その翌日から、ボクはアレッタに仕事を手伝ってもらうことにした。
といっても、彼女の仕事は舟屋での受付業務で、配達依頼のお客さんがやってきたら、念話能力でボクに教えてくれるという簡単なもの。
『ナギサお姉さま、貴族街まで魚を配達してほしいというお客様が来られました。大至急だそうです』
「わかった! すぐ戻るよ!」
アレッタの念話は島のどこにいても聞こえたので、次の仕事が格段に把握しやすくなった。
最初はうまくいくか不安だったけど、実際にやってみるとお客さんを待たせることも減って、予想以上に便利だった。これ、一度やったら抜け出せないかも。
◇
それから数日が経過し、アレッタも届け屋の看板娘としてすっかり島民に顔を覚えられていた。
「ただいまー。今日も働いたよー」
「ナギサお姉さま、お疲れ様です」
仕事を終えて帰宅すると、笑顔のアレッタが出迎えてくれる。これまでは家に帰っても一人だったので、こうやって迎えてくれる人がいるだけで安心する。
「まずはシャワーを浴びてください。これ、どうぞ」
「ありがとー」
ニコニコ顔のアレッタから手渡されたバスタオルを手に、ボクはシャワー室に足を運ぶ。
そこで髪や体についた塩を落としながら、アレッタについて考えを巡らせる。
彼女は最近になって掃除や洗濯を覚えてくれ、少しずつ地上での生活に慣れている。
今度は料理に挑戦してみたい……なんてことも言っていたし、ボクもまるで妹ができたみたいで、いつしかすっかり受け入れてしまっていた。
……これって、あの子にとってあまりよくない状況なのでは……?
『ナギサお姉さま! 緊急事態です!』
頭上から降り注ぐお湯を浴びながらそんなことを考えていた矢先、頭の中にアレッタの声が響く。
「ええっ、ど、どうしたの!?」
その声色にただならぬ気配を感じたボクは、急いでシャワーを止めると、体を軽く拭き、バスタオル一枚でシャワー室から飛び出した。
「うわぁあぁ!?」
すると、なぜかアレッタのそばにルィンヴェルがいた。
その姿を見た瞬間、ボクは声にならない声を上げてシャワー室へと逃げ戻る。
み、見られた!? いや、タオル巻いてたから大丈夫なはず……! というか、緊急事態ってどういうこと……!?
ボクは混乱しながら服を着て、再びシャワー室から飛び出す。髪は半分濡れたままだけど、この際しょうがない。
「誰かと思ったらルィンヴェルじゃないか……アレッタも、お客さんが来たら普通に呼んでよ。緊急事態だなんて大袈裟だよ」
「いーえ! 緊急事態なんです!」
思わず呆れ顔で言うも、アレッタはそう口にしながら素早くボクの背後に隠れる。
不思議に思っていると、目の前のルィンヴェルは大きくため息をついた。
「アレッタ、ずいぶん探したんだよ」
続けてそんな言葉を口にするも、ボクの後ろにいる彼女は頬を膨らませ、つっけんどんな態度を見せる。
「いくら探しても見つからなくて、ナギサにも協力を頼もうかと思っていたら……まさかこんなところにいたなんて」
ルィンヴェルはアレッタを睨みつける。まるでボクが怒られているような、そんな錯覚に陥ってしまう。
「もしかしてナギサお姉さま、お兄様とお知り合いなのですか?」
「知り合いも何も……かなり親しい間柄だけど」
そう答えると、アレッタは目を見開いたまま固まった。
「ねぇ、話の流れから察するに……アレッタのお兄様って……」
「僕のことだよ。ナギサ、妹がお世話になったみたいだね」
「えー、あー、うん、お世話しました……」
ルィンヴェルに向き直って尋ねてみると、そんな言葉が返ってきた。ボクは視線を泳がせる。
知らぬこととは言え、まさかルィンヴェルの妹さんを匿っていたなんて。
「急に王宮からいなくなって、皆心配してたんだよ。僕だって、今の今まで不安でいっぱいだったんだから」
そう言うと、ルィンヴェルは表情を曇らせる。
言われてみれば、ルィンヴェルは最近舟屋にやってこなかった。ずっと妹さんを探していたのかもしれない。
……そんな彼を安心させようと、ボクはアレッタを見つけた経緯を話して聞かせた。
「……そんなことがあったんだね。アレッタ、今回はたまたまナギサが助けてくれたから良かったものの、地上は彼女のように優しい人ばかりではないんだよ」
「でも、島民の方々は皆優しくしてくださいました!」
「そ、それも運が良かったんだよ。ほら、一度王宮に戻って、父上や侍女たちを安心させて……」
「いーえ! 帰りません! 侍女たちも
ボクを挟んで、王宮とか侍女とか、聞き慣れない単語が飛び交う。
ルィンヴェルが王子様ってことは、アレッタはお姫様ってことになるんだよね。すごい兄妹ゲンカだ。
「いつもお兄様ばかり地上で楽しい思いをして! ずるいです!」
「いや、ずるいとかじゃなくて……これは仕事のようなものだから……」
「ナギサお姉さま、聞いてください! お兄様ったら、お土産の一つも持って帰ってきてくれないんです! アレッタもミックスフライが食べたいです!」
ボクの服を掴むようにしながら、アレッタは言う。
そりゃあ、地上の食べ物を海中に持ち込んだら絶対駄目になるし。無理な相談だと思う。
「また今度連れてきてあげるから。わがままを言わないで」
「嫌ですってば! それに、アレッタは先日から、ナギサお姉さまのもとで働くことになったんです!」
「え、そうなのかい!?」
アレッタの言葉を聞いたルィンヴェルが、立ち尽くすようにボクを見る。
「そうですよ。ね、お姉さま?」
続いて、アレッタは超絶笑顔でボクの腕を取ってくる。
「た、確かに雇ったけど……ルィンヴェルの言うことももっともだよ。一度、家に帰ったほうが……」
「……くすん。ナギサお姉さまは、お約束をこんなにも容易く
顔を覆いながら、よよよ、とその場に泣き崩れる。なんだろう、この罪悪感。
「うぅ……わかったよぉ。ルィンヴェル、もう少しの間だけ、妹さんを預かってもいい?」
「それは……まぁ、ナギサになら、任せてもいいけど」
「ありがとう。一度は約束しちゃったし。きちんと守らないとね」
「ありがとうございます! やはりナギサお姉さまは、心のお優しい方です!」
「わぎゃ!?」
直後、アレッタに猛烈な勢いで抱きつかれて、ボクは床に押し倒される。
うまく丸め込まれた感が否めないけど、ルィンヴェルにとっても妹さんの居場所がわかってるほうが安心できるよね。ここなら、ちょくちょく会いにこれるしさ。
◇
……それからどこからともなくマールさんを呼び出したルィンヴェルは、彼に事情を説明。捜索隊の撤収を指示していた。
それが終わると、また明日来るからねと言い残し、ルィンヴェルは去っていった。
……やがて夜になり、ボクとアレッタは同じベッドで眠ることになる。
一階は荷物置き場も兼ねているので宿泊できる状態になく、二階は狭くて新しいベッドを置く場所すらない。しばらくは二人で同じベッドで眠るしかなかった。
「はぁぁ、今日は色々あって疲れたよ……」
「明日に疲れを残してはいけませんし、ゆっくりお休みください」
薄暗い天井に向かって呟くと、隣からアレッタの声が返ってくる。
今日疲れた原因のひとつは、間違いなくこの子にあるのだけど。
「……ところでアレッタ、ひとつ気になったんだけど」
「なんでしょう?」
「アレッタの念話って、ルィンヴェルには伝わるの?」
「もちろんです。兄妹ですから」
……やっぱり血の繋がりが濃いと、伝わりやすかったりするのかな。
「じゃあさ、なんで赤の他人のボクがアレッタと念話できるの?」
「それは……はっ。ひょっとしてナギサお姉さま、お兄様と肉体関係を持たれたとか?」
「にくっ……そ、そんなことは断じてございません!」
やけに嬉しそうに言うアレッタに対し、動揺しまくったボクは妙な言葉遣いになってしまう。
「本当ですか?」
「ほ、本当だって……はっ」
言いかけて、ボクはあることを思い出す。
……まさか、あの時のキ……人工呼吸? 思えば、誰かの声が聞こえるようになったのも、あの頃からだったような。
「ナギサお姉さまが急に黙りました。まさか、まさかまさかまさか?」
「違います! おやすみっ!」
暗闇の中でも、アレッタの瞳が光り輝いているのがわかった。
ボクはそんな彼女を全力で無視して毛布をかぶると、だんまりを決め込んだのだった。