――本くらい、すぐに見つけてみせるからね! 大船に乗ったつもりでいてよ!
シンシアの手前、そう意気込んだものの……どういうわけか、いくら探してもその本は見つからなかった。
ラルゴやイソラにも声をかけて、手分けして島中の本屋を探し歩いたのだけど……結果は芳しくなく。
そうこうしているうちに届け屋の仕事に忙殺され、瞬く間に時間が過ぎていく。
気がつけば、期限当日となってしまっていた。
「むむむ……どうしてどこにもないんだろう……」
その日はシンシアからの依頼を最優先にし、朝から島中を探し回るも……状況は変わらず。
それらしい情報すら得られず、疲れ果てたボクはお昼の鐘と同時に、おばあちゃんの家に足を運んだ。
「はあぁ……」
「……ナギサ、なんだか元気がないね。仕事がうまくいっていないのかい?」
おばあちゃんが用意してくれたフォカッチャに、感情に任せてチーズを大量に挟んでいると、神妙な顔でそう尋ねられる。
どうやら、おばあちゃんにはすべてお見通しみたいだ。
「……お客さんから本を探すように頼まれてるんだけど、どこにもなくてさ」
「おやまぁ、届け屋はそんな仕事までするようになったのかい?」
「今回は特別だよ。その納品期限が今日の夕方まででね。憂鬱な気分になっちゃってるの」
「それは大変だねぇ。なんていう本だい?」
おばあちゃんはコーヒーを一口飲んでからボクを見てくる。
「『カナーレ群島史』っていうんだけどさ」
「はぁぁ、そりゃ、そう簡単には見つからないよ」
本のタイトルを伝えるやいなや、おばあちゃんは呆れた声で言った。
「え、どういうこと?」
「その本はね、今から三十年ほど前に出版された本さ。歴史書ってことで当時もいいお値段でね。書店には置いていたけど、実際に買える島民は少なかったんだ」
「あ、そうなんだ」
「それでいて、例の高潮被害が起こってね。ナギサも話だけなら聞いたことがあるだろう?」
「それは……もちろん聞いたことあるけど」
おばあちゃんのいう高潮被害とは、二十五年ほど前に島を襲った災害のことだ。
その年、史上最悪とも言われる大嵐に見舞われた島は、発生した高潮によってほぼ全域が浸水。島民は皆、必死に屋根の上に避難したのだとか。
その時の波の威力はすさまじく、周辺の小さな島々をいくつも沈めてしまったそうで、それまでカナーレ群島と呼ばれていたこの地域の呼び名が変わってしまうほどだった……と、小さい頃に島のお年寄りから聞いた覚えがある。
「その災害と、ボクが探している本がどう関係するの?」
「『カナーレ群島史』が出版されたのは、高潮被害より前だからね。あの水害で島の本屋が軒並み水没してしまって、本も全部だめになっちまったのさ」
「あ、そっか……いくら大事な商品でも、嵐の中に持ち出すなんてできないもんね」
「そういうことさ。それ以後、あの本は再販もされていないんだよ。さっきも言ったけど、値段が高くて誰も買わなかったからね」
「つまり、その本を入手する手段はもうないってこと……?」
ボクはショックのあまり、食事の手を止めて立ち上がる。
「可能性はゼロってことはないだろうけど、少なくとも普通の本屋には置いていないと思うよ。個人宅も……そうだねぇ。当時、歴史書を買うような物好きはほとんどいなかったから。置いているとしたら、古書店くらいかねぇ」
「古書店だね! おばあちゃん、ありがとう!」
そこまで話を聞いて、ボクはフォカッチャを手に家を飛び出す。
島には三軒の古書店があるし、きっとどこかに置いているはずさ!
◇
それから一途の望みに賭けて、ボクは島の古書店を巡るも……目当ての本は見つからなかった。
「うう……やっぱり、あの本はもう島には存在しないのかなぁ……」
ボクは肩を落としながら、最後の古書店をあとにする。
冷静になってみれば、買った人間が少なければ、それを売ろうとする人間も少ないはずだよね。
古書店の入口から空を見上げると、西のほうがわずかに赤くなっていた。もう時間がない。
「……あれ、ナギサ?」
その時、ふいに声をかけられた。視線を下げると、目の前にロイの姿があった。
「あれ、ロイ……どうしたの、こんなところで」
「それはこっちのセリフだよ……なんでナギサが古書店にいるのさ」
「えっと、実は探してる本があって……」
最近姿を見なかったこともあって、ロイに歴史書の話はしていなかったなぁ……なんて思いつつ、ボクはこれまでの経緯を彼に話して聞かせた。
「……カナーレ群島史? その本なら、うちにあるけど」
「えぇっ!?」
思わぬロイの言葉に、ボクは大きな声を出してしまう。古書店の店主さんが、何事かと店から顔を出すほどだった。
「な、なんでロイの家にあるの!? あれ、すごく珍しい本だって聞いたよ!?」
「僕のじーちゃんが変わり者でさ。島の歴史書とか古文書とか、買い集めてたんだよ」
「でもでも、高潮で島の本はほとんど駄目になったんじゃ……?」
「ほら、うちの宿屋は三階建てだし、屋根裏部屋があるでしょ。じーちゃんの本、全部あそこに保管してたんだ。だから水から守られたんじゃないかな」
……言われてみれば、ロイの書斎を兼ねた屋根裏部屋には大量の本が置かれていた記憶がある。
あそこって、そんな昔からある場所だったんだ。
「ロイ、お願いがあるんだ! その本、売って!」
「え?」
ボクはロイの手を取り、必死に頼み込む。
「うーん……本の内容は全部覚えちゃってるけど。貴族様に渡すんだよね?」
「うん! 誕生日プレゼントだって言ってたし、ひどい扱いはしないと思う!」
「そういうことなら……いいよ。他ならぬナギサの頼みだしね」
少し悩む素振りを見せていたロイだけど、やがて了承してくれた。
「ありがとう! それじゃ時間もないし、さっそく取りに行こう!」
ボクは誠心誠意お礼を言ったあと、ロイの手を取って水路へと飛び込んだ。
「うわわわわわわ!?」
そのまま水上を駆け出すと、手を繋いだままのロイは慌てふためく。
「そんな怖がらなくても大丈夫だよー。手を離さなきゃ、沈むことはないから」
混乱しているロイを落ち着かせつつ、ボクは水路を進む。
こうして手を繋いだ状態なら、ボクの海魔法は他人にもかけることができる。
今は一刻の猶予もないし、この移動方法が一番早いのだ。
「到着!」
そうこうしているうちに、ロイの家にたどり着く。
「本、取ってきて! あと、濡れないように袋に入れてくれると嬉しいかな!」
「わ、わかったから押さないでよ……」
ボクの動きに振り回され、まだ目が回っているらしいロイにそんな言葉をかけたあと、その背を押して家に押し込む。
ややあって、疲れ切った顔のロイが一冊の本と袋を手に戻ってきた。
「……あったよ。これでいい?」
その表紙を確認すると、しっかりと『カナーレ群島史』と書かれている。
「これで間違いないよ! ありがとう!」
ボクはロイから本と袋を受け取ると、万一にも濡らさないように厳重に保護する。
「代金はあとでちゃんと渡すから! それじゃ!」
改めてロイにお礼を言うと、ボクは再び水路へと飛び降りる。
そのまま海面を蹴り、全速力でシンシアのお屋敷へと向かった。
「こんにちは! ナギサの届け屋です!」
やがてたどり着いた貴族街の一角。高く堅牢な門の入口で叫ぶと、一人のメイドさんがやってきて門を開けてくれた。
彼女に案内されるがまま、広い庭を抜けてお屋敷内へと足を踏み入れる。
「……まさか、本当に見つけましたの?」
床に敷かれた絨毯から壁の装飾品、天井のシャンデリアに至るまで、贅の限りを尽くしたような光景が視界を覆い尽くす中、期待と驚嘆の感情が混ざったようなシンシアの声が飛んでくる。
……それと同時に、夕刻を告げる鐘が鳴った。
「ギリギリセーフだね。ほら、この通り」
ボクは袋から本を取り出し、シンシアに手渡す。
「確かに、本物で間違いないですわ……でも、いったいどこで。あれだけ探し回りましたのに」
「へへー、ナギサの届け屋に届けられないものはないんだよ!」
気を良くしたボクは高らかにそう宣言する。一方のシンシアは、悔しさ半分、嬉しさ半分といった表情に変わっていた。
「……こ、こほん。ナギサさん、ご苦労さまでした。本の買い取り価格ですが、9000ルリラでいかがでしょう。当然、配達料は別にお支払いします」
取り繕うように咳払いをしたあと、シンシアは背後に控えるメイドさんに目配せをする。
すると彼女は整った所作で、豪華なトレイに載せた袋を差し出してきた。
一冊の本の値段としては高すぎるくらいだし、ロイも納得してくれると思う。
「ありがとう! 今後とも、ナギサの届け屋をごひいきに!」
「……そ、そうですわね。また利用させていただきますわ」
ずっしりと重い袋を受け取って、ボクはそう言い放つ。
その時、シンシアが悪戯っぽい笑みを浮かべていたことに、ボクは気づかなかった。