもお友達が心配だろうけど、今はゆっくり休むべきだと思うよ」
続いてそう言って、彼は毛布を手に部屋を出ていく。
部屋にはベッドが二つしかないから、ボクとイソラに譲ってくれたのだろうか。
「ほら、せっかくお父さんが気を使ってくれたんだから、しっかり休みましょ」
イソラは笑顔で言って、ボクをベッドに押し込む。それからすぐに、自身も隣のベッドに潜り込んだ。
思えば、時間も時間だ。イソラたちも今日は仕事だったはずなのに、疲れた顔ひとつせずにボクの相手をしてくれた。
ルィンヴェルのためとはいえ、急に押しかける形になったのは事実だし。今更ながら、ボクは申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「……迷惑だなんて思ってないから、ナギサも休んでね。ルィンヴェルはきっと大丈夫だから」
そんなボクの心を読んだように、イソラの声が聞こえてきた。
彼女の言葉で気持ちがふっと楽になり、ボクはすぐに眠りに落ちていったのだった。
◇
その翌日、ボクたちは港にあるという、フェルゼンさんのお店へと向かう。
露天が無数に立ち並ぶ港の中心部からは少し離れた場所に、そのお店はあった。
「これはこれは、ベルジュ商店のお二人じゃないですか。本日はどういったご用件で?」
店番をしていたのは、灰色のローブを身にまとった男性。深めに被ったフードのせいで顔は見えず、口元のヒゲが印象的だった。
「どうも、フェルゼンさん。今日は探している品物がありましてね」
真っ先に声をかけようとしたボクを制止して、ナッシュさんが口を開く。
「ほう。あんたたちが俺の店で探し物なんて、明日は空から魚が降るかね」
フェルゼンさんはケラケラと笑い、どこか小馬鹿にしたような視線でボクたちを見る。
そんな彼の視線から逃れるように、ボクはお店に並ぶ商品を見渡す。
その品揃えは変わっていて、季節は冬だというのに水着や海遊びで使うボールが売られていた。中には春の祭りで使う衣装まである。
驚いたのはそれらの値段だ。水着が4000ルリラ、祭りの衣装が3500ルリラと、どれもカナーレ島で売られている時の10倍から20倍の価格だった。
「……お嬢ちゃん、うちの店の値段に驚いているようだな」
「え? う、うん……どうしてこんなに高いのかなって。水着とか、今は誰も着ないでしょ?」
「それがなぁ。この店の商品は不思議と売れる。例えばこの水着だが、数日前に一人の女が買っていった。そいつは夜の仕事をしているそうだ」
彼は得意げに言って、ニヤリと笑う。
よくわからないけど、欲しがる人はいるんだね。
「俺の長年の経験だが、季節外れのものを買い求めるやつは一定数いて、それなりの事情がある。多少値が張っても買うわけさ。それで、お嬢さんたちは何が欲しいんだ」
そこまで話したあと、フェルゼンさんは改めてボクたちを見る。
「……マダラウミヘビの解毒剤が欲しいんだけど」
「おーおー、これまた珍しい品が来たな。安心してくれ。あるぜ」
彼は一度手を打ち鳴らし、嬉々として背後の木箱を漁り始めた。
「あったあった。これだよな?」
やがて、小さな瓶に入った軟膏状の薬を取り出す。
「そうです! 譲ってください!」
「おっと。まぁ、そう慌てなさんな」
ボクは思わず手を伸ばすも、フェルゼンさんは解毒剤を引っ込めた。
「今の時期にこの薬が必要ってことは、よっぽどの事情があるんだろ。特別に5万ルリラで譲ってやろう」
「ご、5万ルリラ!?」
彼の言葉に、ボクは耳を疑った。
解毒剤は作るのが大変だし、高価なのもわかるけど……普段は2000ルリラほどで売られている。20倍以上だった。
「ちょっとフェルゼンさん、いくらなんでもふっかけ過ぎじゃないですか!?」
「これが俺のやり方なんでね。嫌なら別に良いんだぜ?」
イソラが憤慨するも、フェルゼンさんはひょうひょうとしていた。
さすがにそんなお金は持っていないし、どうしよう。
「ナギサさーん!」
ボクが頭を抱えたその時、海から聞き覚えのある声がした。