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12・レティア・ヴァーレン 〜 夕星の転生 (1)



 三人は再びロスフォール城へと続く林道を駆る。

 王太子ラエルに続くのは、彼の護衛隊長アイザックと副隊長のマリウス。並列に走る騎馬は月明かりの夜道を軽快に進んでいた。


「殿下……熱心なのは良いですが、ほどほどになさって下さい」

「我らに隠れてまさかの逢引きですかぁ?」


「二人とも城に戻ったと思っていたんだ」

「近衛隊の隊長が主君を残して帰れますか。心配しましたよ」


 それはすまなかった。

 呟くラエルの表情は至って穏やかだ。


「含み笑いなんかしちゃって、いやらしいなぁ。まさか本当に逢引き?」

「殿下に限ってそんな事あるはずがなかろう」

「じゃあ今まで何してたんです?」

「視察に決まっているだろう。マリ、馬鹿な詮索をするんじゃない」

「バカって何だよ、偉そうに!」


 従者たちの掛け合いを横目に聞きながら、ラエルは爽やかに笑ってみせる。


「ふたりには悪いが、視察のあと『』をしてきた」


「いい思い?!」

 アイザックとマリウスが口を揃えた。


「なんです? それ……気になるなぁ」

「殿下、笑って誤魔化さないでください」


 ラエルの目の奥に、城下で出逢った少女の眼差しが映る。


 ——どうして私なんかに、優しくしてくださるのですか。


 何故だろう。

 あの町娘に、あんなお節介を焼いてしまったのは。


 粗末な身なりをしていたが、彼女は美しかった。外見を着飾るだけでは見られない、内面からの清廉な輝きを放っていた。

 そんな彼女の身売りはきっとよほどの事情があってのことだろう。なのにわかったようなふりをして、説教じみた事を言った。


 ──後悔してるのか? 珍しく。

 だがもうあの娘と会う機会はなかろう。


「よっし! 城まで競走だ、このチョコを賭けてっ」


 見れば、拳を振り仰いだマリウスの指先に鈍色の小さな包みが握られている。


「……馬鹿かそんなもの」


 ぼやくアイザックを残して、ラエルとマリウスはもはやスタートを切っていた。


「殿下までマリの悪ふざけを真に受け……」

「ごちゃごちゃ言ってると置いて行くぞ、アイザック」


 愛馬の手綱をグンと引いて肩越しにラエルが叫ぶ。

 闇を斬るように、王城へと続く林の一本道を三筋の風が駆け抜けた。




 * * *




 小さな四角い窓辺で月に向かい、レティアは祈るような格好でひざまずいていた。

 窓を締め切っていても頼りない木格子の隙間から風が滑り込んで来る。その冷たさをものともしないほど、心は温かさと幸福に満ちていた。


「あの方はきっと天使だわ」

 麻袋を胸元でぎゅっと握りしめる。


 夜中に一人では危ないと言い、青年は遠慮するレティアを説き伏せて、家のそばの表通りまで送り届けた。

 レティアを馬の背から下ろして再び愛馬に跨った青年に差し出されたのは、報酬としてレティアに渡した麻布の巾着袋。


「お返しします。あれは契約不履行だったもの……お金はいただけません」

「途中で拒んだのは私だ。君はその報酬を受け取る権利がある」


 青年は白馬の手綱を勢い良く引いた。馬はいななき、前足を高く上げる。


「待ってください……っ、本当にいただけません」


 レティアの言葉が聴こえたのか、肩越しに振り返った青年が何か言ったような気がした。だがそれも、救いの天使が最後に残した微笑みにすぎなかったのかも知れない。


 恐る恐る巾着を開いてなかを覗いてみる。

 とんでもないものが目に飛び込んできて卒倒しそうになった──袋に入っていたのは五枚の金貨、『五百ガリオン』。

 レティアが本屋で働き詰めたとしても稼ぐのに数年はかかるだろう。


「こんな大金?!」


 慌てて呼び止めたけれどすでに遅く、青年と馬の姿はあっという間に夜霧の向こうへと消えてしまった。

 麻袋を握りしめたまま茫然と立ち尽くすレティアひとりを残して。


「…………姉さま?」


 幼い声がしてはっと我に返った。


「ルカったら、まだ起きていたの?」

「姉さまが今日も遅いから、もしも帰って来なかったらどうしようって……心配で眠れなかったんだ」


 七歳の誕生日を迎えたばかりの弟ルカは眠い目をこすりながらやってきて、レティアの腰に両腕を絡ませてくる。


 ──いとおしいルカ。


 思わず抱きしめた小さな体は温かかった。


「ばかね。姉さまがあなたやお母様を置いて、いなくなるわけがないでしょう?」


 ──大切なものはここにある。私はそれを守らなければならない。

 どんなことがあっても、弱音を吐くわけにはいかない……!


「ルカ、これを見て」


 暗い部屋のわずかな光にもきらりと輝く金貨を一枚、ルカの胸の前に差し出した。


「……なぁに、これ」

「金貨よ、神様にいただいたの。これ一枚でお母様のお薬も、あなたの大好きなクッキーを作る小麦粉も、卵だって買えるのよ」


「へぇぇっ、すごい」


 ルカは金色の輝きを放つ硬貨を嬉しそうに手に取ると、上から、下から興味深げに眺めた。


「お誕生日だから、きっと優しいルカに神様がお祝いをくださったのね」


 レティアがそう言うと、ルカは「えへへっ」と照れたように笑った。ルカをもう一度強く抱きしめると、レティアは月に向かって頭を下げる。


 ──このご恩はいつか必ずお返しします……!


『君はもっと自分の価値を知るべきだ』。


 《天使》の声が耳元から離れない。

 こんな自分にも『価値』がある──あの青年が気づかせてくれた。


 父親が死んでから、レティアは自分が男ならどれほど良かっただろうと思い続けてきた。男は女よりも稼ぎが良くて、仕事もたくさんある。

 それに男だったら《あんな目》にも遭わなかったはずだ。だからこそ、男装をしてまで男でいようとした。


 ──けれど女にだって……女だからこそ、できることがあるはずよ……!


 そう言えばと、記憶を辿る。

 幼馴染のアルヴィットがこんなことを言っていたのを思い出した。


『王室お抱えの老舗だけど、女性限定でさ。ティアは、その……気はないんだよね?』




 *




 次の日の朝。

 クリストファー通りの薄暗い路地裏から、まばゆい陽光の下に一人の娘が歩み出た。


 平凡で地味な色合いのワンピースを着ている。

 年頃の若い娘なら誰でもしていそうな……長い髪をざっくりと三つ編みに結え、肩から垂らしただけのありきたりな髪型。


 これと言って身なりに特徴はないけれど──レティアは周囲の人目を惹いていた。

 銀色の髪は朝日に輝いて見えたし、滑らかな肌は北国の女と見まごうほどの蒼白さだ。

 化粧をしているわけではないのに、薄紅色に上気したような頬と薔薇色の唇は否応なしに周囲の人々の視線を捉えた。


 道行く男たちは、彼女の大きな瞳が何を映すのだろうとその視線の先を見据えた。若い女たちは嫉妬と羨望の入り混じった表情をしている。

 すれ違う者はみな、揃って彼女を振り返るのだった。


 レティアは注意深く周囲を見回してみる。


『赤の隊員』の姿はない──もっとも彼らが追っているのは『少年』のレティアのはずだ。もしも姿を見られても、すぐに捕まることはないだろう。


 それでも拭い去れない緊張と恐怖心が胸につかえたまま……広場の片隅にある求人の看板を眺めていると、


「ちょっとお嬢さん」


 初老の紳士が声を掛けてきた。


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