翌朝は晴天であった。
窓を開ければ、小鳥たちの無邪気な囀りと早朝の清々しい空気が寝室に舞い込んでくる。
ペンキで塗り広めたような青色がどこまでも続く空を仰ぎ見て、レティアは大きく深く息を吸い込んだ。
「気持ちいい……!」
ミアはと言うと、起こそうとしても「もうちょっと」という寝言じみた声を漏らすだけで埒があかない。
──昨日も遅くまで針仕事をしていたから、仕方ないわね。
そう言うレティアも十分には休めていないのだが。
それでも、今日もドレスの修復を駆け足で進めていかねばならない。
昨日の夜中に可愛すぎる子犬に遭遇したあとは、針仕事を続ける気持ちが遠のいてしまい、仕方なくベッドに潜った。
あの子犬はどこから来たのか、王宮に住まう誰かの飼い犬なのか、ふわふわでいい匂いがした……なんて想いに耽っているうち、いつの間にか眠ってしまったようだ。
── いきなり抱っこして驚かせちゃったけど、眠れたのはあの子のおかげ。
子犬を慈しみながら頬を緩めていると。
午前7時きっかりに朝食が運ばれてきたので、もう何度目か忘れてしまったミアへの声かけをしたが、やはりむにゃむにゃと身体をごろつかせるだけで、一向に起きそうもない。
そう言えば、と思い出す。
アンブレイスへの出勤も、いつもミアは誰よりも遅く、遅刻寸前だ。
──きっと明日もこの調子ね……?
仕方なく一人ぶんの朝食を先にいただく事にした。
食べ終わったら、早速昨日の続きに取り掛かるつもりだ。
「……でも困ったわ。今縫ってるリボンを仕上げたあとは、ミアさんに指示をもらわないと進められない」
ミアは次々とレティアに仕事を言いつけるものの、縫製の仕方や縫い付け方のチェックがとても厳しい。同じように見えても、微妙に縫い方の指示が違っていたりもする。
ソワイエールの称号を持つミアの拘りには敬服するばかりだが、逆に言えば、ミアの指示が無いままでは勝手に仕事をしかねると言うことだ。
案の定、リボンは半時間ほどで仕上がり、することがなくなってしまった。
「今夜は眠る前に、ミアさんに作業メモを書いてもらおう……っ」
針と糸を置いて作業台から立ち上がり、トルソーへと向かう。
トルソーにはリボンが引きちぎられたドレスが着せられており、痛々しいほど哀れな姿を晒しながら佇んでいた。
「……可哀想に」
労わるように囁きながら、そっとドレスに触れる。
このドレスも、アンブレイスの仲間たちが精魂を込めて仕立て上げた一着だった。
昨日の納品に間に合うよう、シーラをはじめベテランの針子たちが徹夜も厭わぬ覚悟と熱意を持って仕立てていたのを、レティアはそばでずっと見てきた。
そうして仕上がった衣装は単なる『物』ではない。
ソワイエールの魂とも言える職人技と技術のすべてが詰まった、唯一無二の『作品』なのだ。
「大丈夫よ。ちゃんと直してあげるね」
無惨に裂かれたドレスの裾にレティアが目をやった、その時だ。
コンコン、と窓硝子を叩く音がして、ほとんど反射的に振り向いた。
「…………っ」
あまりの驚きに自分の目を疑ってしまう。
はっと息を吸い込んだまま、動けない。
──まさか……! どうして……?
仕事部屋のバルコニーに面した窓の外に、覚えのある人の姿を認めたからだ。
「ラエル……?!」
ふと、既視感のような感覚に陥った。
昨夜、外のテラスからレティアを見つめていた白い子犬の姿と、白っぽい服を着て窓の外に佇む美貌の青年の姿が重なったからだ。
──私ったら、ラエルに会いたいばっかりに、幻でも見てるのかな。
再び窓が指で叩かれて、はっと我にかえる。
漆黒の騎士服は着ていないものの、窓の外に立っているのは夢でも幻でもなく、治安部騎士団副団長のラエルその人に違いなかった。
「まっ、待っててください……すぐに行きます!」
慌てて駆け寄ると、鍵を外して扉を開ける。
「……あ、あの……」
また会いたいと密やかに想いを募らせていた相手が、目の前にいる。
レティアを見下ろす宝石のような
「久しぶりだね」
「ラエル……?」
思いもよらぬ再開。居酒屋で会った時と変わらない端正な面差しに釘付けになる。
互いに見つめ合ったまま、しばらく動けなかった。
──やはりレティアは綺麗だ。今までも綺麗だと思っていたが、陽光の下で見る彼女は──。
まるで後光が差す女神だ、とさえ思う。
目覚めると同時に、執事のゲオルクを呼びつけた。
ゲオルクに事の一部始終を調べさせ、レティアが王城に滞在している事実と理由を確かめると、居ても立ってもいられなくなった。
「…………ッ」
ラエルは驚いていた。
激情に突き動かされて行動するような荒々しい性分が、自分に備わっているとは思わなかった。
何をしていてもどこか醒めていて、何に対しても冷静さを失う事など無かった、この自分に。
「…………っ」
レティアも驚いていた。
視線を捉えて離さないラエルの瞳が、とても切なく揺れるから。
──この物言いたげな眼差しは……?
まるで離れて暮らす恋人に、数年ぶりに会ったかのような。
──恋人にだなんて、私ったら何て烏滸がましい想像を〜〜〜っ
しばらく見つめ合ってしまった気恥ずかしさは相手も同じだったようで、ふたり揃ってふっと顔を逸らせる。互いに顔が赤い。
「あの……どうして」
「ああ、いや! その……。仕立屋の針子として、君がこの部屋に滞在してるって聞いたものだから」
──顔を見て話したくなった、なんて言えるはずがないだろう……!
レティアが王城に滞在しているからと言って、ラエルがレティアの部屋まで会いに来る言い訳にはならない。
二十六歳の自分より六つも歳下の、恋人でもない女性の部屋に突然押しかけるなど、ストーカーじみた変態のすることじゃないのか。
「…………ッ」
ようやく冷静になってみると、自分は何をしでかしたのだと項垂れて、ラエルは顔を背けたまま前髪をぐしゃりと掴んだ。
──レティアが美しい顔で私を見上げてくる。頼むから、そんな潤んだ目で見ないでくれ。自制心が砕けてしまいそうだ。
自制心が砕けそうだと気づいて、ラエルはそんな自分の気持ちに困惑してしまう。
──何を言ってるんだ、昨夜から変だぞ……? どうした、私はいったい何と戦ってるんだ!
「いえ、そうじゃなくて。何故あなたが
気づけば、ラエルが着用している白とグレーの配色の礼服を、レティアが訝しげな目で見ているではないか。
──私としたことが、こんな単純な失敗をしでかすとは。レティアにとって私は王都の警吏騎士だ。騎士服も着ずに普段着の状態で王城にいるなど、怪しまれるに決まってるじゃないか!
子犬の姿だったとはいえ、ぎゅっと抱きしめられた余韻が消えず、感情が
いつもの自分なら、このような単純な失敗は絶対にしないと自負できる。綿密に計画を練った上で作戦を実行するのは基本中の基本だ。
なのに、何故だか……完全に自分を失っている。