先日の出来事から数日後。いよいよ海上パレード本番の日がやってきた。
「それではナギサさん、準備お願いしまーす!」
「は、はいっ……」
着々と準備が進む中、ボクは女性スタッフの指示を受けて、衣装を手に更衣室となっている舟屋へと向かう。
……右手と右足が一緒に出るくらい、緊張しているのが自分でもわかった。
「……あ」
その舟屋への道すがら、同じくパレードに参加する新人ゴンドラ漕ぎたちの中に、ラルゴの姿を見つける。
彼も表情は硬かったけど、ボクを見つけると小さく手を振ってくれた。
本来、新人の漕ぎ手たちはこのパレードのタイミングで衣装を用意し、デビューする。
ラルゴは少し前に衣装を手に入れていたこともあり、他の皆に比べて衣装が馴染んでいる気がした。
「はー、やっぱり緊張するぅ」
舟屋の扉を閉めたあと、ボクはため息とともにそんな言葉を吐き出す。
海上パレードは貴族街のある島の北側を出発し、中央運河を南下していくのが通例となっている。
スタート地点である島の北側は、その多くが貴族の土地ということで一般庶民は立入禁止だ。
そのぶん見物客も少ないのだけど……この島は南側に人口が集中しているので、パレードの後半になればなるほど人が多くなる。
……つまり、見物客も増えるというわけ。
家からここまで中央運河を移動してきたけど、朝から場所取りをしている人もかなりいたし、ブリッツさんいわく、観光客向けの有料席はほぼ完売しているとのこと。
運河沿いのお店の二階席は軒並み埋まっている……なんて噂も耳にしたし、相当な数の見物客が来るのは明白だった。
人でびっしりと埋まった両岸を想像するだけで、ボクは変な汗をかいてしまっていた。
「……ええい、あれだけ練習したんだし、きっと大丈夫だよ!」
自分に言い聞かせるようにそう口にしたあと、汗を乱暴に拭いて衣装に着替えてしまう。
それから改めて姿見の前に立つと、見慣れない自分がそこにいた。
白と青を基調としたその衣装は海の上を舞い踊る妖精をイメージしているそうで、ボクの青い髪と見事に調和している。
生地も薄くて風の影響を受けやすく、長い袖や帯は踊る時に映えるような作りになっていた。
「見た目の割に、動きやすいのは動きやすいんだけどねぇ……」
一人呟いて、その場で両手を広げてくるくると回転してみる。
その動きに合わせるように、特徴的な袖が優雅に宙へと流れた。
「へぇ、似合ってるじゃないか」
「へぇっ!?」
その時、突然背後から声をかけられ、ボクは変な声が出た。
とっさに振り返ると、そこにルィンヴェルが立っていた。
「ル、ルィンヴェル……いつの間に入ったの? ここは更衣室なんだから、せめてノックしてよ」
「ごめんごめん。水路から来たからノックできなくて。着替えは覗いてないから、安心して」
「当たり前だよっ!」
思わず叫んだ直後、彼の背後にある水面が目に飛び込んできた。
言われてみればここは舟屋だし、
「いよいよ本番だね。皆、楽しみにしてたよ」
「うぅ……プレッシャーかけないでよ……」
そう言ってくれるルィンヴェルに対し、ボクは身を縮こませる。
「……あれ、緊張してる?」
「そりゃあ、ボクだって緊張するよ。普段、大勢の人の前に立ったことなんてないし」
「一緒にたくさん練習したし、きっと大丈夫さ」
その直後、視線を下げるボクの肩に、ルィンヴェルは手を置く。
思わず顔を上げると、いつもと変わらぬ優しい微笑みがそこにあった。
……その笑顔を見ていると、すごく勇気をもらえる気がした。
「それにほら、この前みたいに大声で歌うわけじゃないし」
「へっ?」
そんなことを思っていた矢先、彼はどこか悪戯っぽい笑みを浮かべる。
一瞬、なんのことかわからなかったけど……すぐに先日の歌を彼に聞かれていたのだと気づき、顔から火が出そうになる。
「まさか……見てたの!?」
「うん。海の中からね」
「はぁぁぁぁ……」
当時の様子を思い出し、ボクは頭を抱えて声にならない声を上げる。
今、海水に顔をつけたら、じゅーじゅーと音を立てて沸騰させる自信があった。
「……少しは緊張がほぐれたかな? そろそろ人が来そうだから、僕はこれで失礼するよ。ナギサ、楽しんで」
最後に軽く肩を叩いてから、ルィンヴェルは海中へと消えていった。
「失礼しまーす。ナギサさん、準備はお済みですかー?」
わざわざ励ましに来てくれた彼に感謝していると、舟屋の扉がノックされ、先程のスタッフさんが顔を覗かせた。
「……あれ? 今、誰かとお話されていませんでした?」
「き、気のせいですよ! 準備できたので、今行きます!」
不思議そうな顔をするスタッフさんにそんな言葉を返しつつ、ボクは出口へと向かう。
……うん。ルィンヴェルの言う通り、楽しまなくちゃ。