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「……それって浮気?」
マスターは眉を片方上げた。
「や、違う。関係はずっと平行させていた。そうしなくては、私が保たなかった」
「だったら結婚なんかしなくても良かったのに!」
あたしの言葉に「全くだ」と彼は苦笑した。
「全く君の言う通りだ。私はそうするべきではなかった。だがしてしまったものは仕方が無い。私は彼女との間に娘を作った。それが免罪符であるかの様に。彼女は子供が欲しかった。そして娘を可愛がった。その間に私は、もとの恋人達とよりを戻していた」
「……ひどい父親だ」
全くだ、と彼は再び苦笑した。
「ところがある日、マリアの父親――― 彼は内科の方が専門だったのだが、娘には先天的異常があることが判った。……五年と生きない、と彼は宣告した」
あたしはうなづいた。
「おばーちゃんもそう言ってたわ」
「君にはどう……」
「あたしは、代わりに神様がよこしてくれたんだよって。……その子のフォートは全部焼き捨ててしまったって、何も無かったから、あたしは『本物』がどんな子だから、知らない。おばーちゃんも、そのことは言わなかった」
「マリアは……?」
「あたしを、ずっと自分の娘だと、思ってた」
あの時まで。そうあの時。
TVで「パパ」の姿が映し出された時。あの時、彼女は、まだ彼が自分の側に居た時間まで、自分の中の時を戻してしまったのだ。
「ママは、自分の本当の子供が死んだことを、忘れてた。ずっと。あなたが居なくなったショックで、―――あたしは、あなたが死んだショックで、って聞かされていたけど」
「本物のルイーゼロッテは……」
「ママはその時錯乱していて」
あの時の様に。時間がごちゃごちゃになっていて。
「本物のルイーゼロッテの世話を忘れてしまうことがあった。そして目を離したすきに」
具体的にどういう理由で死んだのか、までは聞いていないけど。
そして子供の死を伝えられた時にダブルの衝撃。―――ちょうど両親を亡くしたばかりのあたしが、同じ年頃だったせいで、彼女は「間違えた」のだ。
「あたしはそれからずっと、間違われたまま、ママの娘として育ったの。でも目をふさいでた部分もあったかもしれない。だってあたしAB型だもん。ドクトルはO型でしょ?」
O×OでABは生まれない。
少しでもママが、そういうことに疑問を持ったなら、あたしが「違う」ことくらい、簡単に割り出せたはずだった。だけどママは目を塞いでいた。塞いだまま、逝ってしまった。
それほどまでに、「パパ」が好きだったから。そこに居る「娘」は「パパ」との子でなくてはおかしいから。
「そのくらい、ママはあなたのことを愛してたのに―――どうして? どうして、わざわざ危険な活動に加わったの? あなたがもしカミングアウトしたとしても、他に愛人が居たとしても、あのママだったら、それでもあなたについてったはずだもの」
「それは、俺も知りたい」
マスターもじっと相手を見据えた。
「……軽蔑するか? トパーズ」
「するかもしれない。けどそれでもあんたはあんただ。だから言ってみろ」
ああ、とドクトルはうなづいた。
「……重かった。重すぎたんだ」
状況が。そしてマリアルイーゼの思いが。
「あんたはもっと、厚顔でいればよかったんだよ」
マスターはつぶやいた。
「そのつもりだった。そうできるつもりだった。だが」
当時の恋人――― ハルシャーの医師の一人が、反体制運動に関わってしまっていた。
恋人は、自分にはもう近づくな、と言ったらしい。おそらく自分達は「ライ」送りになるから、と。
彼はぞっとした。それがどういうことか、良く知っていたからだ。
だから彼はそれでいいのか、と恋人に詰め寄った。
何故なら、恋人には、その稼ぎのみを必要としている家族が居たからだ。経済基盤がしっかりしている妻の実家と違い、生まれた方の家族。両親や弟妹。養わなくてはならない家族。
それは判っている、と恋人は言った。だけどもう知れてしまったどうしようもない、と。
そこでケルデン医師は、だったら自分が、と言い出してしまったのだ。
駄目だ、と恋人は言った。
だが残りの同志が、それを聞きつけて、恋人の意思を無視し、ケルデン医師を「仲間」に加えてしまった。無論自分達の目的だの行動内容だの、伝えた上で。
何だって、と恋人は彼に問いかけた。君は幸せな家庭があるだろう、と。
そこでケルデン医師は答えた。
「その幸せって奴が、私を押しつぶす」
最初から間違っていたのだ、と。
迷う様な弱い心があるなら、始めから偽装結婚などしなければ良かったと。だけどそれはもう、後の祭りだ。だったら、どうしようも無い理由で自分が消えてしまえばいい、と。
「……あんたは馬鹿か。すげえ勝手。いくら何だって、その理由は無いだろ」
マスターは片手で顔を覆い、大きくため息をついた。
「馬鹿だろうな。それ以外の何者でもない」
「全く馬鹿だ。馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿」
「……そこまで言うことはないだろう。そして私は捕まった。主犯として。……ただし、彼等はただで私を売った訳ではなかった」
あたしははっとした。
―――同時期に医師の登録を抹消されたひとは三人しかいなかった。確か神経外科のひとが二人、内科のひとが一人―――
「もしかして…… 神経外科の先生!? ドクトルの恋人って……」
「ああ」
恋人は、「無駄かもしれないけど」と、逮捕直前のケルデン医師に、新型の脳内物質撹乱病の抑制剤を大量に投与した。
政治犯に対する処置に関しては、彼等はもちろん知っていた。そして内密に、その処置に対する「簡単な方法」を研究していた。
見つからずに、効果を抑制する方法。
「上手く行くかもしれないし……行かないかもしれない」と、恋人は言った。すると「別にいいさ」と、ケルデン医師は言った。
そしてこう付け加えた。
「その時はその時だ。ただこのことで、マリアルイーゼ達がひどい立場に追い込まれるだろう。……力になってやって欲しい」
ママは結婚して一度病院を辞めていたが、夫の記憶が残る実家から出たかったことと、あたしを養うため、という理由をつけて、再び勤めだした。
その時に、婦長さん共々、ママの復職を後押ししてくれたのは彼等だという。
「……結果、それは成功した。無論、それは様々な条件が作用している。その薬品が脳内に影響するための待機時間、量、そして本当に作用するのか―――」
「そっち方面は俺はよく判らんけど。なるほどそれで、あんたは最初からそうだったんだな。ドクトルK」
「ああ。そうだ。お前には一目惚れだった」
……懺悔の途中で言う言葉じゃないと思う。
「もういいよ」
ため息をつきながら、あたしは言った。
「ロッテ?」
「ルイーゼロッテ?」
「なぁんか、もう嫌になった。結局、皆が皆嘘ついてたんだし、それで嫌なことはもう起こっちゃったんだし。……やめよやめよ」
そう言ってひらひら、と両手を振ったらひどい痛みが背中を襲った。途端、あたしはベッドに倒れ込みそうになって、マスターに支えられた。
「ありがと」
「どう致しまして」
にっ、とマスターは笑った。
「それで、だ、ロッテ」
「はい?」
彼はそっとあたしをうつ伏せに寝かせながら、問いかけた。
「昨日、このことを某科学技術庁長官に通信したらなあ」
通信? 妙にその言葉が引っかかった。
「ジオ君曰く、『そうか死んだなら仕方ない、僕はあきらめるよ』だと」
「はあ?」
あたしは思わず伸び上がりそうになって、再びマスターに支えられた。
「そんでもって、その後、『抗争』中に、記憶喪失の女の子を拾ったから、養女にするよ、って連絡をね」
開いた口が、塞がらなかった。
「な…… な、んな、の、それは」
「『あたし、行くところが無いの』」
あの時の、あたしの言葉。あたしの声。
「……だからって養女って…… マスターの?」
「そ。まずい? ワタシがママよー」
くくく、とマスターは笑った。
「家族になろうぜ、ロッテ。俺達で、ほれパパさんもこっちいらっしゃい」
……そのあとのあたしの顔は、涙と鼻水で見られたものではなかった。