しばし風を切ったあと、何事もなかったかのように海の上に降り立つ。
「無事に脱出できたようで、なによりだよ」
すると、すぐにルィンヴェルが駆け寄ってくる。
「あの、ナギサさんのお友達というのはこの方ですか?」
シンシアは戸惑いの表情でルィンヴェルを見る。
彼の見た目は普通の人間のそれと大差ないけど、ボクと同じように海面に立っているのが不思議なのだろう。
「モンテメディナ嬢、今は説明している時間はないんだ。一刻も早く、ここから離れないと」
「そうでございますとも! 海賊連中、脱走に気づいたようですぞ!」
そんなルィンヴェルの背後から、マールさんが唐突に姿を見せる。
喋るクラゲを目の当たりにしたシンシアは大きな目を見開き、完全に固まっていた。
そんなシンシアを尻目に、ボクは頭上の甲板へと目をやる。そこでは船長を中心に、数人の海賊たちがボクたちを見ていた。
「あのネズミども、どうやって外に出やがった!?」
「船長! 船の外壁に大穴が!」
「ちっ……あいつら、爆薬でも隠し持ってやがったのか? 逃がすな! なんとしても捕らえろ!」
続いて船長がわめき散らすように指示を出すと、無数の小船が甲板から次々と降ろされる。
「これはまずいね。早く逃げたほうが良さそうだ」
「うん! シンシア、走るよ! しっかり掴まっててね!」
ルィンヴェルの言葉に頷いて、ボクは全力で駆け出す。長居は無用だ。
「主砲照準! 撃て!」
「うわぁっ」
その直後、目の前の海に大砲の弾が着弾し、大きな水飛沫がいくつも上がる。
直撃こそしなかったものの、そのあまりの威力に思わず足を止めてしまう。
「得体の知れん魔法を使う連中め! 海の藻屑となるがいい!」
船長はそう叫びながら、執拗に砲撃を繰り返してくる。
気づけば空はだいぶ白んでいて、ボクたちの位置は船から丸見えだった。これはそう簡単には逃がしてくれそうにない。
「小ネズミちゃんたち、お散歩の時間は終わりだぜ!」
砲弾を避けるために海上を右往左往していると、背後から小型船が近づいてきて、ボクたちに銃を向ける。
「危なーい!」
反射的に水の壁を生み出して銃弾を防ぐも、小型船はどんどん距離を詰めてくる。
「これはきついね……はあっ!」
ルィンヴェルも加勢してくれ、波を起こして船を転覆させるも……数が多すぎて対処しきれない。どうしよう。
「ここはワタクシにおまかせくださいませ!」
直後にそんな声がして、マールさんがボクたちと海賊の間に割って入る。
「な、なんだこの不気味なクラゲは?」
「不気味とは心外な! これでも宮殿の近衛兵団を取り仕切る立場ですぞ!」
マールさんは憤慨しつつ言うと、その体を回転させる。
間髪を容れず、無数の針のようなものが撃ち放たれた。
「うっ、なんだこりゃ!?」
「体が、痺れる……!」
それが命中した海賊たちは苦しそうに悶えたあと、力なく倒れて動かなくなる。
もしかして、あの針って麻痺効果があるのかな。クラゲだけに。
「くそっ、妙な術を使うクラゲめ! てめぇから先に片付けてやる!」
その様子を見て近寄ってきた別の小船からそんな声が飛び、続けて銃声が鳴り響く。
けれど、マールさんの全身を覆う海水のクッションとゼリー状の体によって、向けられた銃弾は無効化されていた。
「その程度の道具でワタクシを倒そうなどとは笑止! クラゲ魔法をお見舞いいたしましょう!」
「あばばばば!?」
そんなことを考えていた矢先、今度は謎の電撃を海賊たちに浴びせていた。
……あれ? マールさんって、実はものすごく強いんじゃ?
よく考えたら、王子であるルィンヴェルの警護を単身で任されているわけだしさ。
なんにしても、マールさんが生み出してくれた好機を生かさない手はない。
「ルィンヴェル、この隙に船の側面から逃れて、島の西側に逃げよう!」
「……ナギサ、何か策があるのかい?」
「海賊たちの母船はまだ舵が直っていないはずだし、側面から逃げられれば大砲も怖くないよ。それに、島の西側には岩礁地帯があるから、小型船の海賊たちも追っては来られないはずだよ!」
「確かにその通りだね。モンテメディナ嬢にマール、準備はいいかい?」
「は、はいっ」
「もちろんでございます!」
ルィンヴェルの言葉に、二人は力強く頷く。
それを確認して、ボクたちは全力で北西に向けて駆け出す。
「くそっ、あいつら、逃げる気だぞ!」
「追撃はさせません! てやーー!」
ボクたちの動きに気づいた一部の海賊たちが小船の進路を変えて妨害しようとするも、すかさずマールさんが眩いばかりの光を放つ。
だいぶ明るくなってきたとはいえ、まだ暗い時間帯だ。その強烈な光は、海賊たちの目をくらませるには十分だった。
「さすがマールさん! 頼りになるね!」
「ふふふ、もっとお褒めくださいまし!」
ボクは思わずそう口にする。状況が好転したこともあって、軽い口調で話す余裕すら出てきた。
……そのまま一気に逃げおおせるかと思ったその時。風切り音とともに、猛烈な勢いで砲弾が飛んできた。
「危ない!」
完全に気を抜いていたボクは反応が遅れるも、ルィンヴェルが水の防壁を生み出してその攻撃を防いでくれた。
「あ、ありがとう……ルィンヴェル、あの攻撃を防げるんだね」
「ギリギリだったけどね……それよりあの船、向きを変えているようだけど」
言われて視線を送ると、先程まで船首が見えていたはずの海賊たちの母船は、いつしか側面を向けていた。
「もう舵が直ってたんだ……どうしよう」
思わず呟いた矢先、また砲弾が飛んでくる。
必死に回避したものの、このままじゃやられる。
……いや、万が一逃げ切ったとしても、船が自由に動けるのなら、奴らは腹いせに街を攻撃するかもしれない。
それだけは、絶対にさせちゃいけない。
「……ルィンヴェル、ボク、あの船を沈めるよ」
「……本気かい?」
「うん。彼らをあのままにしておいたら、間違いなく島に被害が出るだろうし。それだけは許せない。だから、ボク、やるよ」
覚悟を決めてそう口にしたあと、ボクは手を繋いでいたシンシアをルィンヴェルに託す。
さすがに彼女の手を握った状態だと、全力を出せないし。
「それじゃ、行ってくるよ」
そう言うとすぐに、ボクは海中へと飛び込む。
そのまま海賊たちの目をかいくぐるように、水中をイルカのように泳いでいく。
……これは海魔法の応用で、ルィンヴェルから教わったもの。
確実に荷物が濡れるから、仕事では一度も使っていない技だけど……今はこっちのほうが素早く移動できる。不思議と息継ぎをする必要もないし。
「くそっ、あのガキ、どこに行きやがった!?」
船長はそんなセリフとともに、手当たり次第に砲撃を行う。
ボクはそんな攻撃を嘲笑うかのように水中を移動し、船の下をくぐってその反対側に出る。
そこで精神を統一しつつ、右手を高く掲げる。それに合わせるように、海面から高い波が巻き起こる。
……この程度の波じゃ駄目だ。もっと高く、強い波を。
そう念じながら、ボクは魔力を研ぎ澄ませていく。
すると、いつしか自分の魔力が海水と混ざり合い、海と一体となっていくような感覚を覚える。
母なる海の力が自分の体を通って、天に昇っていくような、そんな気さえした。
……やがて立ち昇った波は海賊船のマストよりはるかに高く、細く変形し、それこそ巨大なナイフのようになっていた。
……これなら、いける。
「うおぉい、なんだ、ありゃあ!?」
「――やあぁぁぁっ!」
船長の恐怖に染まった声が耳に届くと同時に、ボクは掲げた右手を思いっきり振り下ろす。
それに合わせるように、海水のナイフも船に向けて叩きつけられ……一巨大な船は、一瞬で真っ二つになった。
「ば、馬鹿な! 俺様の船が!」
船長の断末魔にも近い声が聞こえる中、二つに切り裂かれた海賊船はなすすべなく海中へと沈んでいく。
それを見届けたあと、ボクはルィンヴェルたちと合流。島の西側へ向けてひた走ったのだった。