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22・暁と夕星の再会

 *




「私も驚きました。治安部の騎士様だったのですね、それも副団長様」 


 ラエルに勧められた葡萄ジュース入りのグラスを丁寧に断り、暖炉に薪を並べながらレティアが朗らかに言う。


「ああ……まあね」


 本当は違う。

 自分は王都の騎士じゃない。けれど『実は王太子です』なんて嘘くさい真実を明かせるはずもなく。


 ──彼女に身分を偽るのは忍びないが、このまま騎士団の一員を貫くしかなさそうだ。


 薪をくべ終わったレティアが暖炉のそばにきちんと立っている。

 ラエルがもう一度「おいで」と言うと、ひどく遠慮がちにやってきて、ラエルの隣に浅く腰掛けた。


「お言葉に甘えて……失礼、いたします」


 レティアが見上げれば、すぐ目の前に立派な漆黒の騎士服に身を包んだ貴公子が秀麗な面輪を綻ばせている。

 彼の立ち居振る舞いには威厳と落ち着きがあり、佇まいはまるで一枚の絵画のように完成された美を纏っていた。


 つい見惚みとれてしまう自分にあらがいながら、レティアは慌てて言葉を紡ぐ。

 そして折れそうなほど深く、頭を下げた。


「改めましてお礼を……! 警吏副団長ラエル様。その節は本当にっ、有難うございました。あなたに助けていただかなければ、私たち家族は路頭に迷っていました。母と弟には、天使が贈り物をくださったのだと」


 シルバーブロンドを夜会巻きにした頭をゆっくりと持ち上げ、喜びと困惑とが混ざった表情かおで背高いラエルをすっくと見上げる。


「こんな奇跡、夢じゃないかって」

「奇跡……? ああそうだな。まさかワームテールの店で、君にまた会えるとは思ってなかったからね」


「あのお金は、一生かかっても必ずお返しいたします……! このお部屋は、時々訪れるラエル様が自ら誂えたのだとワームテールさんから聞きました。少しずつですが、立ち寄ってくださった時にお返しますから……!」


 レティアの剣幕に思わず微笑んで、呟くようにラエルが言う。


「いいんだ。元々はだから」


 ──元をたどれば君たち民衆から徴収した税金だ。

 どんな形であれ、いづれ民衆に還元されるべきなのだ。


「私たちの、もの……?」


 ラエルの言葉の意図が汲み取れず、レティアは首を傾げてしまう。


「ああ、いや。とにかく私は、君に報酬を渡しただけだ。返そうなんて思わなくていいんだよ」

「そういうわけには……っ。今日だって、危ないところをラエル様に助けていただきました。ご迷惑かも知れませんが、何かお礼をさせてください」


「はっ。お礼をされるような事は何もしてないよ?」

 ラエルは笑って首を振る。


「いいえ、お礼はできる時にしておきたいのです。私の祖父も治安部の役人だったので、ラエル様と重ねてしまって。祖父は子供を救おうとして馬車に轢かれ、亡き人となりました。優しくしてもらったのに感謝の言葉も伝えられないまま、突然この世を去ってしまって……今でも後悔しているのです」


 王宮の部隊に入団できるのは、そのほとんどが貴族の縁者であり、市民であればごく一部のエリートたちだ。

 ピアノの腕前を考えても、彼女はかつて裕福な家柄の令嬢だったのだろう。


 ──それがいったいどんな理由で、路上で身売りするような境遇となってしまったのか……。


 ラエルは想像を巡らせる。

 レティアと初めて会ったあの夜、風になびいていた美しい銀糸の髪。

 今では後頭部にきちんと結えられ、雪のような白い首筋をあらわにしている。


 ピンクパープルの瞳に影を差す長い睫毛。

 薔薇の花弁を思わせる肉厚な唇。


 ラエルは暖炉の前に佇む一輪華に見惚れている自分に驚いた。

 婚約者のアーナスも巷では評判の美姫だが、うっかり見惚れたことなど一度もない。


 ──私はレティアに興味を持っている。


 でなければ、ラエルとて二度会っただけの平民の娘を自室に留めておきたいなんて思うはずがないのだった。


「ピアノはいつから?」


「幼い頃は講師から師事を受けていましたが、ここ二年は教会の牧師様にお許しをいただいて、弾かせてもらっています」


「教会で?」

「はい。ラエル様にお会いした日の翌朝も、仕事が見つかりますようにって祈りを込めて。その時にたまたまいらしたのがワームテールさんご夫妻で……。ご夫妻と懇意のラエル様と出会えたことから始まったご縁なのです。全ては、見えない力の導きだったのかも知れません」


 愛おしい場面をまぶたに映して眺めるように、レティアは長い睫毛を伏せた。

 そして姿勢を正すと、ラエルの顔をしっかりと見据える。 


「お借りしたお金は、働いて必ずお返しいたします」


 強い意志にとうとう根負けをして、ラエルは笑って頷いてしまう。


「……わかった。君の気が済むのなら」

「それに何かお礼がしたいです。危ないところを二度も助けていただいたのですから」


 レティアは考え込むそぶりを見せたあと、しばらくすると短いため息をつく。

 そして物憂げに視線を落とした。


「お礼だなんて偉そうなことを言っても、私のような者があなたに出来ることが、何も思い浮かばないわ」


 窓の外は木枯らしが吹き、格子状の窓ガラスをカタカタと鳴らしている。

 すっかり陽が落ちた部屋に灯されたオレンジ色の温かな光が、静けさの中で煌めいていた。


「……女性の心というのは繊細なんだな。時々どうすれば良いものか、わからなくなる」


 項垂うなだれていたレティアがはっと顔を上げる。

 代わりにラエルが睫毛を伏せた。


「私ったら……かえって困らせてしまったでしょうか」

「いや、君のことじゃないんだ。ちょうど君と同い年くらいの、妹のように思っている女性がいてね。彼女はいつも私と一緒にいたいと言う。でも私にはその想いを叶えてやることができない」


「そう、なのですね……」


「私は多忙で一緒にいられる時間が限られているから、寂しい想いをさせていると思う。せめてどうしたらその寂しさが紛れるか、何をすれば彼女の幸せにつながるかと考えるのだが、伝わらずに怒らせてしまう」


 ふ、と小さく息を吐き、ラエルが肩を落とす。


「ラエル様はその方を、とても大切になさっているのですね。お気持ちはきっと伝わっているわ」


 ──ラエル様に大切にされているなんて、幸せな女性ひと


 そんなふうに思えば、何故だか、胸の奥がしくりと痛んだ。


「いいや、そうじゃないんだ。たった一人で私を頼ってこの国に来たというのに……私といる限り、心からの愛情を得られないのだから」


 問いかけてみたい。

 けれど、レティアは喉元に出かかった言葉を、ぐ、と飲み込んだ。


 ──ラエル様がその女性を大切に想うお気持ちは、「愛」とは違うものなのですか……?




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