「……なんだろう、あれ」
浜辺に流れ着いたそれは、遠目に見るとピンク色をしていた。
誰かの捨てたゴミが流れ着いたのかとも思ったけど、わずかに動いている。
「生き物、なのかな?」
不思議に思ったボクは浜辺に上がり、恐る恐る近づいていく。
それは、ピンク色のクラゲだった。こんな色のクラゲ、ボクは知らない。
ボクの頭くらいの大きさで、砂の上で半分干からびている。それでも、時折触手が動いていた。
「お、お助けくださいまし……」
……あれ、今なにか聞こえた?
思わず見渡してみるも、周囲に人の姿はない。
「……まさか、このクラゲさんが喋ったとか?」
「そ、その通りでございます……そこのお嬢さん、お助けくださいまし……」
つい口に出すと、そんな言葉が返ってきた。
「えっと、君を海に入れればいいの?」
「はい。お願いします……!」
ボクは少し考えたあと、海魔法で波を起こしてクラゲさんを海へと運んだ。
直接触らなかったのは、鮮やかな色彩の生き物には毒があると、小さい頃からおばあちゃんに言われてきたからだ。
「おお……! 母なる海の力で、ワタクシの力が蘇りますぞ……!」
ややあって、海の中から声がした。
「わぁっ!?」
そして次の瞬間、球状の海水で全身を包みこんだクラゲさんが海中から飛び出してきた。
「いやはや、本当に助かりました。ありがとうございます」
「そ、そう。よかったね……」
ピンククラゲさんはボクの目の前にふよふよと浮遊しつつ、嬉しそうにそう口にする。
いや、実際に口はないし、クラゲだから表情もないのだけど、なんとなくそんな気がした。
「まさか、渦に巻き込まれてこのような場所に流れ着くとは……一生の不覚です」
続いてクラゲさんはそう言ってうなだれる。
この島の周辺は大陸からの潮の流れがぶつかる上、大小さまざまな島や岩礁が点在していることもあって、海流が複雑になる。
その影響で渦が発生しやすく、船が巻き込まれて転覆する事故も年に何回かあるくらいだ。
「ところでお嬢さん、先程の魔法は海魔法では?」
「そ、そうだけど……クラゲさん、海魔法を知ってるの?」
「ええ。まさか、地上人で海魔法が使える方に出会えるとは思いませんでした。お名前をお伺いしても?」
「ボクの名前? ボクはナギサ・グランデっていうんだけど」
「ナギサ様……そのお名前、しかと覚えましたぞ」
クラゲさんはその体を上下させる。どうやらうなずいているみたい。
「そ、それより、クラゲさんは何者? なんか話できちゃってるし、水と一緒に浮かんでるし」
「これは失礼。ワタクシ、ルィンヴェル様に仕える執事で、名をマールと申します。体を覆っている海水は、海魔法の一種でございます」
ボクの周りをぐるりと回ったあと、ピンククラゲ――マールさんはそう言って胸を張った。
……そう思えただけで、実際に胸はないけど。
「執事さんってことは、男の人なんだね……それで、ルィンヴェル様っていうのは?」
「……はっ」
ボクがそう尋ねた時、マールさんのピンク色の体が一瞬青くなった……気がした。
「ワタクシとしたことが、殿下とはぐれてしまうなど! 殿下! ご無事ですかー!」
続いて突然そう叫びながら周囲を飛び回る。
「ああっ、もしあのお方に何かあったら、アレッタ様になんとお詫びすればよいか……!」
「い、一緒に探してあげるから、落ち着いて!」
数本の触手で頭を抱えるマールさんにそう声をかける。
顔がないから表情は読み取れないけど、ものすごく焦っているのはわかった。
「マールさんが仕えてるってことは、ルィンヴェルって人もクラゲなの?」
「とんでもない! ルィンヴェル様は誇り高き
……イカイジン? カイチュウトシ?
聞いたことのない単語の連続に、ボクは混乱する。
「こうなれば、我らクラゲ族に伝わる秘術で……! むむっ、こちらです!」
そうこうしているうちに、マールさんはどうにかしてルィンヴェルさんの気配を感じ取った様子。一直線に海に向かっていく彼を、ボクは慌てて追いかけたのだった。
やがてたどり着いたのは、島の北西部。島民もあまり寄り付かない岩場地帯だった。
「いらっしゃいました! ルィンヴェル様です!」
マールさんが触手で指差す先、海に近い岩場の上に、上半身裸の男性の姿があった。
「こ、この人がそうなの? ぱっと見た感じ、普通の人間だけど……」
「異海人の中でも、ルィンヴェル様の一族は地上人に酷似しているのです。だからこそ、お忍びで地上の視察ができるのですが……なんて悠長なことを言っている場合ではないのです! 殿下―!」
マールさんが駆け寄って、その触手でルィンヴェルさんの体をゆするも……反応はない。
「まさか、もう手遅れなんじゃ……?」
「そんなはずはございません! きっとワタクシと同じく、母なる海の力が足りないのです! ナギサ様、ルィンヴェル様を一緒に海に沈めてくださいまし!」
「そんなことしたら、息ができなくて逆に死んじゃわない!?」
「異海人ですので、大丈夫でございます! さ、早く!」
「う、うん!」
マールさんに言われるがまま、ボクは気を失っているルィンヴェルさんの体を持ち上げる。
その体はかなり
やっとこのことで浅瀬に彼の体を沈めて、ボクは一息つく。
何気なく水中の彼を見ると、その体の一部に
波に揺らめくその薄青色の髪も、ボクが好きなこの島の海にそっくりだった。
「ううっ……」
ややあって、海中から苦しそうな声が聞こえた。
見ると、ルィンヴェルさんが目を開けていて、ゆっくりとその体を起こす。
「おおっ、殿下、気づかれましたか!」
「マール……僕はいったい……?」
「海中の渦に巻き込まれてしまいまして。ワタクシ共々、こちらのナギサ様に助けていただいたのです!」
矢継ぎ早に説明したあと、マールさんが二本の触手でボクを指し示す。
直後、ルィンヴェルさんはそのアクアマリンのような色の瞳で、まっすぐにボクを見てくる。
「キミが……? ありがとう。おかげで助かったよ」
申し訳なさそうに言う彼からは、その逞しい見た目とは裏腹に、どこか儚げな雰囲気を感じた。
「気にしないで! 困ってる人は放っておけない性分だから!」
なぜか感じた気恥ずかしさを隠すようにそう口にした時、彼は立ち上がろうとする。
「……くっ」
けれど、どこか痛むのか、その場に座り込んでしまった。
「あわわ、体力が消耗しているのでしょう。どこか休める所があればいいのですが……!」
マールさんは辺りを見渡すも、ここは岩場だ。休めるような場所なんてない。
「少し離れてるけど、ボクの舟屋なら休めると思うよ!」
「本当でございますか! ルィンヴェル様、ここはお言葉に甘えて、少し休ませていただきましょう!」
少し考えて、ボクはそう伝える。マールさんは全身で喜びを表現し、そう続けた。
「そうだね……少し休ませてもらおう、かな……」
ボクの言葉を聞いて安心したのか、ルィンヴェルさんは再び気を失ってしまった。
「だ、大丈夫かな……それじゃ、海水に乗せて運ぶからね」
ボクは海魔法を発動し、ルィンヴェルさんを海水で包み込む。それこそ海水で作ったベッドのようだった。
「それじゃあ、出発! マールさん、しっかりついてきてね!」
そして舟屋のある中央運河に向けて、ボクは全速力で進み始める。
これまで色々なものを運んできたけど、まさか人を運ぶことになるなんて思わなかった。