「――イグロース海賊団だぁ!」
誰かがそう叫んだ直後、大砲の音が鳴り響き……遠くの海に水柱が上がった。
それまでお祭りを楽しんでいた人々は一瞬で表情を凍りつかせたあと、我先にと逃げ出していく。
ボクは反射的に海上へと視線を送る。先程まではよく見えなかった船影がはっきりして、特徴的なドクロマークのついた旗が確認できた。
「イ、イグロース海賊団!? なんでこのタイミングで!?」
「ちっ……あいつら、復讐のつもりか」
ボクが思わず立ち上がった時、ブリッツさんが憎々しげな口調で言った。
その顔こそ赤いものの、お酒に酔っている様子は微塵もなかった。
「復讐?」
「以前、ナギサちゃんが連中から郵便船を守っただろ。あいつらにとっちゃ、メンツを潰されたようなもんだ。復讐を考えたとしても不思議はねぇ」
「あれはボクが一人でしたことだよ! 街の皆は関係ないのに!」
「誰にやられたかなんて、奴らには関係ないことだろうよ。ここしばらく静かだったのは、復讐の準備をしてたのかもしれねぇな。ナギサちゃんも変な気は起こさず、今は避難しな」
そう言い終わると同時に、ブリッツさんは大きなため息とともに立ち上がる。
「わざわざ、街が一番盛り上がるこの時期を狙ってきやがるとはなぁ……お前ら落ち着け! あれだけ離れてりゃ、大砲の弾は届かねぇ! 島の男がビビるんじゃねぇ!」
その直後、逃げ惑う人々に向けてブリッツさんは声を荒らげる。
「女と子供の避難を優先しろ! 戦う気のある奴は、武器を持て!」
続いてそんな声が飛び、混乱を極めていた港がわずかに落ち着きを取り戻した。
予想外のブリッツさんの統率力に感服していると、海賊の母船の周辺から無数の小船が港に向かってくるのが見えた。
……海賊たち、小船で島に上陸するつもりだ。
「……ナギサ君、娘を見なかったか?」
そんなことを考えていると、伯爵様が血相を変えてやってきた。
「えっ、娘さん? 知らないけど……」
というか、ボクは伯爵様の娘さんなんて知らないんだけど。
「そうか……君を応援しに行くと、船まで借りていったのだが」
……その言葉を聞いて、ボクの頭の中に一人の少女の顔が浮かんだ。
「ちょっと待って。伯爵様の娘さん、名前は?」
「シンシアだが」
「そうだったの!?」
ボクは思わず大きな声を上げる。まさか、シンシアが伯爵様の娘さんだったなんて。
そういえば伯爵令嬢だし、今になって思えば、モンテメディナって家名も同じだ。
そもそも、伯爵の地位を持つ人が島に何人もいるはずがないし、どうして今の今まで気づかなかったんだろう。
「シンシアなら知ってるよ! まだ戻ってきてないの?」
「ああ、状況が状況だし、早急に避難してほしいのだが……まさか、まだ船に乗っているのか?」
伯爵様は心配顔で言って、桟橋から周辺の海を見渡す。
沖に出ていた船のほとんどは海賊出現と同時に港へ逃げ戻っているし、大丈夫だとは思うけど……。
自らを安心させるように思いを巡らせていると、海賊たちの船団の先頭が港に迫っていた。
「島に上陸はさせないよ!」
それを見たボクは即座に桟橋から海へ飛び降りると、海魔法を発動。大波を起こして、迫りくる小型船二隻を容赦なくひっくり返す。
「伯爵様も逃げたほうがいいよ! ここは危ないから!」
伯爵様にそう伝えた時、港から少し離れた場所に取り残された小船があることに気づいた。
その船は前後から小型の海賊船に挟まれていて、完全に動きを封じられている。
そしてその船に乗っている人影を見て、ボクは背筋が寒くなった。
「シンシア!」
陽の光を反射する銀髪と、黄色のドレス姿にボクは見覚えがあった。
強引に海賊の小船に乗せられていく少女は、シンシアで間違いなかった。
「ああ、まさかそんなことが」
「伯爵様、危ねぇっすよ。お下がりくだせぇ」
同じ光景を見ていたらしい伯爵様が身を乗り出すも、戻ってきたブリッツさんによって制止されていた。
「シンシアはボクが助けてくるから、伯爵様は安全なところに逃げて!」
港に向かってきた別の海賊たちを船ごとひっくり返したあと、ボクはそう言って海上を全力で駆け出す。
……直後、目の前に大砲の弾が飛んできて、巨大な水飛沫が上がる。
「うわあっ!?」
ギリギリのところで回避できたけど、あれだけ大きな砲弾は海魔法でも防ぎきれない。
「ナギサさーん!」
その時、遠くからシンシアの声が聞こえた。早く助けに行かないと。
再度近づこうとするも、矢継ぎ早に砲弾が飛んでくる。避けるので精一杯だった。
……そうこうしているうちに、視界がぼやけてくる。魔力が枯渇しかけているのは明白だった。
「うぅっ……パレードで魔力使いまくっちゃったしなぁ……」
砲弾の雨を必死に避けながら、ボクは考えを巡らせる。
この状況だと、仮にシンシアを助けられたところで、無事に港まで帰れる保証はない。
最悪気絶して、一緒に溺れてしまう可能性まである。
……シンシア、ごめん。
考えに考えた結果、ボクは港に引き返すという苦渋の決断をしたのだった。
◇
『モンテメディナ伯爵殿。
お嬢さんの身柄は我々が預かった。無事に返してほしくば、明朝までに1000万ルリラ用意されたし。
イグロース海賊団船長 キャプテン・イグロース』
……そんな内容の封書が届いたのは、その日の夕方近くになってからだった。
中には手紙と一緒に、シンシアのものと思われる手袋と、髪の毛の一部が入っていた。
「よもや、このような手段で来るとは……」
手紙を凝視したあと、伯爵様は力なく椅子に座り込む。
対策会議の場となっている船頭ギルド内は、重苦しい空気に包まれていた。
シンシアを人質に取ったことで満足したのか、海賊たちは攻撃をやめ、あれから港の沖合に留まっていた。
「かくなる上は、聖王国の海軍に援軍を求めるのはどうだろうか」
「冷静に考えろ。今から使いの者を送ったとして、明日の朝までに間に合うはずがねぇ」
「ならば、島の自警団を総動員して救出に向かうのですか? 一方的に蹂躙されるだけでは?」
ブリッツさんや伯爵様を交えた話し合いは夜遅くまで続き、ボクはその間、ギルド内のソファでずっと横になっていた。
魔力の回復に努めながら話を聞いていた限り、妙案は浮かばないようだった。
「……もうよい。娘の命には変えられん。身代金を用意することにしよう」
伯爵様が疲れた声でそう言ったのは、そろそろ日が変わろうとする時間帯だった。
「ですが、身代金を払ったところで、連中がお嬢さんを開放する保証は……」
「そんなことは百も承知だ。だが、これ以外に方法はあるまい」
大きくため息をついてから、伯爵様は従者を呼ぶ。
……そのタイミングで、ボクはソファから起き上がる。
「伯爵様、身代金を払うのは少し待ってもらえる? シンシアはボクが助けに行くから」
「ナギサ君……体はもういいのか?」
「うん。半日休んで、魔力も十分に回復したよ」
これは嘘だった。
多少動けるようにはなったけど、実際に回復した魔力は六割ほどで、海賊相手に全力で戦えるかと言われると心許ない。
けれど、これ以上休んでいるとシンシアを救出する時間がなくなってしまう。
「夜のうちに海賊船に忍び込んで、シンシアを助け出すよ。ボクの海魔法なら、白波も立てずに海賊船に近づくことができるし」
「現状、それが最善のようだが……娘のために、君を危険な目に遭わせるわけには……」
「気にしないでいいよ! シンシアはわがままだし、突拍子もない依頼をたくさんくれたけど、ボクのお得意様で、友達だからね!」
心底申し訳なさそうな顔をする伯爵様にそう言葉を返し、ボクはさらに続ける。
「それに、ボクは届け屋だから! 必ず伯爵様のもとに、シンシアを届けてあげるよ!」
最後にそう言うと、ボクは船頭ギルドを飛び出して港へ向かったのだった。