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39・ふたつのオルゴール


 *



 一目散に庭園の小道を駆け抜けると、子犬はバラ園に設えのあるガゼボの中に身を隠した。


 吐く息が荒いのは思い切り走ったからなのか、それとも想定外の出来事が起こった所為なのか。


 ──レティア・ヴァーレンが何故、王城ここに……?!


 眠れぬ夜。

 宵闇の深さに気が滅入り、王太子ラエルは目立たぬ子犬の姿となって、月夜の中庭をあてもなく歩いていた。


 夜風に乗って届いた覚えのあるオルゴールの旋律に驚いて、音の発生場所を探った。

 幸運なことに、優れた聴覚を持つ犬の姿はかすかな音のみなもとを探るのに都合が良かった。

 犬の耳をそば立てながら音の出所にたどり着けば、その部屋に居たのはレティア・ヴァーレン。王都の居酒屋のピアニストだ。


 ──他人の空似だろうか。


 いや、のビジュアルを見間違えるはずがないと自らを戒める。


 改めて「あれは確かにレティアだった」と認めれば、今度は別の理由で鼓動が速くなる。

 薄い寝衣にナイトガウンを羽織っただけのレティア・ヴァーレンは、胸元に子犬を抱き上げ、ぎゅうっと抱きしめて頬ずりをしたのだ。

 あの時、犬の……ラエルの視界は、完全にレティアの柔らかな胸の中に埋まっていた。


『ウグ……』声にならない声が、犬の口元から漏れる。


 もしも自分が今、人の姿をしていれば。

 顔中が赤く火照って、目も当てられないような、だらしない様相を極めているはずだ。


 ──あんな美人の胸に突然抱かれたのだから、仕方あるまい!

 内心でそんな言い訳をしてみたものの、子犬の頬はまだ熱を持ったままだ。


 ザントライユ王家専属の魔導士に作らせた、人の容貌を犬の姿に変える《変身薬》の効き目は、ちょうど半時間。元の姿に戻るための《逆行薬》を飲まなくとも、そろそろ効き目が切れる頃ではあるのだが。

 子犬がぶるりと身体を震わせると、被毛の下から小さな白い粒が転がり落ちた。それを器用に舌先で拾い、奥歯でガリリと噛み砕く。


 錠剤の破片が喉元を落ちるのとほとんど同時に、子犬の身体がみるみるうちに変化を遂げていく。先ほどまで小さな犬の姿だったそれは、あっという間に背高い体躯のヒトの形を成した。

 清潔なシャツにブレーといった軽装のラエルは、口元に手を当てて秀麗な面輪おもわを歪ませる。


 ──それに何故、レティアの部屋から《私が持つものと同じ》オルゴールの旋律が聴こえたのだ……? 




 自室に戻ったラエルの足は、導かれるように部屋の奥へと運ばれた。

 豪奢なコンソールに囲まれた暖炉の上に、は静かに置かれている。


 ラエルが知る限り、その《オルゴール》は物心ついた時からずっと変わらずその場所にあって、まるで景色の一部と化したように部屋の空気に溶け込んでいた。


「……ここにある事さえも忘れていた」


 小さく独り言を呟いて、オルゴールを手に取る。

 ラエルの手のひらにすっぽりとおさまるサイズのそれには、銀製の蓋の表面を埋め尽くすように様々な宝石が貼り付けてある。


 清掃時にメイドが磨き上げているのだろう。

 オルゴールの本体は、少し傾けただけでも薄暗い部屋の照明の下に眩しいほど、昔と少しも変わらぬ煌めきを見せた。


 躊躇う事なく蓋を開けると、内部の櫛歯が金属板を叩き、品の良い、繊細な音を奏で始める。



 ──間違いない。レティアの部屋から聞こえたオルゴールの音も、やはりこの曲だった。



 幼少の頃、乳母を差し置いて王妃である母が直々に、この旋律に乗せた『子守唄』を聴かせてくれたものだった。



 かそけき森の上

 かがやける星ひとつ

 まきばの風やさしく 愛のうた奏でる

 ひつじもこやぎも 母にいだかれ・・・



 もう歌詞のほどんどを忘れてしまったが、確か歌い始めはそんな感じだったと、幼子の頃の記憶に想いを馳せる。


 ──あの頃の私は、この音を聴くと安心できた。


 怯みそうになる幼な心を、オルゴールの優しい旋律に幾度癒されただろうか。

 白鷺が羽を広げるようだと称賛される美しいロスフォール城には、《魔物》が棲んでいる。

 ザントライユ王家でただ一人の後継ぎだという重責、不安、孤独──。

 それは、王太子ラエルが自ら創り出した、ラエルにだけ見える魔物だ。


 ──王都の民が知るよしもない旋律メロディーが、何故、レティアの部屋から。


 二十六年前。

 ザントライユ王家、第一王子生誕の記念に宮廷作曲家に作曲させたという《あの曲》は、一般には公表されていない筈だ。


 当時の第一王子であり、現王太子であるラエルは、抱き上げられた時に間近で見たレティア・ヴァーレンの美しい笑顔と、子犬の姿をした自分を見つめる彼女の澄んだ眼差しをあおい双眸の奥に映していた。





 * * *




 スミレ色のナイトドレスの裾から出した足先を、ダン! と床に踏み締める。

 この苛立ちと怒りは、いったいどうすればおさまるのだろう。


 ──明日にでも宝石商を呼ぶわ。イライラした時は買い物をするのが一番ですもの……!


 自国から取り寄せた香炉から甘い芳香が立ちこめる寝室で、自分の身体には大きすぎるベッドにダイブする。

 八つ当たりするように枕を抱きしめると、アーナスは回廊の片隅で立ち聞きしてしまったメイドたちの会話の一部始終を思い起こした。


「ここ最近、アーナス様の機嫌がいつにも増して悪くて」

「噂によると、殿下との仲が穏やかじゃないとか……」

「アーナス様が謁見の間に怒鳴り込んで、議会を中断させたのですって。ゲオルク様が前代未聞だと怒り散らしておられたわ。お姫様の傲慢さもここまで来れば、ラエル殿下も庇いようがない。婚約者があんなふうだと、頭が痛いでしょうね」

「なるほど……それで仕立て上がったばかりのドレスが?! お針子さんたちは、とんだとばっちりだこと!」

「本当にお気の毒。今回もふたりの針子が王城に監禁状態ですもの」

「アーナス様が指名されたうちの一人は、使い物にならない素人同然の新入りですって」

「知ってる……! あの綺麗な子でしょう?」

「見た目は地味なのに、天然の綺麗さっていうのかしら。あの子を着飾らせたら、アーナス様を凌ぐ美貌よきっと!」

「ふふ、アーナス様ったら、彼女に嫉妬なさったのでは?」

「そうね、綺麗な女には冷たく当たる方ですものね!」


 ──胸糞悪いったらないわ。


 アーナスを苛立たせているのは、他でもない。

 メイドたちからの悪態なら聞き慣れている。王太子の婚約者ともあろう者が、メイドごときの悪口をいちいち気にしている場合ではない。

 アーナスとて、そのくらいの矜持は持ち合わせている。


 けれど……!

 下民の、新人の針子などと比べられたとなれば話は別だ。

 ましてや、アーナスの美貌がその女よりも劣っているなど、聞き捨てならない。


 ──本当にムカつく……あのレティアとか言う、針子風情が……!!


 湧き上がるこの苛立ちと悔しさを、どうにかして鎮めるべきだ。

 もしも、このまま募らせてしまったら──・・・


「わたくし、あの女を殺してしまうかも知れないわ」


 人を死に至らしめる毒薬なら、今も手中にある。

 自国デマレ家の魔導士に、家族を殺すと脅して特別に作らせた《絶対に証拠の残らない秘薬》が。


「……さて。明日はどんな仕打ちを与えてやろうかしら?」


 める? 

 おどす?

 はずかしめる……?


 こんなふうにレティアを陥れる方法を考えていると、高揚するような興奮によって苛立ちが少しおさまった。


「そうだ……ふふ、がいいわ……! あの女が泣き喚く顔を見れば、多少は気が済む……!!」


 まるで幼な子が新しい悪戯を思いついたかのように、アーナスは17歳の少女のあどけない顔に不適な微笑みを浮かべる。


「針子の代わりなんて幾らでもいるんだから。使い物にならなくなったらさっさと捨てて、新しいのを呼べばいい。レティア・ヴァーレン……おまえの憎たらしい顔を、ふためと見られないようにしてやる。当分立ち直れないかも知れないけれど、死ぬよりはマシでしょう」


 ああこれで良く眠れそうだわと、ふかふかの寝具に身を沈ませる。

 数分後、アーナスは薄らと微笑みを浮かべながら、すやすや寝息を立てていた。






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