その後、歓迎の宴が催されたものの……あくまで社交辞令というか、形だけのパーティーという印象だった。参加者の誰もがぎこちなく、アレッタ以外はボクに話しかけてくることもなかった。
ボクはその微妙な空気に必死に耐え、宴が終わるとすぐに用意された客室へと戻った。
「はぁぁ、疲れた……」
宴のために用意された豪華なドレスから普段着に着替え、ボクはベッドに横になる。
ふと窓の外を見ると、真っ暗だった。海の底からは星も見えず、月明かりも届かない。真の闇だ。
なんとも言えない不安に押しつぶされそうになっていると、部屋の扉が控えめに叩かれた。ボクは体を起こす。
「……どうぞ。開いてますよ」
こんな状況で、ボクを訪ねてくる人がいるなんて……なんて思っていると、姿を見せたのはルィンヴェルだった。
「疲れた顔してるね。逆に気を使わせちゃったかな。大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ」
長らく見ていなかった朗らかな笑顔を見せてくれながら、ルィンヴェルはボクの隣に腰を下ろす。
「まさか、わざわざ会いに来てくれるなんて思わなかったよ」
「ボ、ボクも。す、素敵な国だね」
「ありがとう。ナギサに気に入ってもらえたなら嬉しいよ」
「う、うん……」
そこで、会話が途切れてしまう。
どうしてだろう。話したいこと、たくさんあったはずなのに。今はすごくぎこちない。
代わりに、すごく胸が高鳴っていた。隣の彼に聞こえていないか、不安になるくらいに。
「ル、ルィンヴェル、婚約者がいたんだね。ボク、知らなかったよ」
そして口から出たのは、そんな言葉だった。
「ああ……驚いたよね。彼女は隣国の姫でね」
「隣国……オクトリア帝国だっけ?」
「そう。両国の和平のために、父上が半ば強引に話を進めたんだ」
ルィンヴェルは淡々と話すも、その表情は憂いを帯びている気がした。
それって、いわゆる政略結婚ってやつなのかな。本の中だけの話と思ってたら、実際にあるんだ。
驚きと同時に、やっぱりルィンヴェルは王子様なんだという現実が、ボクに重くのしかかる。
……うん。こんな状況で思いを伝えたところで、彼に迷惑がかかるだけだ。
最後に一目会えただけで十分。この想いは胸にしまって、地上に帰ろう。それがルィンヴェルにとっても、一番いいはずだよ。
「そっか……国のためだもん。しょうがないよね。ルィンヴェル、幸せにならなきゃ駄目だよ!」
なんとか声を絞り出すと、ボクは立ち上がる。今からでも、地上に帰ろう。
「ナギサ、待って」
……すると、右手を掴まれた。大して強い力でもなかったのに、ボクはその場から動けなくなる。
「どうして泣いてるの」
「え?」
言われて、頬に手をやる。いつの間にか濡れていた。
「こ、これは……なんでもないからっ」
乱暴に涙を拭き、立ち去ろうとするも……なぜか足が動かなかった。
「ナギサ、少しだけボクの話を聞いてほしい」
ルィンヴェルは立ち上がって、ボクの肩を抱く。ボクは俯いたまま、無言で頷いた。
「一緒に読んだ本のこと、覚えているかい」
「……『サラニーチェの初恋』のこと?」
「そう。その本だよ。あの物語の中では、メイドのサラニーチェが王子に恋をするだろう?」
「……うん」
「現実では、その逆もあり得るんじゃないかって思うんだ」
「……どういうこと?」
「その……王子が身分違いの恋をすることもあり得るのかなって」
ボクは思わず顔を上げる。目の前にあるルィンヴェルの顔は真っ赤だった。
「つまりその……僕は、この国の王子として、あるまじきことなのだけど」
それでも彼はまっすぐにボクを見つめ、そして、言った。
「僕は……ナギサ、君のことを、愛してしまったらしい」
彼の言葉は、ボクの胸に優しく染み渡っていく。
ずっと心の中にあった黒いものが溶けて消えていくような、そんな感覚があった。
「君と離れ離れになって、ようやく気づいたんだ。まるで、心に穴が空いてしまったみたいに」
「ボク……も、同じ」
震える声を必死に落ち着かせ、ボクは言葉を紡ぐ。
「ボクもルィンヴェルに会えない間、ずっと胸が苦しくて、淋しくて」
いつしか、先程までとは違う涙が頬を伝っていた。
「ボクも、ルィンヴェルのことが、好き……」
ずっと伝えたかった言葉。
それを伝えられた安堵感とともに、ボクは精一杯背伸びをする。
そして、自分の唇を、彼のものと重ねた。