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第32話『ナギサの観光案内 後編』

「この運河の水のように、淀んだ歌声でしたわ……」


「うぅ……残念だけど、これがボクの全力だよ……」


 船上で歌い終わったあと、ボクはうなだれながら席に腰を落ち着ける。


 自分で歌いながら、音程がブレブレなのがわかったし。


 周囲を行く船の乗客たちが驚きの表情でこちらを見ていたのは、きっと気のせいじゃない。


「その……ナギサ、ありがとな」


 まるでその場から逃げるように船の速度を上げながら、ラルゴがねぎらいの言葉をかけてくれる。


 ……はぁ。こんなことなら、島の聖歌隊に所属するイソラにも同乗してもらうんだった。


 ◇


 そのまま運河を南下し、やがて海に出る。


 当然波が高くなるも、ラルゴはすぐに船を安定させていた。


 それから西回りで島を北上していくと、遠くに岩礁地帯が見えてくる。


「あれはなんですの?」


「ここが本日のメインスポットの一つ! 岩礁地帯だよ! 小さな岩が無数に浮かんでるんだけど、変わってるでしょ?」


「確かに珍しい光景ですわね……もっと近づけませんの?」


「転覆や座礁の恐れがあるので、これ以上近づくのは危険です。申し訳ありませんが、ここからの景観をお楽しみください」


 シンシアは立ち上がり、目の上に手を当てる仕草をするも……ラルゴは申し訳なさそうな顔をした。


「そうですか……残念ですわ。双眼鏡を持ってくるべきでした」


 その言葉を受けたシンシアは、心底残念そうに腰を下ろす。さすがに今回の要望には応えられそうにない。双眼鏡なんて高級品、ボクたちじゃ用意できないし。


「あの岩場にはこれ以上近づけないけど、絶景を見ながらお昼にしよう!」


 ボクは仕切り直すように言って、バスケットを開く。


 そこにはイソラが手配してくれた、おばあちゃんのフォカッチャサンドが入っていた。


「……これはもしや、ナギサさんのおばあ様の?」


 サンドイッチを手渡した直後、シンシアはそれに気づいたらしい。心底嬉しそうな顔を見せてくれた。


「そうだよー。今日のために特別に作ってもらったんだ。具材にローストビーフを挟んでるんだよ!」


 以前、シンシアはローストビーフのサンドイッチがいいと言ってたし。ロイのお母さん、いい食材回してくれてありがとう。


「それじゃ、ボクたちもいただきます!」


 ボクは心の中でお礼を言って、同じくフォカッチャサンドにかじりつく。


 ちなみにバスケットにはフォカッチャサンドの他に、魚のパイとピーチパイも入っている。


 魚のパイはラルゴの好物で、漕ぎ手を頑張るラルゴのためにイソラが作ったものだ。


 ドルチェのピーチパイと合わせて、どの料理も船の上で食べやすいように配慮してもらった。


「というか、皆さんも一緒に食べるんですの?」


 口の中いっぱいに広がるお肉の味を堪能していると、戸惑い顔のシンシアがそう訊いてくる。


「だって、そのほうがおいしいよ!」


「確かに、今日の食事はおいしいですわ。不思議です」


 ボクが正直にそう伝えると、シンシアは満足げにフォカッチャサンドを口にした。


 彼女のお父さんは仕事が忙しいらしいし、従者のマリアーナさんとシンシアが食事をともにするなんて考えにくい。となると、彼女はいつも一人でご飯を食べているんだろう。


「シンシア、島の魚を使ったパイもあるから、たくさん食べてね!」


 そんな考えに至ったボクは、あえて声を弾ませながらシンシアに料理を手渡す。彼女は一瞬驚いた顔をしたものの、笑顔で受け取ってくれた。


 ◇


 食事を終えたあと、島の貴族街を海から眺めつつ、北へ進路を取る。


「このまま島の北から中央運河に入って、本日の島観光はおしまいですの?」


「ふっふっふー。実は、とっておきの絶景があるんだ」


 ボクが意味深な顔で言うと、シンシアは首をかしげた。


 そんな彼女を乗せたまま、ゴンドラはゆっくりと方向転換。運河の入口に背を向け、沖に向かって進みだした。


 正面に見えた空は、いい感じの茜色に染まってきている。


「絶景……もしかして夕日ですか? 確かに、船の上から見る夕日は美しいでしょうけど……」


 次の瞬間、ボクたちの意図に気づいたシンシアがそんな言葉を漏らすも……この展開を予想していたのか、どこか元気がなかった。


 ……ただの夕日じゃないから、安心してね!




 そのまま西に向かって船を進めることしばし。やがて遠くに高くそびえる岩が見えてくる。


「あんなところに、島があったのですか? ずいぶんと大きいですね」


「あれはロウソク岩って言ってね! あの岩山のてっぺんに夕日が重なると、まるでロウソクに明かりが灯ったように見えるんだよ!」


「言われてみれば、あの形はロウソクそのものですが……そんなことが起こるのですか?」


 ここぞとばかりに説明すると、シンシアは驚きと期待に満ちた目をボクとロウソク岩に向ける。


「これが今日の最大の目玉なんだよ! シンシア、よーく見ててね!」


 ボクが得意げに話す間も、ゴンドラは太陽とロウソク岩の位置を調整するように、その周囲を回る。


「……まずい。海流が思ったより激しいぞ。こりゃ、間に合わねぇかもな」


 ややあって、ラルゴが憎々しげにそう口にした。


「ええっ、それは困るよ! ここまで来たんだから、絶対見てもらわなくちゃ!」


「そ、そうは言ってもよ……」


 ラルゴは必死に舵を操るも、なかなか思うように船は進んでいなかった。


 この船は扱い慣れた練習船より小さい分、細かいコントロールが難しそうだ。


 そんなボクたちの様子を見て、シンシアも何かを悟ったらしい。その表情が曇っていく。


 ……こうなったら、アレしかない。


「シンシア、ボクがロウソク岩の絶景を見せてあげる!」


「え、ちょっと、ナギサさん!?」


 ボクはいても立ってもいられず、シンシアの手を取る。


「日傘と帽子はゴンドラに置いといて! じゃあ、いくよっ!」


 続いて勢いよく立ち上がると、意を決してゴンドラから飛び降りる。


「きゃあっ……あ、れ?」


 シンシアは恐怖に目を見開くも……次の瞬間には自分が海の上に立っていることに気づき、困惑の声を上げていた。


「……いったい何がどうなっているんですか?」


「これがボクの海魔法だよ! いつも海の上を走ってるの、見てたでしょ?」


「それはもちろん見ていましたが……人にも分け与えることができるのですね」


「手を握ってる間だけね! 離しちゃ駄目だよ!」


「は、はいっ……」


 そう伝えると、握られた手に力が込められたのがわかった。


「でもナギサさん、こんな魔法、学園では使っていませんでしたわ。だからわたくし、貴女のことをおちこぼれと……」


「ボクの魔法は、海水に触れていないと駄目なんだ。そんなことより時間がないよ! これからは口より足を動かして!」


 言うが早いか、ボクは海面を蹴って、船の何倍ものスピードで駆け出す。


 完全に虚を突かれたシンシアは、半分空中に浮かびながらボクについてくる形になる。


「あわわわわ、あわあわ」


 背後のシンシアが出す声にならない声を聞きながら、ボクは夕日とロウソク岩が重なる場所を探して海上を駆ける。


「ナギサ、もっと右だ!」


 その様子を見ていたラルゴが、船の上から指示を出してくれる。


 それを頼りに、ボクは微調整を続けたのだった。


「……よし、ここだ! 間に合った!」


 やがて夕日が見事に重なるポイントを見つけ、ボクはそこで足を止める。


「はぁ、はぁ、つ、着きましたの……?」


「うん! シンシア、見て!」


 肩で息をしているシンシアにそう声をかけ、空いているほうの手で前方を指差す。


 夕日に染まった空と海のちょうど中央に、完全にシルエットとなったロウソク岩が見え、その頂点に今まさに太陽が重なろうとしているところだった。


「すごいですわね……」


「うん……」


 その光景はあまりにも雄大で、圧倒されたボクたちは手を繋いだまま、しばし言葉を失って立ち尽くしていた。


 ◇


 ロウソク岩の絶景を日が沈んでしまうまで堪能したあと、ボクたちは船に戻り、帰路につく。


「素晴らしい光景でしたわ。それに、海の匂いをあんな近くで感じられるなんて。船の上とは全然違いました」


 その道中、シンシアはずっと興奮気味に話していた。


 喜んでくれたのは嬉しいけど、これって観光より、海魔法を楽しんでくれたって感じだよね。


 また今度、連れて行ってくださいませ……なんて言われたらどうしよう。


 ……そんなことを考えているうちに、貴族街の船着き場へと帰り着く。


 そこにはすでに馬車が停まっていて、マリアーナさんの姿があった。


「お嬢様、おかえりなさいませ。いかがでしたか?」


「ええ、とっても楽しかったですわ!」


 船から降り、今にも踊りだしそうな様子のシンシアを見ながら、マリアーナさんは満足そうな笑みを浮かべる。


 けれどその直後、険しい表情へと変わった。


「……あの、シンシア様のお召し物がずぶ濡れになっているのですが。これはどういうことでしょうか」


「あ」


 唐突に尋ねられ、ボクとラルゴは声を重ねる。


「……まさか、船が転覆でもしたのですか?」


「いや、転覆はしていないんですけど、えっと、そのですね……」


 鋭い目つきで睨まれ、ボクはしどろもどろになる。


 シンシアの服が濡れたのは、間違いなく海魔法のせいだ。


 いくら水の上に浮くことができるとはいえ、濡れるものは濡れるし。


 まして、シンシアは海魔法に慣れていなかった上、ヒラヒラなドレス姿だ。これで濡れないほうが奇跡だろう。


「ナギサさんがわたくしの手を取って船から飛び降りた時は、どうなることかと思いましたわ」


 一方のシンシアは状況が見えていないのか、すごく嬉しそうに語る。


「船から飛び降りた……? ちょっとナギサ様、詳しいお話をお聞かせ願えますか」


「濡れ衣だよ!」


 服が濡れてるだけにね! なんて心の中で叫びながら、ボクはその場から全力で逃げ出したのだった。



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