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第19話 彼女は「間違えた」のだ。

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「……それって浮気?」


 マスターは眉を片方上げた。


「や、違う。関係はずっと平行させていた。そうしなくては、私が保たなかった」

「だったら結婚なんかしなくても良かったのに!」


 あたしの言葉に「全くだ」と彼は苦笑した。


「全く君の言う通りだ。私はそうするべきではなかった。だがしてしまったものは仕方が無い。私は彼女との間に娘を作った。それが免罪符であるかの様に。彼女は子供が欲しかった。そして娘を可愛がった。その間に私は、もとの恋人達とよりを戻していた」

「……ひどい父親だ」


 全くだ、と彼は再び苦笑した。


「ところがある日、マリアの父親――― 彼は内科の方が専門だったのだが、娘には先天的異常があることが判った。……五年と生きない、と彼は宣告した」


 あたしはうなづいた。


「おばーちゃんもそう言ってたわ」

「君にはどう……」

「あたしは、代わりに神様がよこしてくれたんだよって。……その子のフォートは全部焼き捨ててしまったって、何も無かったから、あたしは『本物』がどんな子だから、知らない。おばーちゃんも、そのことは言わなかった」

「マリアは……?」

「あたしを、ずっと自分の娘だと、思ってた」


 あの時まで。そうあの時。

 TVで「パパ」の姿が映し出された時。あの時、彼女は、まだ彼が自分の側に居た時間まで、自分の中の時を戻してしまったのだ。


「ママは、自分の本当の子供が死んだことを、忘れてた。ずっと。あなたが居なくなったショックで、―――あたしは、あなたが死んだショックで、って聞かされていたけど」

「本物のルイーゼロッテは……」

「ママはその時錯乱していて」


 あの時の様に。時間がごちゃごちゃになっていて。


「本物のルイーゼロッテの世話を忘れてしまうことがあった。そして目を離したすきに」


 具体的にどういう理由で死んだのか、までは聞いていないけど。

 そして子供の死を伝えられた時にダブルの衝撃。―――ちょうど両親を亡くしたばかりのあたしが、同じ年頃だったせいで、彼女は「間違えた」のだ。


「あたしはそれからずっと、間違われたまま、ママの娘として育ったの。でも目をふさいでた部分もあったかもしれない。だってあたしAB型だもん。ドクトルはO型でしょ?」


 O×OでABは生まれない。

 少しでもママが、そういうことに疑問を持ったなら、あたしが「違う」ことくらい、簡単に割り出せたはずだった。だけどママは目を塞いでいた。塞いだまま、逝ってしまった。

 それほどまでに、「パパ」が好きだったから。そこに居る「娘」は「パパ」との子でなくてはおかしいから。


「そのくらい、ママはあなたのことを愛してたのに―――どうして? どうして、わざわざ危険な活動に加わったの? あなたがもしカミングアウトしたとしても、他に愛人が居たとしても、あのママだったら、それでもあなたについてったはずだもの」

「それは、俺も知りたい」


 マスターもじっと相手を見据えた。


「……軽蔑するか? トパーズ」

「するかもしれない。けどそれでもあんたはあんただ。だから言ってみろ」


 ああ、とドクトルはうなづいた。


「……重かった。重すぎたんだ」


 状況が。そしてマリアルイーゼの思いが。


「あんたはもっと、厚顔でいればよかったんだよ」


 マスターはつぶやいた。


「そのつもりだった。そうできるつもりだった。だが」


 当時の恋人――― ハルシャーの医師の一人が、反体制運動に関わってしまっていた。

 恋人は、自分にはもう近づくな、と言ったらしい。おそらく自分達は「ライ」送りになるから、と。

 彼はぞっとした。それがどういうことか、良く知っていたからだ。

 だから彼はそれでいいのか、と恋人に詰め寄った。

 何故なら、恋人には、その稼ぎのみを必要としている家族が居たからだ。経済基盤がしっかりしている妻の実家と違い、生まれた方の家族。両親や弟妹。養わなくてはならない家族。

 それは判っている、と恋人は言った。だけどもう知れてしまったどうしようもない、と。

 そこでケルデン医師は、だったら自分が、と言い出してしまったのだ。

 駄目だ、と恋人は言った。

 だが残りの同志が、それを聞きつけて、恋人の意思を無視し、ケルデン医師を「仲間」に加えてしまった。無論自分達の目的だの行動内容だの、伝えた上で。

 何だって、と恋人は彼に問いかけた。君は幸せな家庭があるだろう、と。

 そこでケルデン医師は答えた。


「その幸せって奴が、私を押しつぶす」


 最初から間違っていたのだ、と。


 迷う様な弱い心があるなら、始めから偽装結婚などしなければ良かったと。だけどそれはもう、後の祭りだ。だったら、どうしようも無い理由で自分が消えてしまえばいい、と。


「……あんたは馬鹿か。すげえ勝手。いくら何だって、その理由は無いだろ」


 マスターは片手で顔を覆い、大きくため息をついた。


「馬鹿だろうな。それ以外の何者でもない」

「全く馬鹿だ。馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿」

「……そこまで言うことはないだろう。そして私は捕まった。主犯として。……ただし、彼等はただで私を売った訳ではなかった」


 あたしははっとした。


 ―――同時期に医師の登録を抹消されたひとは三人しかいなかった。確か神経外科のひとが二人、内科のひとが一人―――


「もしかして…… 神経外科の先生!? ドクトルの恋人って……」

「ああ」


 恋人は、「無駄かもしれないけど」と、逮捕直前のケルデン医師に、新型の脳内物質撹乱病の抑制剤を大量に投与した。

 政治犯に対する処置に関しては、彼等はもちろん知っていた。そして内密に、その処置に対する「簡単な方法」を研究していた。

 見つからずに、効果を抑制する方法。

 「上手く行くかもしれないし……行かないかもしれない」と、恋人は言った。すると「別にいいさ」と、ケルデン医師は言った。

 そしてこう付け加えた。


「その時はその時だ。ただこのことで、マリアルイーゼ達がひどい立場に追い込まれるだろう。……力になってやって欲しい」


 ママは結婚して一度病院を辞めていたが、夫の記憶が残る実家から出たかったことと、あたしを養うため、という理由をつけて、再び勤めだした。

 その時に、婦長さん共々、ママの復職を後押ししてくれたのは彼等だという。


「……結果、それは成功した。無論、それは様々な条件が作用している。その薬品が脳内に影響するための待機時間、量、そして本当に作用するのか―――」

「そっち方面は俺はよく判らんけど。なるほどそれで、あんたは最初からそうだったんだな。ドクトルK」

「ああ。そうだ。お前には一目惚れだった」


 ……懺悔の途中で言う言葉じゃないと思う。


「もういいよ」


 ため息をつきながら、あたしは言った。


「ロッテ?」

「ルイーゼロッテ?」

「なぁんか、もう嫌になった。結局、皆が皆嘘ついてたんだし、それで嫌なことはもう起こっちゃったんだし。……やめよやめよ」


 そう言ってひらひら、と両手を振ったらひどい痛みが背中を襲った。途端、あたしはベッドに倒れ込みそうになって、マスターに支えられた。


「ありがと」

「どう致しまして」


 にっ、とマスターは笑った。


「それで、だ、ロッテ」

「はい?」


 彼はそっとあたしをうつ伏せに寝かせながら、問いかけた。


「昨日、このことを某科学技術庁長官に通信したらなあ」


 通信? 妙にその言葉が引っかかった。


「ジオ君曰く、『そうか死んだなら仕方ない、僕はあきらめるよ』だと」

「はあ?」


 あたしは思わず伸び上がりそうになって、再びマスターに支えられた。


「そんでもって、その後、『抗争』中に、記憶喪失の女の子を拾ったから、養女にするよ、って連絡をね」


 開いた口が、塞がらなかった。


「な…… な、んな、の、それは」

「『あたし、行くところが無いの』」


 あの時の、あたしの言葉。あたしの声。


「……だからって養女って…… マスターの?」

「そ。まずい? ワタシがママよー」


 くくく、とマスターは笑った。


「家族になろうぜ、ロッテ。俺達で、ほれパパさんもこっちいらっしゃい」


 ……そのあとのあたしの顔は、涙と鼻水で見られたものではなかった。

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