そんなこんなで、ボクとアレッタの二人暮らしは続く。
彼女がしっかりと留守番をしてくれるおかげで、着実にボクの仕事は楽になっていった。
アレッタも受付業務の傍ら、ロイから借りた本を読むことができると喜んでいたし。彼女にとっても天職のようだった。
「……ロイとアレッタって、仲いいよねぇ」
そんなある日。ボクは舟屋でシンシアへの手紙の返事を書きながら、そう言葉を漏らす。
「そうだね。あの子も地上の本に興味があったみたいだし、物語を紡ぎ出すロイを尊敬しているようだよ」
その呟きを拾ってくれたルィンヴェルは、本に視線を落としたまま、どこか嬉しそうだ。
ちなみに今日は休日なので、アレッタはロイの家に遊びに行っている。
それこそ読み上げた本の感想とか、二人で熱く語り合っているのかもしれない。
そんなことを考えながら、窓の外を見る。そこから見える空はすでに茜色をしていた。
時間も時間だし、そろそろ彼女を迎えに行ったほうがいいかもしれない。
「……うん。面白いお話だった」
その時、ルィンヴェルが読んでいた本を閉じる。
彼が読んでいたのは、以前ボクがロイから借りた『サラニーチェの初恋』だ。
「あ、読み上げたんだ。ラストシーン、良かったよね?」
その本を一足先に読み終えていたボクは、羽ペンを動かす手を止めてルィンヴェルに問いかける。
「そうだね……公爵令嬢が王子の婚約者として現れた時は、サラニーチェの恋路もここまでかと思ったけど、まさか王子が身分を捨ててまでサラニーチェと添い遂げるなんて。彼女の苦労が全て報われた気がしたよ」
「そうそう! まさに愛の力の勝利! って感じだったよね!」
ルィンヴェルの感想はボクのそれとほとんど同じで、つい嬉しくなる。
「物語の中だとしても、こういう恋愛って憧れるよねー。ルィンヴェルが同じ立場だったら、どうする?」
「え、僕かい?」
……言ってから、彼が本当の王子であることを思い出した。これは失言だったかも。
「うーん……そうだね。僕の場合は……」
「あああ! やっぱり答えなくていいよ! ボク、本をロイに返してくる! ついでにアレッタも迎えに行くから!」
言うが早いか、ボクはテーブルに置かれていた本をひったくると、そのまま一階へ続くはしごを滑り降りた。
◇
それから水路を駆け抜けることしばし、ロイの家の前に到着した。
水柱を発生させて石畳の上に着地すると、ボクは胸に手を当てて息を整える。
手にした本が濡れていないのが奇跡なくらい、ボクは動揺していた。
「いくら同じ感想で嬉しかったからって、あんなことを聞いちゃうなんて……これからは気をつけなきゃ」
誰にともなく呟いたあと、ボクはロイの家に足を向ける。
……するとその入口に、ロイとアレッタが立っていた。ちょうど別れの挨拶をしているらしい。
「――え」
その様子をなんとなしに見ていると、アレッタが一生懸命背伸びしたあと、ロイの頬にキスをした。
一瞬目を疑ったけど、アレッタは悪戯っぽい笑みを浮かべている。どうやら本物のキスではなく、チークキスのようだ。
えええ、あの二人って、もうそんな親しい間柄になったの!?
いやいやいや、もしかするとチークキスは
でもそれだと、ボクは一度もルィンヴェルからチークキスされたことないし……って、何を考えてるの!
目の前の光景が信じられず、ボクの頭の中はパニック寸前だった。
「あ、ナギサお姉さま!」
そんな折、こちらに気づいたアレッタが嬉しそうに手を振ってくる。
……今が夕方でよかった。街全体がオレンジ色に染まっているし、多少顔が赤くなっていても誤魔化せる。
「ロ、ロイ! これ、借りてた本!」
ボクはそんなアレッタの隣を素通りすると、耳まで赤くなっているロイの胸に本を押し付ける。
「お、面白かったよ! アレッタ! 帰るよっ!」
矢継ぎ早にそう口にすると、ボクはアレッタの返事も待たずに水路へ飛び降りる。
「あ、あの、ナギサお姉さま? 何をそんなに慌てて……」
背後のアレッタの声が遠ざかっていくのを聞きながら、ボクは全力で舟屋へと駆け戻ったのだった。
◇
それから無心で水路を駆け、舟屋へと帰り着く。
「……ただいま」
「あれ? アレッタを迎えに行ったんじゃないのかい?」
無理しすぎて重たい足を引きずりながら二階に上がると、エプロン姿のルィンヴェルがキッチンに立っていた。
バジルのいい匂いが立ち込めているあたり、夕飯を作ってくれているらしい。
「色々あってね……やっぱりあの二人、仲がいいよ」
「……?」
ため息まじりにそう口にすると、ルィンヴェルは首をかしげた。
「なんでもないよ……ボク、ちょっと頭冷やしてくる」
そんな彼に疲れた笑みを返してから、ボクはシャワー室へと向かったのだった。