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14・白鷺の城へ


 * * *




 王宮御用達の仕立屋『アンブレイス』の従業員五名を乗せた馬車は、後ろに衣装専用の馬車をともなって王城の堅牢な石塀を抜け、敷地の奥へと進んでいく。

 美しい木立が立ち並ぶ窓の外の景色が突然に開けて、視界に収まりきれないほどの広大な庭園が目に飛び込んだ。


 ──トピアリーガーデンね。


 初めて足を踏み入れた《異世界》にレティアは息を呑む。

 正方形に植えられた樹木を刈り込んだ成形庭園が眼前に広がっている。


 規則正しく配列されたグリーンの園、中央には水飛沫みずしぶきをあげる大理石造りの噴水が配置されている。遥か向こうに見えるのは驚くほど精巧に形成されたチェス駒のトピアリーだろうか。

 幾何学形や四方形に樹木を刈り込んだ「緑の彫刻」は、思わず目を見張るほどの素晴らしい出来栄えだ。


 ──目に映るものすべてが美しいわ……!


 見晴らしの良い庭園の奥には白亜の王城の佇まいがどっしりと構えている。山の端に立つ美しい城は五階建ての平たい形状をしていた。


「綺麗でしょう……これがかの有名なロスフォール城よ。左右に両腕を広げるような建てられ方をしていてね、それが翼を広げる白い鷺に見えるって言われているの」


 正面に座る店主のシーラが、目を輝かせながら窓に張り付いているレティアに囁くように言う。


「それで《白鷺城》って敬称が付けられたのですね」

「あらレティア、よく知ってるじゃない。でも私たちが入れてもらえるのは、お城の裏っかわの建物だけどね」


 笑顔のシーラを横目に、ベテランの針子のアネットは不機嫌そうな顔をあからさまにレティアのほうに向けていた。


「……でも店長。どうして新人なんかを王城に? もしアーナス様のご機嫌を損ねでもしたら、とばっちりを受けるのは私たちですよ……!」


 アネットの言葉を待っていたかのように、他の二人も冷ややかな視線を突き刺してくる。いたたまれなくなったレティアは目を逸らして下を向いた。


「そもそも、どうして経験もない素人を雇ったりしたんです? 仮にも王族の方々のお衣装を手がける私たちは正真正銘のプロです。全くの素人のに何ができるっていうの……」


「あなたたち、少し落ち着きなさい。の。猫の手だって借りたいくらいよ、知っているでしょう? アーナス様が王城に来られてから一気に仕事の依頼が増えた」


 あなたたちのお給金も上がったわよね? とシーラが笑顔を作った。


「レティアは救世主なの。これからどんどん仕事を覚えてもらうつもりよ、だから王城ここにも連れて来た。あなたたちが縫製のプロなら、レティアには接客のプロを目指してもらう……もちろん工房では、縫製のほうも手伝ってもらうわ」


 アネットがレティアにウィンクして見せる。


「接客って、アーナス様の?」


 三人のうちの一人が身を乗り出した。


「ええそうよ」


 にこにこしながら平然と答えるアネットを、針子の三人が揃って凝視する。「ごくり」と喉を鳴らす音が聞こえてきそうなほどの静寂だった。


「……どうなったって知りませんよ、店長」

「何かあったら、私が責任を取る。だからあなたたちは意匠のご提案の事だけ考えていて頂戴。ねっ?」


 店長のシーラはどこか気概の性質が違う、とレティアは感じ取っていた。

 変わらず笑顔を崩さないシーラを他の三人はひどく不安げに見つめている。


「あの……ドレスの縫製の経験はありませんが、接客ならどうにかなると思います。皆さんのご迷惑にならないよう、精一杯頑張ります」


「心強いわ、レティア。みんなもいつまでそんな暗い顔してるの? アーナス様の前に出るのよ。笑顔、笑顔!」


 シーラに諭されるも、他の面々の面持ちはいつまでも沈んだまま変わらないのだった。


 ──皆さんがそんなに不安なるほど、アーナス様の接客って難しいのかしら? そもそも王太子妃候補の姫様のお相手が、素人の私に務まるといいけれど……。





 * * *




「アーナスとの茶会が無くなったと?」


 謁見を終えたラエルが自室に戻ろうとしたところで呼び止められた。ゲオルクが手帳と睨めっこしながらモノクルの奥の双眼をまたたかせている。

 大理石が敷かれた幅広の廊下は、午後の明るい太陽の光が煌々と差し込んで眩しいほどだ。


「さようでございます」

「……そうか」

「理由をお聞きにならないのですか?」


 いや、いい。

 即答したかったが、ゲオルクがさも聞いて欲しそうに見上げてくるので、仕方なく。


「なぜ無くなったんだ」

「仕立屋を呼んで、新たなお衣装を新調なさるのだそうです」


「……そうか」


 アーナスが何をしようがあまり関心を持てない、流石にもうこれ以上言葉が出てこない。なのにゲオルクはまだ物欲しそうに見上げてくる。


 キリがないだろう、と言わんばかりに吐息をつくと、ラエルは自室に向いていた足を戻して執務室へと歩きはじめた。

 アーナスとのお茶時間が無くなったからといって余裕ができたわけではない。政務関係の書類が溜まっているので好都合だ。


「それで……何なんだ、ゲオルク? 他に何か言いたいことでもあるのか」

「差し出がましいとは存じておりますが、今月に入って三度目です。いくら妃殿下候補者であっても少々浪費が過ぎるのではないかと、使用人たちの間でも好ましくない噂が立ち始めております」


 ラエルは少し考える素ぶりを見せたあと、また「そうか」とだけ答えた。


「殿下」


 ゲオルクが執務室に向かおうとするラエルの後を追ってくる。

 彼の身長と比例する短めの両足を懸命に動かして、主君に追いつこうと必死だ。


「非常〜に、申し上げにくいことなのですが」

「……今度は何だ?」


 仕方なく歩みを止めたラエルがゲオルクを一瞥する。ラエルのあおい双眼には、得体の知れぬ苛立ちと落胆の色が滲んでいた。


「殿下にもドレスの意匠を決めるのに立ち会ってほしいと、かの妃殿下候補が懇願しておいでなのです」


 ── 一緒に選んで頂かないと、イヤですのっ!


 アーナスの金切り声が背後から聞こえたような気がして身震いした。そんなものに付き合うくらいなら、一枚でも多く書類に目を通したい。


「間も無く衣装屋が到着いたしますゆえ、『殿下も薔薇宮殿へお越しいただきたいんですの!』との仰せでございます」


 ゲオルクは柄にもなく、アーナスの声色をしわがれ声で真似て言う。


 ──勘弁してくれ……!


 廊下の真ん中で立ち止まったまま額に手を当て、大きく息を吐いた。

 どうしたものかと思案を巡らせる。


 ── 一蹴するのは簡単だ。だが思いやられる。


 先月、ラエルが夜会を抜け出したことで執拗に責められ、使用人たちを怒鳴り散らしながらの大泣きが、三日三晩続いたあとなだけに。






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