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8・少女の価値(1)



 雲間から月が顔を出し、木々の合間を縫って夜道を明るく照らし始めていた。


 王城を飛び出した三人は、城下へと続く森の中の一本道を駆けて行く。彼らの馬は皆すばらしく、雨のあとのぬかるみにも足を取られず軽快に歩んだ。


「今頃あのお姫様、殿下が消えたことに気付いて大騒ぎだぞぉ? またあのキーキー声で侍女たちを怒鳴りつけてるに違いない」

「マリッ、言葉が過ぎるといつも言っているだろう?!」


 マリウスがほくそ笑むのをアイザックが嗜めるのは、ラエルの心情を気遣っての事だ。


「アイザック、構わない。マリウスの言う通りだ」


 意に介さずといったラエルの視線の先には、霞がかった城下の灯りが広がっていた。林を抜けて坂道を降りれば、王都へと繋がる広い街道に出る。


「そういえばアイザック。お姫様のところに殿下が行くまで、お前はどうしていたんだ?」

「どうだっていいだろう、そんなこと」

「良くない、知りたい知りたい!」

「子どもか、お前は……」


 幼い頃から共に過ごしてきた彼らは身分の垣根を越え、互いに「友情」に似た絆で結ばれている。


「アイザックのやつ、殿下との約束を忘れて時間に遅れて行ったんです」

「忘れていたわけではない。おまえが仕事をサボるから、私が余計な気遣いを……ッ」

「そんなの関係ないだろう? 自分でしっかりしなきゃいけないことさ」

「おまえに言われたくないわ」

「お姫様の金切り声は凄まじいからなぁ。『殿下はどこなの?! なんであんたが来るのよ』ってか?」

「殿下の前でそういう事を言うな!」


 もはや従者ふたりの茶化し合いだが、三騎の先頭を行くラエルはさも楽しそうに聞いている。


「『一緒でなきゃ嫌だ』と、散々豪語していたからな……」


 マリウスが投げて寄越した《銀色に光る小さな包み》を片手で受け止めながら、ラエルが人ごとのように呟いた。


「殿下までそのような事を。アーナス様はあなたの婚約者ですよ? 他人の噂ならばともかく……」

「まあー、そんなにカリカリしなさんなって」


 マリウスは小さな銀の塊をアイザックにも放り投げた。軽やかなを受け取れば、


「……なんだ、またコレか? お前はやっぱりお子様だ」


 アイザックの呆れ顔を聞かぬふりをして、マリウスはにこやかにその甘く茶色い塊を口に含んだ。


「焼け跡の視察でしょう?」

「ああ。夜間ならば見通しがきくだろう、この目で見ておきたい。それに家を失った者達……彼らは路地裏に彷徨っていると聞いたが、いったいどのくらいいるのだろうか」


 王都の街に入った三頭の馬が、石畳に軽快な蹄の音を響かせている。

 昼間は多くの人々が行き交う街道も夜になれば閑散として、騎馬たちが雄々しく通るのを、道ゆく人々が見遣った。


「相変わらず真面目ですよねぇ、殿下は。火災の調査団が組まれたんでしょう? 現地の視察なんて彼らに任せときゃいいのに」

「まぁそう言うな。百聞は一見にしかずだ。先ずは手分けをして、街中にどのくらい家を失った者達がいるのか調べたい。焼け跡の視察はそのあとだ」


 街の中央に位置する広場の噴水前に差し掛かったとき、影は三つに分かれ、それぞれが目指す方向へと消えていった。




 * * *




「私は君の客ではない」


 青年が勢いよく手綱を引くと、馬のいななきが夜空を切り裂いた。走り出した白い影はすぐに小さくなり……美しい青年を乗せた白馬の蹄の音が、夜霧の向こうへと遠ざかっていく。


 ──キミの、客……?


 白い馬と、あの美しい青年の横顔が視界の奥で揺らいでいる。


 レティアは目を見開いた。

 ぼやけた意思を働かせて目蓋を閉じようとするのに、茫然と宙を見据えた瞳はピクリとも動かない。


 『客』──。

 そうか、「身体を買ってくれ」だなんて言ったから。

 当然ながら私はだと思われたのだ……あの美しい男性ひとに。


 そう思った瞬間、なにもかもがもう、どうでも良くなった。



 ──売春婦、売春婦、売春婦……!



 レティアはうすら笑いを浮かべた。

 へたへたと数歩、歩く。


 その目にはしっかりと物を映す気力さえ、もう残されてはいなかった。


「私を……買って、ください」


 掠れる声を喉の奥から絞り出せば、生あたたかい唾液が込み上げてくる。

 うつろな目をしたまま、すれ違う男たちに手当たり次第声をかけた。お金持ちかどうかなんて、どうでもよかった。


「この身を一晩、買ってください……」


 路地裏の暗闇から、一人の薄汚い男が近づいてきた。

 冷たく無骨な石畳、街灯の薄明かりの下にたたずむレティアを、頭からつま先まで舐めるように見ている。


 白いブラウスとグレーのハーフパンツは泥でひどく汚れていたが、サラサラと夜風に流れる彼女の美しい銀の髪は、暗がりに一条の光が差すように目を惹いた。


 男は静かに歩み寄り、レティアの背後に立った。

 華奢な背中を、後ろからゆっくりと羽交い締めにする── 。


「俺が買ってやるよ」


 レティアは力なく振り向いた。

 男の手に握られていたのはわずか五シックル、果物ひとつさえ買えない額だった。


「……ここで上等だろ?」


 レティアの腕をつかんだ男は、路地裏の安っぽいモーテルの前で立ち止まった。

 レティアを背中から抱きすくめると、すすけた顔を白い頬にすり寄せてくる。そして腰まであるレティアの長い髪を、爪の中まで真っ黒に汚れた指先でいじくった。


「いい女だ…… おまえだろう? こんな上物、ここらじゃ初めてだ」


 レティアの瞳は──呆けたまま、虚空を見つめている。


「やべっ、我慢できねぇ……!」


 モーテルを前にブルっと身震いし、


「たっぷり可愛がってやるよ……いい思い、させてやっから」


 レティアの目には、もう何の意思も残されてはいない。

 男が強引にレティアの腕を引いた時──。


「ちょっと待て」


 不意に背後から声がして、振り向けば街灯の下にグレーのローブを頭から被った背の高い男が立っていた。




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