それからさらに二日が経過し、ボクはすっかり元気になった。
今日から運び屋の仕事を再開すると決め、真っ先にベルジュ商店に顔を出す。
「やあ、ナギサ、ついに復帰かい?」
「うん! ご心配とご迷惑をおかけしました!」
店番をしていたナッシュさんに深々と頭を下げたあと、ボクは山のように積み上がった荷物を見上げる。
溜まりに溜まった大量の荷物に気圧されつつ、ボクは配送先が近い荷物をいくつかまとめて手にする。
いつまでも休んでいたら、せっかく島の皆から得た信頼も失っちゃうし。何より借金返済は待ってくれない。
「よーし、今日からまた頑張るぞー! いってきます!」
わざと大きな声を出して気合を入れると、ボクは商店を飛び出して水路へと飛び降りる。
……うん。海魔法もきちんと発動してくれている。
足元の感覚をしっかりと確かめてから、ボクは一気に駆け出した。
最初の配達先は、ベルジュ商店から見て中央運河の対岸にある集合住宅だ。
三階建ての大きな建物は海に面していて、一階部分は
各階の住民たちが共同で移動用のゴンドラを借りているのだけど、今日は三隻のゴンドラ全てが停泊していた。
朝早いし、まだ皆外出前なんだと思う。
届け屋の仕事で一番ショックなのが、届け先が不在だった時だ。
いくら早く移動できるとはいえ、再配達は二度手間だし、住民が家にいることに越したことはない。
「おはようございまーす! ナギサの届け屋です!」
運河側から集合住宅へ近づいたボクは、足元に発生させた水柱に乗って建物の二階に到達。そのベランダから室内に声をかける。
「あ! ママー! ナギサちゃんが来たよー!」
「あら、ナギサちゃん、怪我、もう大丈夫なの?」
ボクの声にいち早く反応したのは、四歳くらいの女の子だった。ややあって、その母親らしき女性が顔を覗かせる。
「はい! 配達が遅くなって、すみません!」
笑顔を浮かべながら、ボクは荷物を手渡す。
この親子は最近島に引っ越してきたのだけど、もうボクの名前を知っているようだった。
嬉しいような、恥ずかしいような……不思議な気分だった。
「どうもありがとう。これ、配達料」
「ありがとうございます!」
「これ、中身はなにかなー?」
代金を受け取った直後、女の子が目をキラキラさせながら荷物に視線を送る。
「ふふ、おばあちゃんからみたいよ? アリサへのプレゼントって書いてあるわね」
「ホント!? 開けていい!?」
「いいけど、朝ごはんをちゃんと食べてからね」
「うん!」
なんとも微笑ましいやり取りをしながら家の中へ戻っていく親子を見送ったあと、ボクは水柱ごと隣の部屋のベランダへと移動する。
「おはようございまーす! ナギサの届け屋でーす!」
「おお、ご苦労さん。いつもすまないね」
「いえいえー、グラダおじいさん、ぎっくり腰良くなった?」
「ほっほっほ。ナギサちゃんの元気な顔を見たら治ってしまったわい」
「もー、そんなこと言って、無理しないでね! ご心配をおかけしました!」
一言謝ってから、荷物を手渡す。これでこの住宅での配達はおしまいだ。
次の荷物を取りに、ボクは集合住宅をあとにする。
「おーっ、ナギサちゃん、ついに復活か!」
そのまま中央運河を走っていると、ゴンドラの漕ぎ手をしていた男性が手を振ってくれる。
ちょうど出勤時間帯なのもあって、中型の移動用ゴンドラは乗客でぎゅうぎゅうだった。
「うん! またよろしくお願いします!」
「こちらこそだ。無理せずに頑張れよ!」
笑顔でオールを漕ぐ彼に手を振り返し、ボクはゴンドラから離れて速度を上げる。
続いて、観光船らしき船に遭遇した。
「わー、お母さん、何あれ」
「海の上を走ってるぞ。どうなってんだ?」
すると、観光客らしき人々からそんな声が聞こえてきた。
こうして驚かれるのも、もう慣れたものだった。
「彼女はこの街の名物、届け屋の少女さ。この街のどの船より早く走るんでさぁ」
その時、漕ぎ手の男性がよく通る声で言う。
いつしか街の名物にされちゃってるけど、悪い気はしない。ボクは観光船に向かって手を振る。
その直後、近くの海面が盛り上がった。
「おお、イルカさん!」
一瞬驚くも、その正体はイルカの群れだった。こんな運河の中まで入ってくるなんて珍しい。
まるでボクの復活をお祝いしてくれているようで、嬉しい気持ちになりながら並走したのだった。
◇
結局、ベルジュ商店の中に置かれていた荷物を全て配達することができたのは、お昼を過ぎた頃だった。
「はぁ、さすがにお腹すいたよ……」
鳴り止まないお腹を擦りながら、ボクは港近くのカフェに立ち寄る。
このカフェは貿易港や船員宿舎が近く、値段も手頃ということでお昼の時間を過ぎても多くの船乗りたちで席が埋まっていた。
なんとか空いている席に座ることができ、エスプレッソコーヒーとパニーニを注文する。
料理が来るまでの間、なんとなしに店内を眺めていると、近くのテーブルから船乗りらしき二人の男性の会話が聞こえてきた。
「……また商船が海賊にやられたらしいぞ」
「最近多いよな。おちおち船も出せやしねぇよ」
「しかも、かの有名なイグロース海賊団らしいぞ」
「本当かよ……あいつら、はるか北の海域を縄張りにしてたんじゃないのか」
「それが、最近この島の近くまで勢力を広げたらしい。島の北の海域には、近づかないほうがいいぜ」
……イグロース海賊団については、ボクも少しだけ知っている。
聖王国の海軍でも手を焼く大海賊団で、巨大な母船の他に、小回りの利く小型船をたくさん持っているそう。
その小型船で商船に襲いかかり、積荷や金品を略奪する……というのが、その手口らしい。
「それこそ、どこかの海軍に追い払ってもらえないもんかねぇ。この島は要所だぞ」
「むしろ、この島のある場所が問題なんだよなぁ……」
「どういうことだよ?」
「カナーレ島はちょうど三つの国の間に位置してるだろ。この島に軍隊を置くってことは、島の所有権を誇示するようなもんだ。どうしても隣国を刺激することになる」
「ああ、そういうことか……」
「だから、この島には軍隊は置けねぇんだよ。自警団が関の山ってとこだ」
「なるほどねぇ。だからこそ、海賊団もこの海域に目をつけたわけか」
「ご明察」
彼らの会話を聞いて、ボクの心はざわついていた。
島がこの位置にあるからこそ、交易や人の移動が盛んになり、ボクの届け屋という仕事も成り立っている。
その一方で、船の積み荷を狙って海賊のような悪い人たちも集まってくるわけで。
「むー、難しいなぁ」
誰にともなく呟いてから、ボクも他人事でないことに気づく。
海の上を生身で進むボクは、ただでさえ目立つ。
北の海域には、なるべく近づかないようにしよう……そう固く決心したところに、料理が運ばれてきたのだった。