目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

第1話『ナギサの気持ち』


 ――思い切って一度会いに行ってごらん。


 おばあちゃんはああ言ってくれたけど、ルィンヴェルがいるのは海の底なんだ。


 海魔法の力で潜ることはできるけど、会って思いを伝えたところで、ルィンヴェルは王子様だ。明らかに身分が違うし、彼を困らせるだけじゃないだろうか。


 そんな考えが頭の中をぐるぐると回り、ボクは全く寝つけなかった。


 やがて鳥のさえずりが聞こえ始め、ボクはため息とともに起き上がる。


 重たい頭のまま身支度をして、自分の部屋をあとにした。


 それから水路に飛び降りると、何も考えずにただただ水の上を駆けていく。


 こうでもしないと、頭の中で何かが爆発してしまいそうだった。


「あら、ナギサさん」


「えっ?」


 その時、聞き覚えのある声がした。


 思わず足を止めると、シンシアが路地からボクを見下ろしていた。


 闇雲に走っているうちに、いつしか貴族街までやってきていたらしい。


「ひどい顔をしていますわ。かわいい顔が台無しでしてよ」


「あー、うん……ちょっと眠れなくて」


「ルィンヴェル様のことですわね」


「……っ」


 その名前を聞いた瞬間、ボクは胸に痛みが走った気がした。


「……ナギサさんに一つ、お仕事を依頼したいのですが。今、お時間よろしいですか?」


「え、お仕事……?」


 話の流れが読めない。シンシアは突然何を言ってるんだろう。


「ほら、お仕事の話をしましょう。こちらにいらしてくださいな」


 シンシアは朗らかな笑みを浮かべながら言って、手招きをする。


 少し躊躇ちゅうちょしたものの、ボクは水路から上がり、彼女のもとへと歩み寄った。


「……今回はどんな依頼なの? 無茶ぶりはやめてよね」


 どこか気乗りしないのもあって、つい棘のある言い方をしてしまう。


 シンシアはそれを気にする様子もなく、口を開いた。


「とあるお届け物を、ルィンヴェル様のもとに届けてほしいのです」


「……え、どこに?」


 言葉の意味が理解できず、ボクは聞き返す。


「ルィンヴェル様のところにです。まさか、島一番の届け屋さんが無理だなんて言いませんよね?」


「いや、ボク、ルィンヴェルの住んでる場所知らないし……」


「そこはご自分でなんとかなさってくださいまし。届け屋さんの都合なんて、知ったことではありませんわ」


「うぅ……それで、何を届ければいいの?」


「――ナギサさんですわ」


 シンシアは表情を変えることもなく、さも当然のように言った。


「ルィンヴェル様のもとに、ナギサさんを届ける。それがわたくしの依頼ですわ」


 ……その直後、ボクはシンシアの意図を理解した。


「でも、なんで?」


「こうでもしないと、ナギサさん、ずっとうじうじしていそうでしたし。あの方に対する恋心、気づかれていないとお思いでした?」


 悪戯っぽい笑みを向けられ、ボクは力なく笑う。


「本当、ナギサさんらしくありませんわ。この際、やれることはやってみるべきだと思います。後悔するのは、その後でもよろしいのでは?」


「ボクらしく……」


「そうです。ナギサさんはわたくしと違って、あの方に会いに行くすべをお持ちなのですから。行動を起こすべきです!」


 シンシアはボクをまっすぐに見つめながら、力強い声で言った。


「……シンシア、ありがとう。ボク、やってみるよ」


 彼女の気持ちをしっかりと受け止めて、ボクは頷いた。


「その意気ですわ。頑張ってくださいませ」


 最後にそう言い残すとシンシアは立ち上がり、笑顔で貴族街の中へと消えていった。


 ボクはその後ろ姿を見送ったあと、親友に心の中でもう一度お礼を言ったのだった。




 それから家に戻ったボクは、おばあちゃんに今からルィンヴェルに会いに行くことを伝えた。


「そうかいそうかい。でも、せめて朝ごはんは食べておいき」


 おばあちゃんは安心した顔で言って、焼きたてのフォカッチャを手渡してくれた。


 ボクはそれをしっかりと味わったあと、出立の準備に取り掛かった。


 ◇


 準備を整えたボクは、島の北側の海に移動する。


 周囲に船の姿はなく、海鳥たちの声と、波の音だけが聞こえていた。


 そこでボクは目を閉じて、深呼吸をする。


 ――アレッタ、聞こえる? 聞こえたら返事をして。


 そのまま意識を集中し、アレッタとの念話を試みる。


 彼女が島にいる時は、かなり離れていても通話することができていた。


 二人の住む国は島の北の海底にある……そんな話を聞いた覚えがあるし、ここからならボクの声が届くかもしれない。


 ――アレッタ、お願い応えて。ボク、ルィンヴェルに会いたいんだ。


 少しずつ場所を変えながら、強く、強く心に思う。


『――ナギサお姉さま?』


 やがて、小さいながらアレッタの声が聞こえた。その瞬間、ボクは涙が出そうになる。


『よかった。やっと届いたよ』


『わたしもお話できて嬉しいです! お姉さま、どうされたのですか?』


『ボク、二人の国に行きたいの! 場所を教えてほしいんだ!』


『お任せください!』


 無理を承知で頼むと、アレッタは声を弾ませる。


『その言葉、アレッタはずっと待っておりました! ぜひともフヌケになったお兄様に活を入れてくださいませ!』


『ええっ、それってどういうこと!?』


『道案内をしながらお話いたします! お姉さま、今はどちらにいらっしゃいますか?』


『えっと、島の北側の海の上だよ!』


『それでしたら、まずはり立った大きな岩を目指してください!』


『反り立った岩……ロウソク岩のこと?』


『それです! まずはその根元に向かって潜ってください!』


「えーっと、ロウソク岩についたら、そこから海底に向かう……」


 これまで受けたことのない道案内に困惑しつつ、ボクは海の上を駆ける。


 ほどなくしてロウソク岩に到着すると、そこから大きく息を吸って、ボクは海中へと身を投じる。


 以前と同じように海魔法の力が働いているのか、どれだけ長い時間潜っても全く苦しくならなかった。


 そればかりか、冬が近いというのに海水の冷たさすらほとんど感じない。むしろ温かい気さえする。


『海に入られましたか? それでは一度海底まで潜ってください! 右手側に海底山脈が見えますので、まずはそちらに向かってください!』


『う、うん! 海底山脈だね!』


 ……その後、ボクはアレッタに導かれるままに海の中を進む。


 色とりどりのサンゴ礁や、白銀色に輝く魚の群れの中を通り抜けていくと、やがて海底山脈のふもとにたどり着く。


 ……そこには、巨大な都が広がっていた。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?