* * *
「見間違いじゃなかった。やっぱり俺のティアじゃないか……!」
「ちょっと、アルっっ?!」
満面の笑顔で両手を広げてくるアルヴィットをするりと
「人が見てるわ……」
「君が綺麗だからだろう?」
「違うわよ、あなたを見てるのっ」
街の通りに強引に停められたワイズ家の豪奢な馬車は、それだけで人目を惹く。
白銀の隊服に身を包んだ赤髪の美しい聖騎士が唐突に馬車を飛び降り、通りを歩く町娘に突然ハグしたのだから。
「馬車の中からでもすぐにわかったよ、君だって。でも一体どうしたの、その
「私っ、どこか変かしら?」
顔をしかめて自分の着ているものをあらためるレティアを見て、アルヴィットはくすっと鼻を鳴らす。
「いや、おめかししてるから」
「この服は営業用っ、仕立て屋のお遣いの帰りなの。店員が身に付けるものも《アンブレイス》の手仕事の立派な
「へぇ、どうりで。そういやシーラが君のこと褒めてたよ。王城で王太子妃候補から気に入られたんだって? それに君には意匠の目利きのセンスがあるって」
「あれは……たまたまうまくいっただけで」
──工房では失敗ばかりしているし……っ。
そんなレティアの気恥ずかしさをアルヴィットは知らない。
「ティアが可愛い服を着るのは大歓迎だけど、昼間から堂々と顔をさらして街を歩いて……平気なのか? 近衛隊の奴ら」
言葉を紡ぎながらも周囲を見渡し、レティアの手を引いて身を隠すように脇道に入る。
「うんと……。赤い隊服、あれから見ていないの。それにあの人たちは
レティアは、貿易商人の父親を亡くした二年前から
「いや、そうじゃなくて──・・・」
──男装していた頃よりも目立ってるってこと、気付いてないんだよなぁ。俺の
「とにかく危なっかしいんだよ、ティアは。シーラんとこの工房にも、なんなら毎朝送って行こうか?」
「もうっ、この前約束したところじゃない。アルには他にお役目があるでしょ? 大司教様をお守りするっていう立派なお仕事が。それに今だって……こんなところで立ち話をしててもいいの?」
見れば、表通り沿いに無理からに停めたアルヴィットの馬車が邪魔になり、後ろに馬車の渋滞が発生している。
「マズい、もう行く!」
──本音を言えば昼間だって渡したローブを着て欲しい。頭まですっぽり包み込んで、可愛いティアを他の男の目に触れさせたくない。
レティアの背中に手を回して、ぐいっと引き寄せたアルヴィットは耳元で囁いた。
「近衛隊もだが、くれぐれも気をつけて……俺以外の
レティアに背を向け路地裏から走り去るアルヴィットを見て、レティアは頬を緩ませる。
──アルはまるで大きなイチゴのショートケーキね?
剛健な体躯を持つアルヴィットにショートケーキを連想する者はまずいないだろう。けれどアルヴィットを小さい頃から知っているレティアには、純白の騎士服の上で靡く炎のような赤髪がイチゴに見えるらしい。
──アルったら……いつの間にあんなに大きくなったのかしら。
「これ以上もう背が伸びない私を差し置いてっ」
おもむろに小首を傾げると、くすっと笑った。
空を仰げば太陽が眩しくて、レティアは額に手をかざす。
大通りの渋滞は、アルヴィットの馬車が去ったことで解消していた。
踵を返し、再び歩き出そうとしたその時だ。
口元を布のようなもので押さえつけられ、声を塞がれた。羽交い締めにされた首筋が苦しくて息が出来ない。
ゆらゆらと遠のく意識の中で、視界の端に見覚えのある男の顔が二つ、映った。
「やっと見っけたぞ。今までどこに隠れてたんだ〜? 野菜売りの女を朝市で手伝ってるって情報をやっと掴んだってのに結局ガセだったしよぉ。ったく、手こずらせやがって」
「あの赤髪がいい仕事してくれたぜ? 奴が追っかける女は
「赤髪の聖騎士様は目立つんだ、図体もでかいし遠目でもわかる。ワイズ家のあの豪勢な馬車もだ。あの男、馬車から飛び降りたと思ったらいきなり女に向かってくんだもんなぁ……そりゃあ俺たちじゃなくても目が行くよ」
レティアの頬がみるみる色を失っていく。
「おい、あんまり力入れんな。死なれたら困るからよ、レティアちゃん! 俺らには
薄目をあけた瞳にかろうじて映る空が灰色に霞んでゆく。
——助けて……アルっっ!
レティアの視界が暗く消えかかったとき、すぐ近くで若い男の艶のある明晰な声が響いた。
「貴様ら、何してる!?」
バタバタと駆け寄る複数人の足音のあと、頭上から「チッ!」と舌打ちが届く。
途端、身体と呼吸が開放されて、レティアは激しく咳き込みながら地面に突っ伏した。
レティアを襲った男たちは、あれほど高揚しておきながらあっさり諦めて去ったのだろうか。
レティアのそんな疑問は、顔を上げた途端、すぐに解消される事になる。
「ご令嬢、平気ですか?」
見覚えのある黒い隊服を纏った青年が、横たわるレティアを抱え起こした。
──黒い隊服……っ、ラエル様……?
しかし馬から飛び降りてレティアに駆けつけたのは、
「警吏騎士団、の……」
「危ないところでしたね。怪我はありませんか、どこか痛む場所は」
「いいえ……平気です」
奈落の闇を閉じ込めたような漆黒の隊服に身を包んだ警吏騎士は、王都の保安と警備を請け負う者だ。周りを囲むようにして鮮やかなブルーの隊服の騎士たちが数名駆け寄ってくる。
「総括団長ッ! 申し訳ありません! 奴らに逃げられました!」
団長、と呼ばれた青年がレティアの身体を抱え起こせば、黒い前髪から覗くコバルトブルーの瞳がレティアを見つめた。
——ドクリ。
はっきり視界を取り戻したレティアの心臓が、唐突に大きな鼓動を打つ。
「黒い……髪……。それに、あなたの、瞳……っ」
大きく見開かれたレティアの目は、瞬きもせず青年を凝視する。
「あなた様は……っっ……カルロス・ガロー様ではありませんか……?」
「ああ、確かに私はカルロス・ガローだが。以前どこかでお会いしましたか」
青年に半身を抱えられたまま、レティアの身体はわなわなと震えるばかりだ。
開いた唇をわななかせ、あっ、あっ、と声にならない声を絞り出そうとするけれど、ままならない。
「か……カルロス様……私を覚えていらっしゃいませんか? レティアです、レティア・ヴァーレンです……!」
「レティア、ヴァーレン?」
難しい表情を浮かべる青年に、レティアは何度も瞬きを繰り返しながら
青年は形良い眉をひそめて思案したあと、呟くように言う。
「そう言えば。居酒屋のピアニストが確かそんな名だったと」
「ええ、私はワームテールさんの居酒屋でピアノを弾いています。でも、そうじゃなくて……っ」
レティアを支えたままの青年──警吏総括騎士団長のカルロス・ガローが、窺い知れない
「私を……覚えていらっしゃらないのですか……?」
──背の高いあのひとは私の前に
穏やかに微笑んでこう言った。
記憶の中の
優しくレティアの鼓膜を揺らす。
『君が大人になったら、必ず迎えに行く。』