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第10話『ラルゴの苦悩』


「……お? どうした。揃いも揃って」


 舟屋の前にやってきたブリッツさんに、ボクらは挨拶をする。それと同時に、強いお酒の匂いが鼻をついた。


「ほう、あのボロボロの舟屋を、よくここまで修理したな」


「……俺が手を貸せば、こんなもんだぜ」


 隣に立っていたラルゴがそう胸を張るも、父親であるブリッツさんは鼻を鳴らした。


「お前、漕ぎ手やめて大工でも目指すのか?」


「ち、ちげーよ。なんでそんな話になんだよ」


「だってお前、ここんところ操舵練習にも顔を出さねぇじゃねぇか。やる気がねぇんなら、やめてもいいんだぜ?」


「うっ……」


 ブリッツさんの言葉に、ラルゴはバツが悪そうな顔をする。


 どうやらこの舟屋のために、彼はゴンドラの練習をずっと休んでいたらしい。初耳だった。


「ブリッツさん! ラルゴはすごく頑張ってくれたんだよ! そんな言い方、やめてあげてよ!」


 居ても立っても居られず、ボクは叫ぶ。


「そうですよ。私たち、すごく助かったんです」


「あの看板だって、ラルゴが一生懸命……」


「……お前ら、いいから」


 イソラとロイがそれに続くも、ラルゴは感情を押し殺したような声でボクたちを制止する。


「……練習、今からやるよ」


「はっ、もう日が暮れるだろうが。明日だ明日」


 真剣な表情で言うラルゴに対し、ブリッツさんはひらひらと手を振ると、どこかへと去っていった。


「もう。おじさんってば、あんな言い方しなくてもいいのにね」


 ブリッツさんの姿が見えなくなったあと、イソラがぼそりと言う。


「……まぁ、練習サボってた俺にも非があるしよ。今日のところはこれで解散にしようぜ」


 続いてラルゴが言い、ボクたちはその場で別れることになった。


 やがて舟屋の前に一人残されたボクは、先程までの楽しい気分が嘘のように、虚しい気持ちではしごを上ったのだった。


 ◇


 その日の夜。ボクはランプの灯りに照らされながら、舟屋の二階で日記を書いていた。


 改修工事も終わったということで、今日からここがボクの家だ。


 これまではおばあちゃんと一緒に生活していたけど、今日からはここで一人暮らし。


 寂しくないと言えば嘘になるけど、そろそろ自分一人で生活しないといけない。


「……ふう」


 日中の楽しかった出来事を日記に書き残したあと、ボクは窓の外を見る。


 中央運河の向こうに見える繁華街はまだ明るいけど、島の大部分は暗闇に覆われていた。


 今夜は雲が多いのか、月明かりもほとんど届かない。


 なんの気なしに窓を開けると、強めの風が吹き込んできた。暗がりに向けて耳を澄ますと、風音と一緒に波の音がする。


 海側の窓を開けて目を凝らすと、時々揺らめくように光る海面が見える。どうやら、波が高いみたい。


 カナーレ島の周囲はその土地柄、突然海が荒れることがある。


 ……海は大好きだけど、こういう夜の海は、少し怖い。


 お父さんとお母さんがいなくなった時の海に重なるものがあって、いい知れぬ恐怖を感じてしまうんだ。


「……駄目駄目。せっかく楽しい一日だったんだから。楽しい気分のまま終わらないと!」


 わざと大きな声を出して、ボクは窓を閉める。


 それから室内を振り返ると、おばあちゃんの家から持ってきた両親の写真が目に留まった。


「今日もいい一日だったよ。最近、新しい友達もできたんだ」


 気持ちを落ち着かせるように、ボクは笑顔で写真に話しかける。


 そうこうしていると、気分も落ち着いてくる。さあ、今日はもう寝よう。


「ナギサ、まだ起きてる!?」


 寝間着に着替えようとした、まさにその時。舟屋の扉が激しく叩かれた。


 ボクは一階へ駆け下りて、急いで扉を開ける。


 そこにはイソラが立っていて、肩で息をしていた。


「イソラ、こんな時間にどうしたの?」


「ラルゴがいないの。こっちに来てない?」


「ラルゴ? 来てないけど……何かあったの?」


「うん……さっき、ブリッツさんに頼まれたお酒を持ってラルゴの家に行ったんだけど……おじさんは酔いつぶれて寝ていて、ラルゴの姿がなかったの」


「そうなの? この時間だし、もう部屋で寝てたとか?」


「私もそう思ったんだけど……昼間のこともあるから、少しだけ気になって船揚場ふなあげばを覗いてみたの。そしたら、ラルゴがいつも練習で使ってるゴンドラがなくて」


「まさか、ラルゴはこの闇夜の中、ゴンドラの練習をしてるの?」


「そうとしか思えないの。近所の水路は探してみたんだけど、どこにもいなくて」


「海に出ちゃったのかな……ちょっと待ってて」


 ボクははしごを駆け上がると、舟屋の二階から周囲を見渡す。


 夜に船を出す場合、船同士の衝突を避けるため、ひと目でそれとわかる明かりを持って出るのが決まりだ。


 この暗さだし、明かりを持っていれば一発でわかるはずだけど……。


 必死に目を凝らしてみるも、周辺の水路にそれらしいものは見えなかった。


「いない……ラルゴ、本当に海に出ちゃったのかな」


 街の水路でもゴンドラの練習はできるけど、より高度な操舵技術獲得のためには、海の波を相手にするのが一番だ……なんて話を聞いた覚えがある。


 昼間の出来事で頭に血が上ったラルゴが、勇んで海へ出る可能性は十分に考えられた。


「一応、ロイにも相談はしたんだけど……海のことになると、ナギサのほうが詳しいと思って。お願い。ラルゴを探してくれない?」


「もちろん! ボクがすぐに見つけてくるから、イソラは家で待ってて。大船に乗ったつもりでいてくれていいからね!」


 祈るような表情を向けてくるイソラを安心させるようにそう言って、ボクは明かりを手に水路へ身を投じた。


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