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2・アルヴィット・ワイズ 〜幼馴染の恋煩い


 ガサガサッ──…

 すぐ近くで草を踏みしめる音がして、レティアは目を瞑りギュッと身を縮めた。


 ──見つかった……!!


「ティア、こっちだ」


 聞き馴染んだ男性の声が頭上から降ってきて、頭からぼわんとローブが被さる。途端、橋脚の壁面に背中を押し付けられ、レティアの体は逞しい二本の腕に囲まれていた。


「アル……!?」


《アル》と呼ばれた男の顔が、唐突にレティアの鼻先が触れそうな距離にまで近づけば、


「そこの二人」


 ──この辺りで帽子を被った見なかったか。


 ローブを通してくぐもった声が耳に届く。

 肩を抱えられて身を起こせば、少しだけ開けた瞼の前に真紅の隊服の腰元が飛び込んで来て、レティアは「ひっ!」と息を呑んだ。


「あっちの方へ走って行きましたよ」


 恐怖で震えるレティアの肩を、力強い手のひらがグッと支えてくれている。

 その言葉を真に受けたのか、四人の兵士達は腰元に提げた剣の鞘をガチャガチャ揺らしながら足速に去って行った。


「ア……ル……」

「危なかったな」


 悪寒が腹の底から込み上げてくる。

 レティアの震えは止まらぬままだが、彼はひとまずと言ったふうに胸を撫で下ろした。


「アル、ああ……っ」

「大丈夫か? だがまだ油断はできない。送るよ、すぐそこに馬車を待たせてあるから」


 こうやって、危ないところを幾度彼に助けられただろう──燃えるような赤髪から覗くヘーゼルの瞳でレティアを見つめている、このアルヴィット・ワイズという名の幼馴染みに。


 動き出した馬車の中でしばらく目を閉じていると、次第に心が落ち着いて。

 ローブのフードがアルヴィットの手で下ろされた時には、彼の顔を真っ直ぐに見られるくらいの冷静さを取り戻していた。


「ありがと、アル……っ。本当に、私……あなたに助けてもらってばかり」

「俺はティアの騎士ナイトですから。姫がどこにいても馳せ参じますよ?」

「姫だなんて……またそんな冗談を言って」


 しかしさっきは本当に危なかった。

 アルヴィットに助けられなければ、間違いなく捉えられていた。


「いや、『近衛騎士隊がいる処にレティア有り』ってね。赤い隊服を追っていたら、ティアの姿を見つけたんだ」

「怖い事を言わないで? さっきは本当に……捕まるって、思ったんだから……」


 アルヴィットは『近衛騎士隊』と呼ぶが、レティアにとって真紅の隊服を纏う彼らは『赤い騎士隊』。


 レティアの前に彼らが初めて現れたのは二年前。

 父であるヴァーレン卿が他界してすぐ……父親を失った悲しみのさなか、レティアたち家族が借金取りに追われ始めた頃だ。


「もう二年になる。一体どこまでしつこいんだ? 近衛騎士ってのは本来、王族の護衛に付いてる筈なんだ。そんな奴らが城下を彷徨うろついてるってこと自体、異常だからな!」


 この二年間、アルヴィットはその理由を探り続けているが、そもそもレティアが近衛騎士に追われる理由が皆目かいもくわからない。


 けれどはっきりしている事がある──


「私は誰にも捕まるわけにはいかないの」


 たとえ、レティアを追う赤い騎士らにどんな理由があろうとも。

 肺病の母と幼い弟がいるのだ。

 レティアがいなくなれば、最愛の家族である彼らを路頭に迷わせることになってしまう。


 だんだん頭が冷えてくると、先程アルヴィットが取った行動が気にかかる。


 ──そう言えばっ。アルってば、どさくさに紛れて私にキス……しようとしなかった……?


 もし違っていたらと思うと恥ずかしくて、面と向かっては聞けないけれど。


「あ〜、それにしても惜しかったな」

「 ぇ? 」

「あとちょっと、あいつらが来るのが遅かったら」


 いきなり向かいの席から伸びてきたアルヴィットの指先が、レティアの顎をクイっと持ち上げた。


「ティアとキスできたかも知れんのにな?」


 形の良い唇に柔らかな弧を描かせ、悪戯めかしてウィンクなんかして見せる。

 彼はいつもこうなのだ。


 アルヴィットとは物心ついた時からの幼馴染みだけれど、昔からレティアに対して『幼馴染み』以上の感情をぶつけてくる。

 彼の言葉が本心か冗談なのかはわからない。けれど、いつも事あるごとに飛んでくるのはこうした口説き文句だ。


「アルったら、何を言ってるの。もしもキスなんかされてたら、私あなたをひっぱたいていたかも知れない」

「それは酷いな! ああでもしなければ二人とも疑われていただろう?」

「それで咄嗟にをしたって……こと?」


 アルヴィットの父親は王帝陛下が直々に物品を取引する筆頭商人で、王都でこの父息子の名を知らぬ者はいない。

 王都中に数多存在する騎士達の中でも、アルヴィットは王族の身内である大司祭直属の名誉職を務め、聖騎士ナイトの称号を持つ。


 いくら幼馴染みだとはいえ、没落士族の貧民であるレティアがこんな風に接する事のできる身分の相手ではないのだが、そこは幼馴染のよしみというものだ。


 ──どさくさ紛れにキスなんてっ。でも……


 にこやかにうなずくアルヴィットを見れば、レティアも責める言葉すら失ってしまう。彼が多くの女性から好意を寄せられている理由は、この美丈夫の屈託の無い笑顔と偉ぶらない気さくな態度だ。


「それにしてもティア、こんな時間になんで外にいたの。本屋は、職場はどうした?」


 クビになったの。

 レティアのその一言はアルヴィットをひどく驚かせるのに十分だった。


「ふふっ……でも平気よ? 仕事なんてまた探せばいいんだもの」


 気丈に微笑んではいても、ピンクパープルの瞳は不安いっぱいに揺れている。


「ティア──…」


 アルヴィットが彼女を引き寄せようと腕を伸ばす……が。

 やんわりと両手のひらを掴まれて、せっかく触れ合った互いの手は優しい握手へとすり替えられてしまう。


「ありがと、アル……いつも気にかけてくれて」

「可愛いティアがしてる理由を知ってるのは俺だけだからな。そりゃあ気にもなりますよ」

「あなたには本当に、感謝してもしきれないわ」


「ああ、いや……うん。いつでも俺を頼って」


 アルヴィットの大きな手を両手で包むようにしながら、レティアは花のように微笑んでいる。この笑顔にアルヴィットのレティアへの想いはいつも誤魔化されてしまう。


 ──君を抱きしめること今日も叶わず。

 レティアにすっかり心の内を見透かされているアルヴィットは、頭の中でしゅんと項垂れた。


「そういえばティア。知り合いの仕立屋が針子を募集してるって聞いたんだが」


 アルヴィットは目の前のレティアの変装ぶりを見て、うーんと顎に手をあてた。

 帽子を被った想い人はきょとんと首を傾げている。その表情かおが愛らしすぎて、アルヴィットは想いを誤魔化すように「こほん」と咳払った。


「王室お抱えの老舗だけど、女性限定でさ。ティアは、その……気はないんだよね?」




* * *



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