目の前に広がる海底都市は、巨大な空気の膜に包まれていた。
おそるおそるその中に入ってみると、地上と同じように息ができた。
入口に門番らしき人の姿もなく、ボクはすんなりと街に足を踏み入れる。
『ナギサお姉さま、まっすぐ進むと王宮が見えてきますので、そちらまでいらしてください!』
頭の中に響いたアレッタの声に返事をして、ボクはゆっくりと進んでいく。
サンゴを削って作られたらしい白い家が建ち並び、海面から降り注ぐ太陽の光を浴びてキラキラと輝いている。
その家に住む人々は多種多様で、一見人間そっくりな人もいれば、全身を鱗に覆われている人、下半身がタコのようになっている人もいた。
そんな住民たちの
そこでは地上と同じような野菜が売られていた。
色々なものが沈んでくるとルィンヴェルが言っていたし、ずっと昔に種が流れ着いたのかもしれない。
「そこのお嬢さん、焼きたての魚、食べていかないかい?」
「えっ、あ、ボク、お腹空いてないから……!」
突然声をかけられ、動揺しながらそんな言葉を返す。
よくよく見れば火を使った調理も行われていた。
ルィンヴェルがすぐに地上の食事に慣れたのも、同じように火を使う文化があったからなんだね。
◇
市場を通り過ぎてしばらく歩くと、立派な王宮が見えてきた。
「おい、止まれ!」
その入口には二人の兵士がいて、ボクに槍の矛先を向けながら睨みつけてくる。
ここまで来たのはいいけれど、なんて説明するべきかな。
王子様に会わせてください……なんて言ったところで、追い返されるだけだよね。
「ナギサお姉さま!」
ここでも身分の差を感じていると、王宮の入口からアレッタの声がした。
「よかった。やっと会え……わっ!?」
安堵感に包まれていると、アレッタはすごい勢いでボクに抱きついてきた。
アレッタは真珠をあしらった豪華なティアラと純白のドレスを身にまとっていて、一瞬彼女とわからなかった。
「ひ、姫様、この者はいったい……?」
「この方はわたしの友人で、地上からのお客様です! 丁重におもてなししてください!」
「はっ! 承知しました!」
ボクの腰に抱きついたままのアレッタが強い口調で言うと、二人の兵士は槍を収め、姿勢を正した。
「それではお姉さま、参りましょう! 謁見の間はこちらになります!」
言うが早いか、アレッタはボクの手を掴んで駆け出す。そのまま兵士たちの間をすり抜けるように、王宮へと足を踏み入れた。
その道中には様々な調度品が置かれていて、巨大なサンゴのほか、宝石が散りばめられた剣や鏡が目についた。地上のものっぽいし、沈没船から回収されたのかな。
そんなことを考えているうちに、謁見の間へと到着してしまう。
中央に赤い絨毯がまっすぐに敷かれ、その左右に等間隔で兵士たちが並んでいる。
絨毯が伸びた先には玉座があり、きらびやかな装飾が施されていた。
そこに威厳たっぷりに、一人の男性が座っていた。
頭には豪華な王冠を載せ、立派なひげを蓄えたこの人こそが、ルィンヴェルとアレッタのお父さん――この国の王様だろう。
その玉座の脇に、一回り小さな椅子が二つ並んでいて、その一つにルィンヴェルが座っていた。
彼も真珠をあしらった純白の衣装を身にまとっていて、別人のようだった。
「お父様! お話していたご友人をお連れしました!」
アレッタが叫ぶように言うと、周囲の視線がボクに集まる。
「……ナギサ?」
それと同時にルィンヴェルが目を見開いて、小さく声を上げた。
あの反応を見るに、アレッタはボクが来ることを彼に話していなかったみたいだ。
「お父様、こちらはわたくしの友人で、地上人のナギサさんです!」
気持ちの整理が追いつかない中、アレッタは王様にボクを紹介してしまう。
「お、お初にお目にかかります。ナギサ・グランデと申します」
そのままの勢いで自己紹介するも、さすがのボクも緊張で声がうわずった。
「……姫から話は聞いておる。先日賊に襲われた際、ルィンヴェルとともに救出に尽力してくれたとな。アクロネシア王国の君主として、礼を言わせてもらう」
その口調とは裏腹に、王様は鋭い目つきでボクを見ていた。
それに気づいていないのか、アレッタはボクのそばを離れ、自分の椅子へと戻ってしまう。
「して、ナギサとやら。そなたはどうやってここまで来たのだ」
「え? それは、海魔法を使って……」
王様からの突然の質問に、ボクは困惑しながら答える。
「地上人が海魔法を? あれは我らが
「そ、そう言われても……」
「ここまで一人で来たというのか? ただの挨拶や観光ではあるまい。何が目的だ?」
次第に口調が厳しいものになっていくのを目の当たりにして、ボクは思い出した。
王様が地上を、危険な場所だと認識していることを。
つまり、地上からやってきたボクも危険な存在だと思われているのかな。
「えっと、その……」
どうにかして誤解を解こうとするも、うまく言葉が出てこない。
ルィンヴェルに会いたい一心でここまで来た……なんて、とても言える状況じゃない。言ったところで、余計に怪しまれてしまいそうだ。
「イザベラ様、国王陛下は現在、謁見中でございます!」
「わたくしも地上人がどのような風貌をしているのか、見てみたいのです。構わないでしょう?」
その時、聞き覚えのあるマールさんの声に続いて、一人の女性が謁見の間に姿を現した。
まるでエメラルドのような緑色の髪と瞳を持ち、目が覚めるような真っ赤なドレスを身にまとっている。
この女の人は誰だろう。綺麗だけど、どことなく近寄りがたいオーラを纏っているような。
『……イザベラ・オクトリアウス様。お兄様の婚約者です』
「こんっ……!」
アレッタが念話でそう教えてくれる。思わず口から声が漏れそうになった。
「ヴェルテリオス王、この方がそうなのですか? ふぅん。わたくしたちとあまり変わらない見た目をしていますのね」
玉座に歩み寄った女性は、興味深そうにボクを見てくる。まるで珍しい動物でも見るような、蔑んだ目だった。
「イザベラ様、ナギサ様はわたくしのご友人です。そんな目で見ないでくださいまし」
苛立ちを隠すことなくアレッタが言うも、イザベラさんは鼻を鳴らすだけだった。
「地上人なんて、海の中で生きることもできない下等な種族ですわ。そのくせ、海の恵みである魚たちを横取りするのですから。盗っ人
続けてそう口にする。確かにボクたちは魚も穫るし、海の中では生きられない。だけど、そんな言い方しなくたって。
「イザベラ、ちょっといいかい」
すごく悲しい気持ちになっていた時、そんなイザベラさんを制止して、ルィンヴェルが立ち上がる。
「僕たち兄妹は、地上でナギサさんにすごくお世話になったんだ。その彼女に対して、今の言葉はあまりに失礼だと思わないかい?」
「そ、それは……」
「父上もです。地上の者に対する不信感は理解できますが、ナギサさんが妹を助けてくれた事実に変わりはない。明確な理由もなく疑いの目を向けるのは、王族としての品位を欠く行為では?」
ルィンヴェルはそう口にし、婚約者と国王を睨みつける。
その眼力に二人は押し黙り、謁見の間はなんともいえぬ重苦しい空気に包まれた。
「……お父様、ここは歓迎と御礼の宴を催すのがよろしいかと!」
少しの間があって、その空気を壊すようにアレッタが声を上げる。
「う、うむ……そうだな。皆の者、宴の用意を」
その言葉を聞いて、周囲の兵士たちが慌ただしく動き出す。
それまであった重たい空気は見事に吹き飛び、ボクはルィンヴェルとアレッタに心の中で感謝したのだった。