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第17話『ナギサ、ルィンヴェルに叱られる』

 疲れ切ったボクが舟屋の扉を開けると、そこにはルィンヴェルがいた。


「あれ、ルィンヴェル……来てたの?」


「ナギサ、ちょっと話があるんだけど、いいかな」


 普段は優しげな表情を浮かべることが多い彼の眉は釣り上がっていて、明らかに怒っていた。


「海賊と戦ったみたいだね。僕、危ないからやめてって言わなかった?」


「え……見てたの?」


「海の上で、あれだけ激しく暴れていたらね。魔力の動きもすごかったし、遠く離れていてもわかったよ」


 ルィンヴェルはため息まじりに言う。ボクは胃が締め付けられるような感覚に襲われた。


「あ、あう……仕方なかったんだよ。困ってる人は放っておけなくて」


「それでも、相手は武器を持っていたよね? キミにもしものことがあったら、皆が心配するんだ。イソラやラルゴ、ロイ。もちろん僕もだ」


 そんな言い訳をしてみるも、ルィンヴェルはぴしゃりと言い放つ。


 彼の言葉を聞いているうちに、皆の顔が次々と浮かんでくる。


「ご、ごめんなさい……」


 今更ながら、すごく危険なことをしたという実感が湧いてきて、ボクは頭を下げる。


「……まぁ、見たところ怪我もないようだし、今回は許してあげるよ」


 少しの間があって、ルィンヴェルはそう口にする。心なしか、彼の声が柔らかくなった気がした。


 内心安堵していると、ボクの頭に柔らかい何かが触れる。

思わず目線を上げると、ルィンヴェルがボクの頭を撫でていた。


「ちょ、ちょっと! 悪いことをしたのは謝るけど、ボクは子どもじゃないんだから!」


「え、気を悪くしたかい? 妹が落ち込んだ時は、こうしてあげると元気になっていたからさ」


 つい飛び退くと、彼は困惑顔をしていた。というかルィンヴェル、妹さんがいるんだ。


「ともかく、無事でよかった。あの状況じゃ人目に触れるから、海魔法で助けることもできなかったしね」


「ルィンヴェル、海魔法が使えるの?」


「言ってなかったかい? 能力の差はあれど、異海人は生まれながらに海魔法が使えるんだ。海の中を高速で泳いでいるのだって、海魔法の一種だよ」


 言われてみれば、マールさんだって海魔法を使っていた。海の中で暮らす異海人が海魔法を使えるのは当然なのかもしれない。


「それよりナギサ、一度服を着替えてきたらいいんじゃないかな」


「えっ?」


 そんなことを考えていると、ルィンヴェルから唐突にそう言われた。


 改めて自分の身なりを見てみると、海賊と戦った際に海水を被ったらしく、それが乾いて服はカピカピ、髪はギシギシだった。今の今まで気づかなかった。


「うわ、普段はこんなことならないのにっ」


「はは、舟屋の外で待ってるよ。身支度が終わったら声をかけて」


 服の左右を持ちながら右往左往するボクを見て、何かを察したらしいルィンヴェルはそう言って建物から出ていく。


 それを確認して、ボクは着替えとタオルを手にシャワー室へと飛び込んだ。


 それから全身の塩を綺麗さっぱり洗い流し、身支度を整えて舟屋の外に出る。


「……あれ?」


 すると、外で待つと言っていたルィンヴェルの姿がない。

周囲を見渡してみると、舟屋から少し離れた橋の上で、バスケットを持った小さな女の子と話をしていた。


「ルィンヴェル、何してるのー?」


「ナギサ、終わったかい」


 声をかけながら近寄ると、どうやら彼は女の子から何か買っている様子だった。


「それ何?」


「この子の母親が焼いたクッキーらしいよ。おいしそうだったから、買ってみた」


 そう言う彼の手には、小袋に入ったクッキーが二つ握られていた。


「お母さんが焼いたクッキー、ナッツがいっぱい入ってて、おいしいんだよ」


「そうなんだね。楽しみだよ」


 クッキーが売れたのが嬉しいのか、女の子が飛び跳ねながら言い、その様子を見たルィンヴェルが笑顔を返す。


「お母さんによろしくね」


「うんっ! おにーちゃん、ありがとー!」


 やがて女の子は元気いっぱいにお礼を言って、橋の向こうへと駆けていく。


 ルィンヴェルはその子の姿が見えなくなるまで、ずっと手を振ってあげていた。


 ……こうして見ると、どこにでもいる普通の男の子だよね。

異海人の王子様! なんて言われても、到底信じられない。


「……あの子の母親、足が不自由らしいんだ」


「えっ?」


 その矢先、ルィンヴェルがボクにクッキーを渡しながらそう呟いた。


「ああ……だから、あんな小さな子が売り歩いてたんだね」


「うん。少しでも助けになればいいんだけど」


 目を伏せながら言って、彼は舟屋へと戻っていく。


 ルィンヴェルの優しさにボクもあったかい気持ちになりながら、彼の背を追って舟屋へと戻ったのだった。




 舟屋に帰宅したボクたちは、さっそく買ったクッキーをお茶請けに紅茶を飲むことにした。


 茶葉をティーポットに入れて、熱湯を注いだら蓋をして少し蒸らす。


 しっかりとお茶が出たのを確認したら、スプーンで中をかき混ぜて味を均等に。最後にレモンを添えて、完成だ。


「おまたせー……って、ルィンヴェル、何読んでるの?」


 お茶を載せたおぼんを手にリビングへ向かうと、ルィンヴェルは椅子に座って本を読んでいた。


「ああ、ごめん……テーブルの上に出しっぱなしになっていたからさ」


 そう言って彼が見せてきた本の表紙には『サラニーチェの初恋』と書かれている。ボクが先日、ロイから借りた本だ。


「ルィンヴェルって本読むの? というか、海の中にも本ってある?」


「うん。少ないけどあるよ」


「あるんだ!?」


 ボクは思わず叫び、おぼんに乗せた茶器ががちゃりと音を立てる。


「でも水に濡れたら、本って駄目になっちゃわない?」


「海魔法で海水から保護してるんだよ。詳しくは知らないけど、本の表面に薄い空気の膜を作っているんだって」


「なんと、海魔法にそんな使い方が……!」


 ルィンヴェルの話を聞いて、ボクは再び驚愕する。


 そんなやり方もあるんだ……水中で暮らす彼らならではの発想で、ボクには考えもつかなかった。まさに目からうろこだ。


「それでも、海中都市にあるのは神話や歴史に関する本ばかりで、こんなふうに恋愛を扱った物語は珍しいかな」


「そうなの?」


「うん。面白い上に勉強になるし、時々読ませてもらってもいいかな?」


「もちろんいいよ! あ、これ使って!」


 ボクはそう言って、渡り鳥の羽で作った栞をルィンヴェルに手渡す。


「ありがとう。続きが楽しみだよ」


 ルィンヴェルはそう言うと、本のベージに栞を挟んだ。


 ちなみに、ボクが使っているのは青色の羽の栞。ルィンヴェルに渡したのは白い羽を材料にしていて、色違いだ。


 二枚の栞が一冊の本に挟まっているのを見ると、二人で楽しみを共有しているような気がして、なんだか嬉しかった。


 ……でもこの本、確か女性向けの恋愛小説だったはずだよね? ルィンヴェルが読んでも面白いのかな……?


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