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16・アーナス・ヴィクトロワ・デマレ 〜嫉妬狂いの王女



 シーラとともに、トルソーをアーナスの手前側に置こうとした時だった。


「あらあなた、初めて見る顔ね?」


 ドレスの裾を構うことなく立ち上がると、手持ちの扇子をパタパタさせながらアーナスが「ふぅん……」とレティアの周囲を歩き始める。


 上から下までじろじろと眺める仕草は、まるで新しい玩具おもちゃを念入りに品定めする少女のようだ。


「わたくしには到底敵わないけれど、けっこう綺麗なかんばせをしているわね。気に入ったわ、綺麗なものは好きよ。醜いものなんか目の端にも入れたくないもの」


 アーナスが他の針子たちをぎろりと見回すので、周囲は気が気ではない。

 仕立屋『アンブレイス』の面々は皆それなりの容姿をともなってはいるものの、アーナスの美の基準がわからない。


 もしも針子の中の誰かが《醜い判定》をされてしまえば、今すぐに出て行けと言われることもあり得る。

 人知れずシーラがごくりと生唾を飲み込んだ。


「新しい従業員を雇えるなんて、ずいぶん儲かっているのね? きっと従業員の皆がわたくしのお陰だと感謝しているわね。一人増えるだけでずいぶん仕事が楽になったでしょう! ねぇシーラ、そうでしょう? たくさん注文してあげているわたくしのお陰でしょう?」


 アーナスが歌うように言う。


 ──あなた様からのご注文が多すぎて楽になるどころか過重労働ですよ。

 これはマテリアルを両手に抱える針子たちの苦笑いの声だ。


「さようでございます、アーナス様」


 トルソーを置いたシーラが居直って深くお辞儀をする。

 醜い判定から話が逸れたので、どうやら皆の首が繋がったらしいと安堵の吐息を漏らした。


「それで……あなたのお名前は?」


 ひとしきり品定めを終えると、レティアの顔にぐい、と自分の顔を近づけてくる。


「れっ、レティア・ヴァーレンと、申します……アーナス様」


 きちんと礼を取れば、アーナスは少し驚いたように丸い両眼を見開いた。


「ただの針子のくせに、お辞儀はきちんとできるようね? ますます気に入ったわ。ねぇシーラ、この人を次も連れてきて頂戴。わたくしの専属にしたいわ」


「専属、で……ございますか?」


 シーラがアンブレイスに従事し始めてから十数年になるが、従業員を専属扱いで指名されたのは初めてだ。


「それは構いませんが……」


 見ればレティアが、きょとんと首を傾げながらこちらを見つめている。


「ただこの子はまだ接客担当の針子見習いでございますゆえ、アーナス様のご期待に添えますかどうか」

「それが面白いのよ……! わたくしの言い付けに対して、一体どんな反応を示して、どんな仕事をして見せるのか。試してみたいじゃない?」


 周囲が呆気に取られている。

 ぎらつくルビーレッドのは完全に新しい玩具おもちゃをいたぶろうとするものだった。

 もしも失敗をすれば──仕事をクビになるならまだマシだ。下手をすれば首が飛ぶ。


 シーラを含めた針子たちが青ざめていくなか、レティアの反応は違っていた。


「ご指名をいただき、大変光栄でございます、アーナス様。まだ見習いの身ではありますが、精一杯努めさせていただきます」


 怯むことなくアーナスをしっかりと見据え、凛と言い放つ。

 無知がゆえの気丈さ──誰もがそう思い、固唾を呑んだ。


「いい心がけじゃない。じゃあさっそく! この大事な大事な、舞踏会用のドレスの意匠を提案してもらおうかしら。今度の夜会でこれを着て、愛しい殿下と一緒にダンスを踊るのよ。だから……わかっているわよね? これはものすごく《大事な》ドレスなの」


 レティアの目の前に立つと、アーナスは扇子でレティアの頬をパタパタとはたいた。


「アーナス様っ、お言葉ではございますが、レティアはまだ針子としての腕も経験も未熟なのでございます。なので今度ばかりはわたくしたちにお任せを……」


 シーラが言い終わらぬうちだ。


「はぁ……!?」


 あからさまに顔を歪めたアーナスが、今度はシーラに詰め寄った。


「あなたまさか、わたくしの言いつけにちゃちゃを入れるおつもり……?」


 シーラの額に冷たい汗が滲む。

 言葉のないまま見つめ合う二人の一瞬の刹那がずいぶんと長い時間に感じられた。


「承知いたしました、アーナス様。ご用意いたしますから、少々お待ちくださいませ」


 沈黙を破る明快な声はレティアだ。

 にっこりと微笑むと、背後に控えていた針子たちの腕から幾つかのマテリアルを選び取っていく。


 こうなってしまえば失敗は許されない。

 だがしかし、経験豊富な針子たちが互いに相談し合いながらマテリアルを選び取るのとはワケが違っている。

 レティアはあくまでも……煌びやかなドレスなど見たことも、触れたこともなかろう《町娘》だ。王族が好む意匠など知るはずもないだろう……針子の誰もがそう思った。


 ──レティア……!


 心の中でシーラは叫び声をあげていた。


「アーナス様。ご提案を始めさせていただきます。先ずは……」


 レティアの手には、鮮やかなピンクのシルクサテンリボンと、幾つかのマテリアルが握られている。


「アーナス様の瞳は美しいルビーレッドでございます。この色はアーナス様の瞳のお色にぴったりです。それに、こちらの生地が──…」


「ちょっと待って!」

 レティアの言葉を遮るコマドリの怒声が、部屋中に響いた。


「待って……まさかあなた……知らないの……? わたくしは《ピンクが嫌い》なの。ねえ……《こんな大事なこと》を、《事前に誰も》、この新人に教えて差し上げなかったというの……?」


 ピンクが嫌い。

 シーラは自分の耳を疑った。

 アーナスの衣装作りを幾度となく経験済みのシーラでさえも聞かされていない。現にひと月ほど前にも、同じようなピンク色のドレスのオーダーを受けている。


 ──不機嫌な王女様の、完全な《嫌がらせ》だわ……!


 部屋の空気が凍りつくなか、シーラが眉間に深い皺を寄せたことに誰も気づかない。


「お言葉ではございますが、アーナス様」


 張り詰めた沈黙を破ったのは、またしてもレティアのよく響く鈴の声であった。





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