「マ.マールさん、お別れってどういうこと?」
突然告げられた言葉の意味が理解できず、ボクはもう一度聞き返す。
「言葉通りの意味でございます。先日の事件を受けまして、国王陛下が決断を下されました」
先日の事件……とは、間違いなくアレッタ誘拐未遂事件のことだろう。
「陛下は地上が安全でないという判断をし、ルィンヴェル殿下及び、アレッタ姫の帰国を命じられました」
……殿下と姫。マールさんはあえて敬称をつけた。二人の立場を強調した意味もあるのだろう。
「そ、それっていつまで?」
「ワタクシにもわかりかねます。ただ、少なくとも姫を襲った賊の正体がわからぬ限り、国外に出ることは困難かと」
「そ、そんな……せめて、最後にもう一度会えない?」
「残念ですが、国王陛下の決定は絶対でございます。ナギサ様のお気持ちは痛いほどわかりますが、何卒ご容赦ください」
マールさんは深々と一礼すると、水路へと姿を消していく。
ボクはその背を見送ったあと、呆然と立ち尽くしたのだった。
◇
それから一月ほど経過するも、ボクは心にポッカリと穴が空いたようだった。
仕事に集中してルィンヴェルのことを忘れようとするも、どこか上の空。逆にミスを連発してしまう。
「はぁ……ボク、どうしちゃったんだろう。これまで届け先を間違えることなんてなかったのに」
今日も届け先で怒られてしまい、ボクは港の食堂で黄昏れていた。
これまで培った届け屋としての自信が、どんどん失われていくようだった。
「……ナギサ、元気がないね」
「そりゃあ、あれだけ仲が良かった二人と突然会えなくなったんだぜ? ショックだって受けるだろうさ」
「女の勘だけど、それだけじゃない気がするのよね」
「そうですわね……わたくしたちに何かできることがあればいいのですが」
ボクから少し離れた席で、幼馴染たちとシンシアがヒソヒソ声で会話していた。
そんな彼らの声もボクの耳を素通りしていく。
アレッタもそうだけど、心の中に引っ掛かっているのはルィンヴェルのことだった。
会えなくなったその日から、なぜか彼のことばかり考えてしまう。
「はぁ。ごちそうさまでした」
せっかく注文した料理も半分ほどしか喉を通らず、ボクは申し訳なく思いつつも席を立つ。
そのまま水路を通って、舟屋へと戻った。
そして無人の舟屋に戻ると、これまた寂しさが増す。
二階に上がると、最近使っていないキッチンに目が行った。それと同時に、料理を手伝ってくれていたルィンヴェルとアレッタの姿が思い出された。
反射的に
それからベッドのほうへ視線を移すと、枕元に一冊の本が置かれていた。
「……そうだ。ロイから借りた本、いい加減返さなきゃ」
ボクは誰ともなく呟いて、本を手に取る。最後のページに挟んでいた、二枚の栞が床に落ちた。
それぞれ、青色と白色の羽を使った栞。それを見ていると、すごく胸が苦しくなる。
……気づけば、ボクは舟屋を飛び出していた。
◇
街の中を闇雲に走り回った末にたどり着いたのは、おばあちゃんの家だった。
ここに来るのも、ずいぶんと久しぶりな気がする。
「おや、ナギサじゃないかい。そんなところに立って、どうしたんだい」
その玄関先で石像のように固まっていると、おばあちゃんが中から顔を覗かせた。
「おばあちゃん……ボク、なんか変なんだ。胸の中が、モヤモヤして」
自分でも整理ができないまま、そう口にする。無意識のうちに瞳が潤んでいた。
「……何か訳ありのようだね。とにかく、家にお入り」
心の不安が思いっきり顔に出ていたらしく、おばあちゃんはボクの肩を抱くようにして、家に招き入れてくれた。
「……最近、何か嫌なことでもあったのかい?」
温かいお茶を出してくれたあと、ボクの正面に座ったおばあちゃんは優しい口調で訊いてくる。
「……実は、仲の良かった友達と会えなくなっちゃって」
「ケンカでもしたのかい?」
「ううん。家の事情……っていうか、もう会いに来れないって言われてさ」
ボクは言葉を選びながら、おばあちゃんに事情を説明していく。
「……それで、その子のことを考えると胸が苦しくなるっていうか」
どうもうまく説明できない。この感情はなんなんだろう。
「ははぁ。その友達は、男の子かい?」
「え? そ、そうだけど」
「一緒にいると、楽しかったのかい?」
「うん。すごく楽しかったよ。なんていうか、安心できてさ」
「なるほどねぇ」
やがて説明を終えると、おばあちゃんは意味深な笑顔を見せた。
「わかったよ。ナギサはその男の子に恋をしたんだね」
「えっ」
そう言われた瞬間、顔が熱くなった気がした。
「一緒にいると楽しくて、会えないと胸が苦しくなって、どうしようもないんだろ。それは恋だよ。恋の病さ」
「ど、どうかな。よくわからないよ」
思わずうつむいてしまう。ボクが、ルィンヴェルのことを……?
「で、でも、その子とはよく一緒に遊んでいたけど、こんなに胸が苦しくなることなんて、これまで一度もなかったよ?」
「いつでも会えていたからじゃないかい? 恋心ってのは、お互いに離れてみないとわからないもんさ」
「そ、そうなのかな……?」
「そんなもんだよ。相手方の事情はわからないけど、できることなら思い切って一度会いに行ってごらん」
そう付け加えて、おばあちゃんは席を立ち、キッチンへと向かう。
「まぁ、今日はうちに泊まって、ゆっくり考えてごらんよ。そうかいそうかい。ついにナギサに好きな人がねぇ」
続いてそんな嬉しそうな声が聞こえてきたけど、ボクの心のモヤモヤは晴れていなかった。
……ボクだって、できることならルィンヴェルに会いに行きたいよ。
だけど、彼は海の底の国にいる。その場所さえ、ボクは知らないんだ。