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28・レティアの『秘密』(2)


「私を娘に近づけさせたとは、どう言う事です?! 覇聖剣エクラが失われた事実以外、父上は何もッ」


「ヴァーレン卿の失脚から丸二年、令嬢の行方が掴めなかったからだ。よって記憶を失ったそなたに話す時宜ではないと判断した」


「待ってくれ。そもそも何故ヴァーレン卿は我々の宝剣を? 一塊の人間が踏み込めやしない魔導士の聖地から、まさか盗める筈も無いでしょう」


「フン……常人の無知とは恐ろしいものよ。当時の筆頭宝商人であったヴァーレン卿が、覇聖剣エクラを法外な金銭と引き換えに闇取引で手に入れた。それが魔導一族の宝だとも知らずにな」


「ヴァーレン卿は、いったい何のために覇聖剣エクラを……」


「なに、富豪たる男の愚かしい父性だ。愛娘レティアの夫となる者に婚礼の祝福の証として贈るのだと、卿本人の口がそう吐いたのだから間違いない」


 伯爵は絵画に視線を落とし、指先をその表面に充ててなぞる。

 地図の中央にえがかれているのは、桃源郷の大地に刺さる白銀の巨剣──『覇聖剣エクラ』だ。


「カルロスよ。事故で記憶を失くしたとは言え、そなたの使命までも忘れたとは言わせんぞ。再び娘に近づくのだ、どんな手を使ってもいい。我が魔導士一族に伝わる宝剣・覇聖剣エクラをあの娘から取り戻し、最後の『聖地』第四ベルツを奪還する」


「しかし伯爵、私は仮にも警吏騎士です。詐欺まがいの謀略を仕掛けるなど、私にはッ」


「詐欺まがい……はっ。この非常事態に正義風を吹かせてどうする。警吏である前にそなたは魔導士だ、常人じみたつまらぬ矜持など吐いて捨てろ。国王が娘を追い続けているのだぞ? 先を越されぬうちに宝剣を取り戻すのだ」


「国王が娘を追う理由がなぜ宝剣のためだと言えるのです?! あの欲浅な現国王がそんなものに躍起になっているとは思い難い。何か別の理由があるのではないですか」


「国王に欲がないだと?! 甘いぞ、カルロス。『一振ひとふり百人』の魔力を秘めた宝剣を欲しがらぬ王などこの世にいるものか。国を統べる者ならなおのこと、血を吐いてでも手中に納めたいだろう。ぐだぐだ言う暇があるなら、そなたのすべき事をしろ!」


「結婚を餌に令嬢を騙せと仰るのですか」


 息子の気後れした態度に苛立った伯爵が、地図上に拳をダン! と打ちつけた。衝撃で机上に置かれた陶器の茶器がガチャリと音を立てる。


「まだ言うか。ヴァーレン卿は宝剣を『娘の夫に捧げる』と言った。奴は催眠魔術師を雇ってまで手の込んだトリックをのこしやがった。まさに負の遺産だ……宝剣あれを娘の婚礼祝いにするなど、フザけた理由で……!」


 苦湯を舐めたように口元を歪めた伯爵が言を継ぐ。

 ──令嬢の『』が解かれるのは、令嬢が二十歳の成人を迎えた時。娘が二十歳になるまでの十年間、誰にもその在処ありかを知られぬようにとな。


「令嬢はすでに二十歳を迎えている。そなたは直ぐにでも令嬢と接触し、覇聖剣エクラ在処ありかを探るのだ」


「目的を果たしたあと娘はどうするのです。そのまま結婚しろとでも?」

「宝剣を取り返せば用済みの女だ。抱くなり消すなり好きにすれば良い」


 今度はカルロスが苦虫を喰むような顔になる。

 両手の拳を強く握りしめ、込み上げる怒りの感情を懸命に押し留めようとしていた。


「……常軌を逸している」

「ふはは。ガロー家に生を受けた瞬間から我等は『常人』ではない。忘れたのなら覚えておけ」




 * * *




 ──君が大人になったら迎えに行く。それまで待っていて。



「…………レティアっ!」


 針子のアネットに呼ばれて顔を上げた。


「いったいどうしたっていうの? うわの空で。何かあった?」


「……ごめんなさいっ、何でもありません」

「ちゃんと仕事やってるならいいけど。そのうちはさみで手を切るわよ?」


 仕立屋の工房は今日も慌ただしい。

 ここ数日は爽やかな晴天が続き、工房内にも柔らかな日差しが朗々と差し込んで心地よい。

 なのにレティアは暗雲の中。

 カルロス・ガローに再会してからというもの、せめて仕事中はと忘れようとしても心ここにあらずだ。


 ──だめだめ! 仕事に集中しなくちゃ。ただでさえ私はミスばかりなんだから。


 手元に視線を戻せば、入り口の両開きの扉が開いた。

 思わずまた振り向いてしまう。


「おはようございます。ご注文の薔薇を届けに参りました」


 緑色のエプロンをつけた女が戸口に立っている。待ち構えていたように店主のシーラが駆け寄った。


「配達ご苦労様……! 待っていたのよ」


 またうっかり工房の扉に気を取られてしまった。

 あれから数日が経つ。

 扉が開くたびに気になってしまうのだが、レティアが待ち望む人の姿は一向に見えなかった。


 ──お店の名前をちゃんと言えていたかしら。興奮していたし、居酒屋のほうを伝えてしまったかも? それとも場所がわからず迷っているのかも……。


 こんなふうに前向きに気持ちを保っていたい。

 けれど《再会の約束とレティアの名を忘れられていた》という悲しみがずしりと首をもたげてくる。


 ──やっと会えたのに。


「ちょっと、レティア!」


 花屋の対応をしていたシーラが戸口で叫んだ。

 はい、と応えて慌てて駆け戻ると、ミアを含む二人の針子がシーラと並んで青い顔をしている。


「これをご覧なさい。あなた一体……何をしたの」

「発注する数を間違えたんじゃない?!」


 見事なピンクの薔薇の花束が、三つ。

 目を見張るのは、戸口に近い長テーブルに置かれたそれらが大人の女性が一つをやっと抱えられるほど巨大だということ。

 厚みのある絨毯さながらの表面には桃色の薔薇がこれでもかと詰め込まれており、周囲に甘い香りを漂わせていた。


 巨大な三つの花束を運び終えた配達の女性が「桃色の薔薇を三百本、それぞれ百本ずつを花束にしてお届けしました。今後ともどうぞご贔屓に」と請求書を差し出してくる。

 請求書の金額にシーラが卒倒するのを見て、ようやく事の重大さに気が付いた。


「どうして300本なんて数を注文したの。私は30本をひとつの花束にするよう頼んだはずよ……。ミア、あなたなの?」


 シーラの問いかけに、慌ててミアが返事をする。


「わ、私じゃありません。花束の注文はレティアさんにお願いしましたから」




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