「まぁ……今更、なんの言い訳かしら」
再び肘掛け椅子に腰掛けながらアーナスが
怯む事なく、レティアは続けた。
「私はそもそも接客担当で、縫製の知識にも乏しい新人です。それをご承知のうえで指名されたのですから、私が無知であることはアーナス様が受け入れてくださったものとしてお話をさせていただいております。ピンクがお嫌いとのことですが、こんなにも似合われそうなものをお召しにならないのは勿体ないと思うのです。この色は素人の私から見ても珍しい、絶妙なニュアンスカラーでございます。アーナス様の白磁の肌の美しさを最大に引き立ててくれるでしょう。……それでも、こちらがお嫌ですか?」
レティアの口調はゆったりと穏やかで、けれど説得力があった。
手に持ったリボンには繊細なフリンジと高級なビーズが散りばめられていて、シャンデリアの光を反射して煌めいている。
アーナスは、ぐ、と唇を噛みしめ、
持論を述べながらも、レティアは抜かりなくアーナスを美しいと褒めていた。褒められたアーナス本人も悪い気がしなかったのだろう。
「いっ、言われてみれば……そうかしら? いいわ……ええ、そのリボンを使いましょう……で、それをどうするの?」
先ほどの剣幕が嘘のように、アーナスがぐい、と身を乗り出した。
溜飲を下げたらしいお姫様を見て、シーラと針子たちが一斉に肩を落とす。彼女たちの安堵の吐息が聞こえそうなほどだ。
「このリボンをこんなふうにして、ここを……っ、ぎゅっと、こうして。太さの違うリボンで数段重ねれば薔薇のような形になります。このバラをドレスの裾にランダムに散りばめるのは如何でしょうか?」
「なるほど……そうね、いい案かも知れないわ。そういうドレス、まだ持っていないし」
レティアが指先を動かして器用にリボンを薔薇に見立てていくのを、アーナスは食い入るように見つめている。ここぞとばかりにシーラが一歩前に出た。
「アーナス様、おそばから失礼いたします。技術的にも可能でございますし、華やかで大変美しいお仕上がりになるかと。薔薇のモチーフを散りばめるだけではなく、全体に宝石を散らせば動くたびに輝いて、ゲストの視線はアーナス様に釘付けでございます」
ベテランの針子、アネットはトルソーの脇に立ち、ドレスの胸元をアピールする。
「王太子殿下にもお気に召していただけるように、デコルテが開いた意匠をご要望でございました。我々ソワイエールが誇る手仕事の真骨頂、胸のラインを美しく立ち上げるための工夫をご説明しましょう……」
次々と展開されていくシーラと針子たちの営業力は素晴らしかった。
レティアは一歩下がった場所から、彼女たちを憧れと尊敬の眼差しで眺めていた。
──『アンブレイス』は、本当に一流の仕立屋なのだわ。いつか私も、こんなふうに人を魅了する素晴らしいドレスが作れるようになりたい……!
「そうだわ……」と、アーナスが肘掛け椅子から立ち上がる。
「シーラ、生地のサンプルも持って来ているのでしょう? 殿下にもご意見をお聞きしたいのよ。もう一着の『ローブ・デ・コート』、何色がいいか一緒に選んでいただきたいもの。ねぇ、殿下は? まだお見えにならないの?!」
壁沿いに並んで他人事のように静観していた侍女たちが、慌てて顔を見合わせた。
「はい……まだ……」
頼りなげな侍女の態度が鼻についたのか、せっかくのアーナスの機嫌が削がれていく。そのまま、す、と椅子に座ったが、扇子を開いたり閉じたりしているのを見ると、また苛立ちを募らせているのが明白だった。
「それでは王太子殿下がいらっしゃるまで、他のドレスの意匠をご提案させて頂きますね」
その後は、とてもスムーズだった。
アンブレイスの面々は相変わらずセンスも手際も良く、アーナスもこれと言って意匠の提案に文句をつける事もなく。勧められるまま素直に頷いている。
アーナスの不機嫌さが加速していくのではと案じたが、違っていた。
けれど気づいたのはレティアだけなのかも知れない。
一枚、また一枚とドレスの色や意匠が決まっていくうち、アーナスの威勢がどんどん萎んでいったことを。
開け放たれた双扉の外ばかりを気にしながら、不安そうな顔でそわそわと落ち着かない様子だ。
──アーナス様は王太子殿下がお見えにならないのを、よほど心配なさっているようね……?
大好きな人と一緒に意匠を決めたい。
君に似合いそうだと微笑んでほしい。
ほんの少しのあいだでも、好きな人と一緒にいたい。
アーナスに限らず恋人同士なら皆が同じように望むだろう。
そんなふうに考えると、恋人に会えずにしゅんとしているアーナスは憎めない。
相手が王族であるにもかかわらず、レティアはむしろ愛らしさと親しみやすささえ感じてしまうのだった。
──全てが決まってしまう前に、王太子殿下がお見えになりますように。
その願いは、王城に来て初めの頃の「王族を間近で見てみたい」というものとは違っている。
自分と同じくらいの年代の、一人の恋する乙女を応援したい気持ちに他ならなかった。