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31・戸惑い

 手際よく注文を済ませたカルロスはエールが注がれた眼前のグラスを手に取ると、少し持ち上げてレティアに促す。レティアが慌てて同じようにすると、グラスを傾けて軽く「乾杯」と言った。


「今度は屋敷うちに招待するよ。再会祝いの本番は、その時にまた改めて」


 不意に騒がしい声がして、数人の男たちが腰元の剣をガチャつかせながら店内に踏み込んだ。鮮やかな空色の騎士服を纏った彼らは賑やかに会話をしながらレティアたちのすぐそばに陣取って椅子に腰を掛ける。


「あ〜れ〜っ。綺麗な女の子連れてる奴がいると思ったら、我らがガロー団長じゃないっすか!?」


 騎士のひとりが言うが早いか、周囲の騎士たちがどっとこちらに目を向ける。

 カルロスは「やれやれ」と言いたげに、あからさまに眉をひそめた。 


「なんだ、今日に限ってやたら早い昼食じゃないか」

「そうなんっすよ。団長がいないと暇すぎて巡回ばっかしてたんっすけど、腹減ったんで先に昼メシ食っちゃおうって話になって」


「暇っておまえら、やるべきことは幾らでもあるだろう?」

「団長も非番だし、我ら第一警吏騎士団は満場一致で早めの昼食決定しました〜〜!」


 警吏騎士団の団長と聞いてレティアの胸がどくりと脈打つ。


 ──そう言えばこの間助けてもらった時、カルロス様は黒い騎士服を着ていた。どこの隊かは知らないけれど、ラエルも警吏騎士団の副団長。この人たちはラエルの事を知っているのかしら? もしかしてカルロス様も……。


「……知らんが。貴様ら、明日は覚悟しとけよ」


 睨みを効かせたカルロスのに誰かが「ひっ」と声を上げれば、


「おいバンス! 調子に乗って言い過ぎだ」

「明日死んだらおまえのせいだぞ?!」


 なんてコソコソ慌てたような声が騎士団の青年らの口々から漏れる。


「ああっ、それより団長! その美しいお嬢さんは誰なんです? まさか鬼の騎士団長の恋人とかじゃあ、ないっすよね?」

「おい、マジで鬼はやばいって……」


 本気で焦りながらバンスと呼ばれた小柄な男の頭を小突く騎士もいる。

 そんなやり取りを呆れたように眺めながら、カルロスはふぅと息を吐いた。


「仕方がないからおまえたちにも紹介してやる。彼女はレディ・レティア・ヴァーレン。私が結婚したいと願っている人だ」


「うおおおっ!?」

 騎士たちから大きな歓声が上がったので、他の客たちも何事かと視線を向ける。


「今までどんな美人の甘い誘いにも靡かなかったガロー団長が、けっ、結婚〜!?」

「団長にッ、そんなお人が居たなんて」


 慌てたのはレティアだ。

 アンブレイスではレティアを「恋人だ」と言い、今度は騎士団の部下たちの前でカルロスに「結婚したい」宣言までされてしまうなんて。


「団長も水臭いなぁ。なんでもっと早く紹介してくれなかったんすか?」

うるさいな……絶賛口説き中だ」

「ぶはは! 団長が結婚したいなんて言うからレティアさんが迷惑そうな顔してますよ? 団長のファンの店員さんたちもビックリしてるじゃないっすか。プロポーズの場所ならもっと他にあったでしょうに〜洞察力は並み外れてるクセにそういうとこ疎いんだよなぁ団長は。ねぇレティアさん?」


 いきなり会話を振られたのでレティアは焦ってしまう。


「そんな、迷惑そうだなんて」


 大人になったら迎えに行く。その言葉を信じて待ち続けていた。

 もちろん迷惑などではないし、カルロスは寧ろ女性の誰もが心躍るような発言をしたはずだ……それなのに。


 ──恋人、結婚。カルロス様からそう言われて嬉しいはずなのに、何かが。待ち望んでいた夢がすぐ目の前に現れた……なのに戸惑ってしまう。後ろ髪を引かれてしまう。


 そんなレティアの気持ちをよそにカルロスは機嫌良さそうに頬を緩めている。


「バンス……彼女を口説いてるところだと言っただろ。頼むからこれ以上邪魔をしないでくれ」




 * * *




 早起きの小鳥たちが木陰で賑やかにさえずり、まばゆい朝日がロスフォール城の窓という窓から神々しく差し込んでいた。

 王太子ラエルの慌ただしい一日がまた始まろうとしている。


 途方もない気だるさと息苦しさ。

 心地よく暖かな日差しですら、それを和らげることが出来ないでいた。


 ……浅い眠りの中で、ラエルは夢を見ていた。


 澄んだオルゴールの音色に重なりながら、父と母の声が聞こえる。

 両親の声に別の男の声が混ざる、皆が笑っている。


 ──私はいったい何処で聞いているのだ?


 暗闇の周囲には何も見えない。

 けれど『お前も早く身を固めろ』と、まるで水の中で聞くようなくぐもった父の声が聴覚に届いた。


 オルゴールが懐かしい子守唄を奏でて……ラエルの心を穏やかにする。

 あたたかく、幸福な時間が確かにそこにあった。


 強烈な朝陽に耐え切れず、重い目蓋を薄く持ち上げる。


 ──妙な夢を見たな。


 いまだ夢の中にいるかのごとく、頭の中がぼんやりと霞んでいる。

 起きあがろうとしてぎょっとした。


 ──アーナス!?


 驚いたことにラエル自身は半裸で、下着姿のアーナスが隣ですやすやと寝息を立てている。広い寝台の上で、ラエルの胸に甘えるように寄り添って。


 まだ醒めやらぬ意識のなかで状況を把握しようと目を閉じた。朦朧とする記憶をたぐり寄せ、昨夜の出来事を思い起こそうとする。


「………」


 夢と現実が脳内に混在するような奇妙な感覚、こんな事は初めてだ。


 ──謁見が長引いて自室に戻ったのは夜中の十一時頃。扉の前で鎮座していたアーナスに、ひどく責められ泣かれたのだ……それから。


 眠っている婚約者の横顔をまじまじと眺める。


 ──大声で泣きわめく彼女を、とりあえずこの部屋に入れた。


 何故だろう、そのあとの記憶が消え去っている。

 見下ろせば、薄い絹の寝衣から滑らかな肩と十七歳という年齢にそぐわぬ豊かな白い胸元がこぼれんばかりに覗いていた。


 ──まさか……。


「これはややこしい事になった」と言いたげに額に手をやり項垂うなだれた。


 ──……ずくり。


 後頭部に凄まじい痛みが走る。

「ウッ」激痛に眉根を寄せた。


「殿下……ラエル様……?」


 見ればアーナスが枕に頬を付けたまま、大きな楕円の目をパチクリさせている。身を起こして「ああっ」と短く叫ぶと、ラエルの首根っこに勢い良く抱きついた。


「夢じゃなかったのですね……!」


 アーナスの豊満な胸が薄い寝衣を通して押し付けられる。

 ──まるで事情が飲み込めない。


「私は昨日……」


 そんなラエルの言葉を遮るように、アーナスは嬉々としてラエルの胸板を両腕でぎゅうっと抱きすくめた。


「わたくしはもう、身も心も全てあなたのものです!」


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