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36・理不尽な滞在



 * * *




「ミアさんまで、すみません……私のせいで」


 パチン、パチンと小鋏を打ちながら、レティアは心から申し訳なさそうに項垂れる。

 薔薇宮殿の一室でしばし待たされたあと、部屋を移動した。

 与えられたのは寝室付きの相部屋で、メインルームはそれなりに広い。ベージュと白で纏まった内装はこざっぱりと整っていて、大きな窓が南側にあるため明るく快適そうだ。


「別にあんたのせいじゃないわ。アーナス様の虫の居所が悪かっただけ。気にしないで」

「でも」

「喋ってる暇があるなら仕事をして。」


 鋏を扱う手が止まってしまったレティアを諭すように、ミアが打ち明ける。


「アーナス様の嫌がらせには、もう慣れてる」

「ぇ……?」

「と言うか。目をつけられたのがあんたと私で良かったわよ。あんたが来るちょっと前なんて、シーラさんとアネットさんが居残りさせられたのよ? あの時は工房の仕事自体が進まなくなって、大事なお客様にも散々迷惑をかけた」


 店長のシーラと、ベテラン揃いの針子の中でも腕利きのアネットを取られてしまっては、工房が立ち回らなくなるのも納得だ。


「居残りって、どれくらい……?」

「あの時は三日だった。ほら、シーラさんたち二人なら最強って言うか? 仕事も早いしね」

「確かにそうですねっ」


 ふたりの間に、ふ、と笑みが漏れるが、自分たちの置かれている状況を思えばとても笑ってはいられなかった。

 ふたりが腰掛けているカウチの脇には大きな箱が置かれていて、引きちぎられた薔薇の形のリボンが原型を留めずに山盛りになっている。

 これら全ての縫糸をほどき、傷んだ箇所を切り取って新たな薔薇の花に仕上げる。更にはそれらをドレス本体に縫い付けるという気が遠くなるような作業が待っているのだ。


「……どのくらい掛かりそうでしょうか」

「できるだけ手を休めずに続けたら、七日もあればどうにかなるんじゃない?」


 七日と聞いて、レティアの頬が蒼白になる。

 せめて家で待つ家族にだけは、どうにか所在を知らせてもらえないだろうか。


「もしかして家族のこと心配してる? それなら平気よ。シーラさんの計らいでアンブレイスの誰かがこの事、伝えてくれるはずだから」


「本当ですか?!」

 安心して、つい声を上げてしまったレティアに、ミアは。


「私が嘘を言うとでも……?」

「いえ、そういう意味ではっ」


 あのとき間違った薔薇の本数を伝えたじゃないか、なんて事実はさておき。 


 ──良かった……。


 レティアはほっと胸を撫で下ろす。ミアの言葉を信じるなら、少なくとも母親と弟を心配させずに済みそうだ。


 ──ワームテールさんも心配するでしょうけど、こればかりは仕方がないわ。無事に帰れたら謝りに行かなきゃ。


 パチン、パチン……パチン。


 静かな部屋の空気に、糸切り鋏の小気味よい音が響いている。

 しばらくのあいだ黙々と作業し続けていたが、ミアがふと手を止めた。


「このまま続けてて。あたしは先にを縫っとく」


 顎でしゃくるようにして、ミアは鮮やかなピンク色のドレスが着せられたトルソーを指した。

 アーナスのを受けたのはサテンのリボンだけではない。ドレス本体も相当なダメージを受けており、もともと薔薇が縫い付けられていた場所の生地が無惨に破れている。


 立ち上がって裁縫箱を覗いたミアが、頓狂な声を上げた。


「何よこれ……糸が入ってないじゃない!」


 裁縫箱はアンブレイスから持参していたのを運んでもらったが、絹糸は王城にあるものを借りる事になっていた。


「メイドさんが届けるのを忘れたのでしょうか」


 呟くようにレティアが言う。渋面を作ったミアが「ちっ」と舌打ちをした。


「……ったく、王城の奴らは使えないわ。糸無しでどうやって縫えって言うのさ。まさかこれも傲慢なあのお姫様の嫌がらせじゃないでしょうね?!」

「ミアさん、さすがにそれは……っ」


 思わず苦笑いを浮かべたレティアだが、縫い糸無しでは作業にならない。


「そのうち夕食を運んで来るだろうし、給仕のメイドにでも詰め寄ってみるか……」


 ミアはそう言ったが、表情は不機嫌そうに歪んでいて。

 上目がちなその目はレティアにどうにかしろと訴えているように見えた。




 *




 誰か、居ませんか──。



 コの字型に建造されたロスフォール城だが、どうやらここは『南館』と呼ばれる場所らしい。

 繊細な装飾が施された巡り框や趣のある調度品の数々を横目に、まるで美術館のように壮麗な廊下を恐る恐る進んで行く。


 この際『メイドであろうとなかろうと構わない』とさえ思う。

 誰でもいい、王城内を良く知る者であれば。


 人気の無い廊下はしんと静まり返り、レティアの不安を煽るばかりだ。


『私、に伝えて縫い糸を持ってきてもらいます!』


 ミアにジト目で視線を投げられれば、手を挙げるしかなくなって。

 扉の前に控えていた侍従に声をかけたものの「持ち場を離れられない」の一点張りである。

 部屋の周囲に人の気配はなく、閑散とした廊下が延々と続いているだけ。


「……人質みたいに、ミアさんを置いてきちゃった」


 部屋を出たレティアがこのまま逃亡する事はあり得ないが。

 メイドを探すべく、王城内をこうして彷徨う羽目になったのだった。



 ロスフォール城を訪れた時はすでに十五時を回っていたが、ゆうに数時間が経っている。格子窓の外は暗くなり始めていた。


 ──夕食の時間が近いし、メイドさんたちも忙しいのかな。


 キョロキョロしていると、翳り始めた廊下の向こうに白っぽい人影が見えた。女性にしても、背が低い。服装もどうやらメイドのそれとは違うようで……。


 ──……男の、子?   



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