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第25話『島の伝統の味 前編』


 ボクは猛スピードで運河を駆け抜け、狭い水路に飛び込む。


 太陽の光を受けて輝く水面を右へ左へと走り、前方に小さな橋を確認したところでスピードを緩め、その上へと跳び上がった。


 そこからは徒歩で目的地へと向かう。


「おばあちゃーん! いるー!?」


 声を上げながら、『ブレンダのパン屋』と書かれた看板をくぐる。


 お店に足を踏み入れると、慣れ親しんだパンの香りが鼻をついた。


「おや、ナギサかい。最近は忙しいと聞いていたけど、今日は休みなのかい?」


 ボクの声に反応して、店の奥からおばあちゃんが顔を覗かせる。


「おばあちゃん! ボクと一緒に来て、フォカッチャを作って欲しいんだ!」


「話が見えないよ。もっとわかるように説明しておくれ」


 すぐそばまで駆けていって、興奮気味に告げるも……おばあちゃんはいぶかしげな顔をしていた。


 ボクは一旦深呼吸をしてから、これまでの経緯をおばあちゃんに話して聞かせる。


「……なるほど。知り合いの貴族様に、料理の配達をねぇ」


「うん。お祭りも近いし、最初はそれこそ変わった料理を探していたんだよ。でも、ルィンヴェル……友達からの助言でピンときたんだ。島の伝統の味といえば、おばあちゃんのフォカッチャだって!」


「そう言ってくれるのは嬉しいけど、私の作るパンは貴族様にお出しできるようなものじゃないよ。ただ、この島で長く作り続けていると言うだけさ」


「長く作り続けているからこそ、皆の記憶に残る、思い出の味になってると思うんだ! 少なくとも、ボクにとっては!」


 ボクは両手を広げて、必死にそう訴える。


 おばあちゃんは最初、目を見開いていたけど……やがて小さく頷いてくれた。


「……わかったよ。ナギサがそこまで言うのなら」


「ありがとう! それじゃ、ボクと一緒に来て!」


「ちょいとお待ち」


 安堵したボクがその手を掴むも、おばあちゃんはそれを制する。


「向こうでパンを作るってことは、キッチンをお借りすることになるだろ。相手の都合も考えなきゃ」


「あ、そっか……じゃあ、ひとっ走りお屋敷まで行って、話をつけてくる!」


 なるべく失礼のないようにね……というおばあちゃんの声を背に受けながら、ボクは一路シンシアのお屋敷へと向かったのだった。


 ◇


 突然お屋敷にやってきたボクにシンシアは驚いていたけど、理 由を話すと快くキッチンを貸してくれることになった。


 庶民に施すのも、高貴たるものの義務ですわ……とかなんとかシンシアは言っていた。


 よくわからないけど、ボクにとってはありがたい話だった。


 ……そしてその翌日。ボクはおばあちゃんと一緒に、朝からお屋敷のキッチンにいた。


 ここは本来、使用人さんたちが自分たちの食事を作るために使う場所らしく、かなり狭い。


 けれど、おばあちゃんいわく、これくらい狭いほうがキッチンは使いやすい……とのことだった。


「それじゃ、作るとするかね。ナギサ、手伝っておくれよ」


「うん!」


 ボクは三角巾とエプロンを身につけて、おばあちゃんの隣に立つ。


 腕まくりをしてやる気満々のおばあちゃんの前には、家から運んできた『北の小麦』のほか、様々な材料が並んでいた。


「まずは粉を量って混ぜるんだ。悪いけど、この割合はまだ教えられないよ」


 おばあちゃんはそう言うと、いくつかの袋から粉を取り出し、ボウルに入れて混ぜていく。


 やがて粉っぽさがなくなってきたら、そこにオリーブオイルを加える。


 生地がまとまったら、乾燥防止のオリーブオイルを塗ったあと、布巾で覆ってしばらく発酵させる。


「ほら、この間に焼き窯を温めておくんだよ」


「う、うん!」


 おばあちゃんに言われるがまま、ボクはオーブンの温度調節をしていく。


 その作業に四苦八苦しているうちに時間が経ち、生地は倍ほどの大きさになっていた。


「あまりやりすぎると過発酵になっちまうから、今の季節だとこんなもんだね」


 それを確認したおばあちゃんは、慣れた手つきでガス抜きをしていく。


「あんなに大きくなるのですね……」


 ちなみにボクたちの背後にはシンシアが立っていて、興味深そうに調理工程を見ていた。


「……シンシア様、せっかくですし、フォカッチャ作りを体験してみてはいかがですか」


 それに気づいたおばあちゃんは、そう言って彼女を誘う。


「え? そ、そうですわね。せっかくですし、これも社会勉強ですわ」


 シンシアは一瞬躊躇ちゅうちょしたものの、おずおずとこちらに近づいてくる。


「まずは手を洗われてください。料理をする前の作法ですので」


「え、ええ……」


 続いて水の入った桶を渡され、シンシアはぎこちない動きで手を洗う。


「手を洗いましたら、エプロンと三角巾を身に着けませんと。せっかくのお召し物が粉で汚れてしまいますよ」


 おばあちゃんは続けて言い、余っていたエプロンを手渡すも……シンシアは腰紐の部分を持ったまま、おろおろするだけだった。


 たぶん、エプロンなんてつけたことないんじゃないかな。


「シンシア、こうだよ。結んであげるから、貸して」


 いつもと全く印象の違う彼女に違和感を覚えながらも、ボクはエプロンと三角巾をつけてあげる。シンシアは髪が長いから、まとめるのが大変だ。


「準備ができましたら、この生地を小さく丸めて伸ばしてください。大きさはこれくらいです」


「わ、わかりましたわ」


 えらく気合を入れて、シンシアは生地を丸めはじめる。


 その光景を隣で見ながら、ボクも生地を作っていく。


「なんだか、小さい頃の粘土遊びを思い出すねぇ」


 言ってから、シンシアが粘土遊びなんてするはずないと、心の中で失笑する。だって、お嬢様なんだし。


 そうこうしている間に生地の成形が終わると、再び発酵させる。


 それが済んだら表面に指でへこみをつけ、オリーブオイルを塗って、塩とローズマリーを散らす。


 これで準備完了。あとは焼くだけとなった。


「……ようやく見慣れた形になりましたわ。フォカッチャ一つ焼くのも、大変な苦労があるのですね」


 オーブンの向こうで耐熱皿に並べられたフォカッチャたちを見ながら、シンシアは満ち足りた表情をしていた。


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