「つまらない話をしたね。どうやら私は、君と話すと饒舌になるようだ」
レティアはローテーブルに置かれたグラスに目をやった。
ラエルが持ち出したのか、棚の中に並んでいたお酒の瓶が葡萄ジュースのピッチャーと並んでグラスの隣に置かれている。
「……召し上がりますか?」
問いかけの答えを聞かぬまま、空っぽのグラスに琥珀色の液体を注いだ。
「愛情の形は一つではないと思います。ラエル様がその女性を想うお気持ちも、立派な愛情よ?」
グラスを受け取りながら、ラエルがレティアを見やる。
「一緒に過ごす時間がすべてではないと、私は思います。男性と女性は社会的役割が違うのですもの。四六時中ずっと一緒にはいられない。大切なのは心が繋がっていること……。たとえ遠く離れていても、心が繋がっていればいつでも一緒にいられる。それは同じ場所にいる他人よりも、ずっと強い絆だわ」
蒼い瞳を覆っていた目蓋が持ち上がる。
ラエルの翼の睫毛が、幾度かまばたきを繰り返した。
「ではもし君の恋人が──……」
「私の、恋人が?」
「仕事で時間に追われ、その忙しさを理由に……そうだな、例えば君の誕生日をすっぽかしたら。君は許せるのか?」
目を丸くしたレティアがラエルを見上げる。
「本当にお仕事だったのなら」
「誕生日だよ?」
「彼のお誕生日に、ふたりぶんのお祝いをするわ」
「恋人の誕生日も一緒に祝えなかったら?」
「それなら聖誕祭に三回分のお祝いをすればいいわ……というか、そもそもお祝いする《行為》って、相手に無理をさせてまで必要なのでしょうか。大事なのは《生まれてきてれてありがとう》って感謝と祝福を贈る気持ちですよね?」
ラエルは「信じられない」と言いたげな
レティアはにっこり微笑むと、宝石のような瞳を輝かせながら言うのだった。
「時間をただ共有することではないの。一度きりの人生を、愛する人とともに生きられること……これが本当の幸せじゃないかな」
あまりに唐突で、ラエルは心底驚いていた。
次に紡ぐ言葉が見当たらない。
──彼女は、レティアは。
私が描いてきた理想像を言い当てた。なんと言おうか、胸の内を見られたようで気恥ずかしい……ッ。
「でもラエル様となら、お相手の女性がいつもおそばにいたいって思う気持ちが、少しわかるような気がします」
一輪の花がふわりと開くように微笑んで、レティアはふふっと肩を揺らす。そして何事もなかったかのように立ち上がると、暖炉へと足を向けると、
「薪に火を入れてきますね」
しばらく虚空を睨んでいたラエルだが、そのうち何かに納得したように頬を緩めてグラスのお酒を口に含んだ。
静かな時間が穏やかに、ゆったりと流れていく。
そのうち薪に火が宿り、パチパチと愛らしい音を奏で始める──はずだった。
「……新しいのをおろしたばかりなのに」
暖炉の前では衣擦れの音が続いていて、見れば薪に火を焚べようと、レティアがマッチと格闘している。
おっ、とラエルが慌てたふうに立ち上がって暖炉に急いだ。
「気が利かずにすまなかった、そんな格好ではしづらいだろう? 私に任せて」
「ドレスは平気なのですが……マッチが湿気ているのかもっ」
小さなマッチを相手にレティアが奮闘している。
ラエルは腰のサーベルを外して暖炉の上にコトンと置くと、レティアの隣にすっと膝をついた。
かしてごらん。
優しい眼差しがそう言っている。
繊細な長い指先が、マッチを持つレティアの指先にかすかに触れた。
ただそれだけの事なのに、レティアの肩がびくんと跳ねる。
「……ぁ」
男性らしく筋張った大きな手が、小さなマッチを器用に操っている。
あれほど難儀だったのに、ラエルが擦るとすんなり火が点いた。
「どうしてっ」
「
「ごめんなさい」
「謝らなくても」
「お手を煩わせてしまいました……」
「え、簡単だったよ?」
マッチの箱を受け取ると、レティアは箱の中を覗いたり、マッチを取り出して確かめたりしている。
「……謎です」
「ん?」
「臍曲がりなマッチ。私じゃだめなのに、ラエル様ならすんなり言うことを聞くなんて」
「マッチに好かれたかな」
「ふふっ……女の子なのかも」
レティアはころころとよく笑う。
連られて頬が緩んでしまうのをラエルは自覚した。
──女性とこんなふうに気安く話したのはいつぶりだか。
いや……初めてかも知れない。
うわべだけの愛想笑いや媚びへつらいには辟易するばかりだ。
《王太子》という立場と身分の肩書きは、ラエルから人の本心を遠ざけ、隠す。
「暖かい」
暖炉の前でレティアとともに膝をついたまま、ラエルは薪のなかでまだ小さく燻る炎を見つめていた。
「このお部屋を毎日お掃除しながら、いったいどんな『特別な人』が使うんだろうって考えていました」
折り重なった薪の奥から手前へと炎が広がっていく。
「マグノリアさんから、ここは『特別な人』のためのお部屋だって聞いていましたから……お目にかかれるのがとても楽しみでした」
その時レティアは──ラエルの瞳に落ちた暗い影に気づかずにいた。
「まさかその『特別な人』が、ラエル様だったなんて」
「……特別じゃない」
炎を映したラエルの瞳は、燃えるように
「えっ?」
静かな沈黙がその場に流れる。
「私は特別なんかじゃない」
ラエルの横顔を見上げたレティアは二の句を失った。
何か大きなものに押しつぶされてしまいそうな、苦悩と苦しみに満ちた青年がそこにいた。