「えーっと、どこかで見たことあるような……?」
「はは、もうお忘れかな?」
男性はそう言うと、被っていた帽子を取る。青みがかった髪が露わになった。
「……ああっ!」
その髪色を見て、ボクは思い出した。あの時、座礁した船に乗っていた人だ。
「この方は、モンテメディナ伯爵様。島の貴族街に住まわれていて、今日はたまたま市場調査に来られたんだ」
思わず口に手を当てていると、ナッシュさんがそう教えてくれる。
「おじさん、そんなすごい人だったんだ!?」
「ナ、ナギサちゃん、伯爵様に『おじさん』はないんじゃないかな」
「はっはっは、けっこうけっこう。快活なお嬢さんだね」
イソラちゃんが焦った様子で言うも、おじさん――モンテメディナ伯爵様は朗らかに笑った。
「ところで、この店の店主とその娘さんから聞いたのだが……お嬢さんは変わった仕事をしているそうだね?」
「はい! 届け屋です!」
「……その話、詳しく聞かせてもらえるかな?」
力強くそう答えると、伯爵様は前のめりになり、興味津々といった様子で訊いてくる。
そこでボクは、海魔法を使った届け屋の仕事について、詳しく話して聞かせた。
「どんな船よりも、早く荷物を届ける……か。まさに、水に囲まれたこの街ならではの仕事だね」
説明を終えると、伯爵様は満足気にうなずいた。
「ふむ……私は君の仕事に興味が湧いた。ぜひ、援助をさせてもらえないだろうか」
「へえっ?」
思いもしなかった言葉に、ボクは素っ頓狂な声を出してしまう。
「私にはナギサ君と年が近い娘がいるが、情けないことにわがままに育ってしまってね。街のために頑張ろうとする君を見ていたら、応援したくなったのだよ。いかがかな?」
「えっと、突然そう言われても……」
思わず渋ると、イソラちゃんがボクの手を掴み、お店の壁際まで引っ張っていく。
「ナギサちゃん、モンテメディナ伯爵様は、この島内で強い影響力を持っているの。関係を作っておくに越したことはないよ」
そしてボクにしか聞こえないような声でそう言う。その目は真剣そのもので、普段のおっとりしている姿からは想像もできない、商売人の目をしていた。
なんだかんだで、商人の血筋なんだなぁ……なんて思いつつ、ボクは首を縦に振ることしかできなかった。
「……伯爵様、何卒ご助力のほど、よろしくお願いします」
やがて伯爵様の前に戻ったボクは、深々と頭を下げた。
「そうかしこまらなくても良い。まだ仕事を始めたばかりということだし、まずは宣伝だね。私は商店や組合をいくつも経営しているから、まずはそこを中心に『届け屋』を周知することにしよう」
「……ありがとう! 伯爵様!」
まさかの展開に喜びすぎたボクは思わず伯爵様の手を取り、再びイソラやナッシュさんを驚かせたのだった。
◇
そんな出来事から数日が経過すると、明らかに仕事を依頼してくれる人が増えた。
伯爵様の影響力すごい……なんて感動する暇もなく、ボクは仕事に追われる。
……すると、ある問題が浮き彫りになった。
「ナギサちゃん、またうちに荷物が来ているの。取りに来てくれる?」
ベルジュ商店の前の水路を通りかかった時、イソラちゃんが疲れた顔でそう言った。
配達の仕事が来るようになったのはいいのだけど、最大の問題は荷物の置き場だった。
現状、おばあちゃんの家とベルジュ商店の二箇所に荷物を置かせてもらっているのだけど、それはあくまで荷物が少ない場合の話。こうも荷物が増えてしまうと、双方に迷惑がかかってしまう。
専用の荷物置き場を早急に用意する必要があった。
「……というわけで、集配所を確保したいんだけど」
お昼休憩の時間を使って、ボクはイソラに相談しに来ていた。
お店の二階にある彼女の部屋は壁紙を含めて白で統一され、シンプルで清潔感があった。
ベッド脇の本棚に商業関係の本が並ぶ中、本棚の上に置かれたうさぎのぬいぐるみが、唯一女の子っぽさを演出しているような気がした。
「集配所って言われても……いい感じの場所、あったかなぁ」
小さなテーブルに向かい合って座る彼女は、紅茶の入ったカップを右手に持ち、首をかしげる。
「それなんだけどさ、昔、幼馴染四人で秘密基地にしてた古い舟屋があったじゃない。あれ、まだ残ってるのかな?」
「ラルゴの家の持ち物だから、たぶんまだあると思うけど……そこを使うの?」
「うん。あそこなら中央運河に面しているから、配達もしやすいと思うんだー。二階に居住スペースもあった気がするし」
「確かにそうだけど……ものすごく古いよ? 私たちが遊んでいた頃でも、二階の床、抜けそうだったから。立地は良いけど古くて売れないって、ラルゴのお父さんがぼやいてたし」
「そーなのかぁ……でも、あそこ以外に使えそうな建物はないし。一度見に行ってみるよ!お茶、ごちそうさま!」
残った紅茶を一気に飲み干すと、ボクは部屋を飛び出し、階段を駆け下りる。
「あ、ナギサちゃん、まずはラルゴと、そのお父さんに話をしなきゃ駄目だよ!」
「わかってるよー!」
背後から飛んできたそんな声をしっかりと受け止めて、ボクは水路へと飛び降りる。
目指すはラルゴの家だ。全速前進! ヨーソロー!
◇
それから水路をひた走ることしばし。ボクはラルゴの家に到着した。
ベルジュ商店からラルゴの家はかなり離れていて、本来ならゴンドラを使ってもかなりの時間がかかる。
それでも、海魔法を使って水路を走り抜ければあっという間だった。
「ラルゴー、こんにち……」
「だから、まだ早いって言ってんだろ! この馬鹿息子が!」
元気よく挨拶をしながら扉に手をかけた時、家の中から怒声が飛んできた。
……この声はブリッツさんかな。もしかして喧嘩してる?
「……あ? 誰か来たのか。おいラルゴ、出ろ」
「ちっ……」
もしかしてボク、最悪のタイミングで来てしまったのでは……なんて考えていると、明らかに険しい目つきのラルゴが出てきた。
「……なんだ、ナギサかよ」
「やぁ、ラルゴ。なんだか取り込み中みたいだね……」
目の前に現れた赤髪の少年に、ボクはそんな言葉をかける。
彼はラルゴ・ヴァーロ。イソラと同じくボクの幼馴染で、ゴンドラの漕ぎ手を目指してお父さんのもとで修行中だ。
……そのお父さんとの仲は、最近あまりよろしくないとも聞いているけど。
「誰かと思えばナギサちゃんじゃねーか。島に帰ってたのか?」
「え、えーっと。ブリッツさん、こんにちは」
ラルゴの肩越しにこちらを見る彼の父親に挨拶するも、その顔は明らかに赤い。昼間からお酒を飲んでいるようだった。
「あのー、今日はお願いがあって来たんですが」
それでも、ヴァーロ家の家主がブリッツさんであることに変わりはない。
ボクは意を決して、例の舟屋を貸してもらえないか交渉することにした。
「……中央運河にある舟屋ぁ? あれはさすがに貸せねーよ」
しかし、ものの数秒で交渉は決裂してしまった。
「ええっ……そ、そこをなんとか……もう、おじさんしか頼れる人がいないんだよ……!」
ボク思わず玄関先で平伏す。すると、頭上から困ったような声が降ってきた。
「話は最後まで聞けや。あまりにボロボロだから、すぐには貸せねぇって意味だ」
「えっ、そうなの?」
とっさに顔を上げると、ブリッツさんはお酒の入った小瓶を直接あおったあと、大きくうなずいた。
「綺麗に修繕できりゃ、すぐにでも貸してやるさ。ラルゴ、舟屋の鍵を渡してやれ。それと、お前もナギサちゃんと一緒に舟屋の様子を見てくるんだ。いいな?」
有無を言わさずといった調子で言い、その
不満顔のラルゴがその棚を漁ると、真鍮製の古い鍵が出てきた。
「……オヤジが自分で行きゃいいのに」
そしてボクのほうに歩いてきながら、そう呟く。声が小さすぎて、当の本人には届いていないみたいだった。
「まぁいいや。ナギサ、とっとと行こうぜ」
その鍵を指先でくるくると弄びながら、ラルゴはボクの脇を抜けて、表に出ていく。
どこかうんざりしたような彼の背中を、ボクは急いで追いかけたのだった。