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43・嫉妬


 * * *




「レティアの怪我は! 彼女が襲われたというのは確かなのか?」


 ゲオルクが執務室に戻ったのを認めると、ラエルは待ち侘びていたとばかりにたたみかけた。


「はい。指先に軽い怪我を負……」

「最上級のポーションを届けさせろ! いや私が持って行く」


 ゲオルクの言葉を遮りながら叫ぶと拳を握りしめ、ガタンと椅子を鳴らして立ち上がろうとする。


 ──レティアは国宝級のピアニストだ。そんな彼女の指先を傷つけるなど極刑に値する重罪。下劣極まりないその輩を思い当たる限り最も残虐な方法で断罪する……!


 周囲の温度が下がりそうなほど冷徹なラエルの気迫。

 感情の起伏が緩やかで、怒っていても顔だけは冷静な王太子が蒼い瞳に強烈な怒りの色を滲ませている。

 それを見た侍従二人が驚いて、鳩のように目をまん丸くした。


「ですから、既に治癒を終えております」

「なんだと」

「犯人を取り押さえたカルロス様が、治癒薬ポーションを使用したそうです。カルロス様が宿坊で会おうとしていた女性は、どうやら被害者のレティア・ヴァーレンとかいう針子だったようで」


「は……?」


 ゲオルクが把握してきた情報を、ラエルはぽかんと聞いていた。


 ──どういう事だ、二人は知り合いなのか?


「……カルロスはまだ王城にいるのか」

「存じ上げませんが、針子を襲った女に事情聴取を行っているのではないかと」


 カルロスがレティアとこの一件に絡んでいる。

 そんな話を聞けば、もうじっとして居られなかった。


 書類仕事を早々に切り上げて地下牢へと急ぐ。

 午後から謁見の予定が入っているが、昼食を抜けばどうにか時間が取れそうだ。


 ──カルロス。


 独房に呼び出しておいた漆黒の騎士は腕を組み、房の中の罪人を見下ろすような格好で佇んでいた。

 薄暗い独房の小さな窓から吹き込む小雨を孕んだ風が、彼の束ねた黒灰色の長髪を揺らす。


 靴音を立てながら堂々と背後に近づく王太子に気付いている筈だが、漆黒の騎士の背中がこちらを向く事はない。

 構うことなくカルロスの隣に立つと、ラエルもを冷めた眼差しで見下ろした。


「何なんだ、は」


 漂う腐臭に気付いて礼服の袖口で鼻先を覆う。

 二人の視線の先には、半分溶けた赤黒い人肉の中に白い骨を覗かせた、女の屍があった。


「後発動型の溶解魔法がかけられていたようだ」


 屍から目を逸さぬまま、カルロスが感情を含まない声で言う。


「魔法だと?」

「ああ、口封じのためのな。それも高位魔法だ。任務を遂行させたあと自動的に発動するように仕込まれていたのだろう」


 ラエルは苦々しげに眉根を寄せ、カルロスを見遣る。


「この女を裏で操る者がいたと言うことか?」

「恐らくな」

「いったい誰が、何の為に」

「襲われたのがたまたま彼女レティアだったのか、それとも彼女を狙うための犯行だったのかはわからんが。王城に出入りする高位魔法使いについても、魔導士のツテを辿って探りを入れてみるつもりだ」

「……ああ、頼む」


 カルロスもまた、稀有な存在である魔導士の一人だ。

 いくら魔導士であっても人の心を読む事はできない筈だが、ラエルの心中を察したように二の句を継いでくる。


「王太子自ら罪人の顔を拝みに来るほどの大事件でもあるまい。あなたが俺を地下牢ここに呼びつけてまで罪人に会おうとしたのは、レティア・ヴァーレンがこの事件の被害者だからだろう?」


 図星を刺されたラエルはうぐ、と喉を鳴らした。


「カルロス──。君がレティアの知り合いだったとはな」


 今朝、国王との接見を済ませたカルロスが宿坊に向かっていたのは、レティアに会おうとしていたからだと知れば……おのずと彼らふたりの関係性が気になってしまう。

 そんなラエルの複雑な心中をよそに、カルロスは淡々と状況の説明を続ける。


「レティア・ヴァーレンの傷だが。治療が遅れていれば危うく指を失っていたところだった」


 治癒薬のポーションは『受けたダメージを消し去って元の状態に戻す』事はできても、完全に形が失われてしまったものを元通りにする事はできない。


 カルロスはなおも恐ろしい事をさらりと言ってのける。


「この女は、薬剤をレティアの顔面に塗布しようとしてたんだ」


 ──カルロスがあの場に居合わせなければ、レティアの美しい顔貌かおは今頃──。


 顔面どころの話ではない。

 薬剤は肉や脂肪を溶かしただけでは飽き足らず、頭蓋まで容赦なく達していただろう。そうなれば命さえもあやうかった。


「…………ッ」


 元は女の身体だった、異臭を放つ赤黒い汚泥のようなものがグチャッと音を立てて崩れた。

 想像以上の事の辛辣さに、流石のラエルも冷静さを欠いて絶句する。


「今回ばかりは礼を言うよ。レティアを救ったのは君だ」

「いや。たまたま運が良かったのさ、彼女も……俺もな」


 呟くように言うと、カルロスは独房に背を向けて歩き出す。

 ラエルも踵を返し、彼に続いた。


の居酒屋のピアニストは、彼女……レティア・ヴァーレンだったのですね」


 それまで無遠慮だったカルロスの口調が、いつも通りのかしこまったものに戻る。


 ラエルがレティアと王都のバールで再開したあの日、取り押さえた暴漢の身柄を引き取りに来たのは警吏騎士団長のカルロスだ。

 しかしラエルは意図して、事情聴取しようとした彼にレティアを引き合わせなかった。


「カルロス、私も君に尋ねたかったのだ。レティアと君は」


 ──どういう関係なんだ……?


 漆黒の騎士が不意に立ち止まる。ラエルと同じディープブルーの瞳が、牽制するように瞬いた。


「言ったでしょう、口説いている女性がいると。いくらだからと言って、これ以上の詮索は野暮! あとは適当に察してください」


 漆黒の騎士の薄い唇が茶化すように柔らかな弧を描く。


「俺はそろそろ王都に戻らねばなりませんので、ここで失礼します」


 言えば軽く会釈をし、靴音を響かせて場を去ってしまう。

 そんな彼の不敬に憤りはおろか、むしろ清々《すがすが》しい潔ささえ感じてしまうのは──。


 カルロス・ガローが、ラエルの王立学校時代の級友であり、互いに認め合った唯一無二の《親友同士》だからだろう。


 地下牢の入り口を背にして足を早めながら、カルロスもまた複雑な想いを抱えていた。


 ──レティア・ヴァーレンとラエル殿下との間にどのようながあるのかは知らないが。覇聖剣エクラの奪還に国王陛下が関わっている可能性がある以上、俺がレティア・ヴァーレンに近付いた理由を王太子であるラエル殿下に知られるわけにはいかない。



 逃げるように去ってしまったカルロスの素っ気ない態度に苦笑いのラエルだが、そんな彼に嫉妬もしている。

 できる事なら自分も、カルロスのように奔放に生きてみたかった。


 ──ったく。横柄で無口で秘密主義なところ、昔から変わっていないな……奴は。


「これ以上の詮索は野暮、か」


 意味深なカルロスの言葉を反芻し、顎に拳を当てて考えに耽る。


 ──そういえば、色恋沙汰に関することを奴と話した記憶が無いな。


 それは当然だったと言える。

 王立学園時代から連れ立って歩いていたラエルとカルロスは、数多の令嬢たちから熱い視線を投げられていたものの、彼ら自身が甘い恋バナを語り合った思い出は一度もない。


 だから尚更、得られなかった答えが気になってしまう。


 ──奴の口からあんな台詞セリフが出るとは、意外すぎるだろう……!


『言ったでしょう、口説いている女性がいると。』


 ラエルを仰ぎ見たレティアの、憂いをはらんだ寂しげな笑顔を思うと、凪いでいた心に白波が立ち始める。


 ──今まで恋情というものに微塵も興味を示さなかったカルロスが、レティアを口説いている。


 カルロスが恋慕する相手が面識のない女性なら容易く聞き流せただろう。

 けれど攻略対象が今まさにラエル自身が気にかけているレティア・ヴァーレンだという時点で、カルロスの『口説いている』発言は特別な意味を持ったと言える。


 返答の代わりに放たれた矢のような事実がぎる。

 何気ないその一言はラエルの胸を刺し貫いて、想定外のダメージを与えた。


 ──レティアの事が気になって仕方がないとはいえ、私は婚約者がいる身だ。カルロスの恋路の邪魔をする権利など無ければ、親友としては寧ろ背中を押してやるべきじゃないのか?


「…………ッ」


 漆黒の騎士とは対照的な、純白の礼服を纏った王太子は──顎に拳を当てたまま、床に足裏を貼り付けられたように動けなかった。






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