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5.-③


「……の野郎!」


 その声が届いた時、彼は自分の耳を疑った。地面の上に転がされ、何度も、何度も固いブーツで蹴られ、銃身で殴られ…… 手で防ぐにも限度がある。BPは自分の忍耐が尽き掛けているのを感じていた。

 しかしそれでも、目の前でやはり倒れ、顔色の悪いヘッドのことを思うと、下手なことはできなかった。なけなしの理性が、彼を押さえ留めていた…… はずだった。


 なのに、だ。


「リタ!」


 見覚えのある白に近い金髪が、常夜灯に光る。何でこいつがここに居るんだ、と彼は口の端の血をぬぐいながら思う。リタリットはそんな彼の考えなど、お構いなしに、相棒を殴りつけていた看守の兵士に殴りかかっていった。


「よせリタ!」

「今更止せるかよ!」


 そうだ。何でこいつはここに居る? 身体を起こす彼の背中を、ヘッドが脂汗を流しながらもにやりと笑ってつつく。振り向くと、指が背後を差していた。BPは目を丸くした。


 次々に、自分の房の者が、走ってくるではないか。


 そうか、とBPはそれを見た瞬間、理解した。

 「その時」というのは、本当に、不意にやってくるのだ。彼は身体のバネを利かせて立ち上がると、目の前の事態にやはり呆然としている兵士に向かって掴みかかった。

 彼の動きは、その名の通り敏捷だった。あっと言う間に、兵士の銃は、彼の手の中にあった。BPはそれを掴んだ瞬間、手が自然に動くのに気付いた。


 俺は知っている!


 安全装置を外し、手にした大きな銃を兵士達に向ける。普段管理にしか回っていない兵士達は、反射的に銃を向けた。だがそれは彼の思うつぼだった。

 そして彼は迷わず引き金を引いた。

 わ、と声が飛び、肩を撃たれた兵士の手から銃がまた一つ、落ちた。

 いただき、とトパーズがそれを拾う。一瞬そのつくりを眺めていたが、何処か慣れた手つきで、BPと同じ様に兵士の肩を狙って撃つ。いい腕だ、と彼は思った。トパーズが飛ばした銃は、ゲームコックが拾った。

 そこへサイレンの音が響いた。


「連絡したらしいな」


 ヘッドはつぶやく。そしてやってきたビッグアイズに肩を借りて立ち上がると、額の汗を拭き、BPの方を向く。


「このままでは、房全員が『祈』らさせる。やるしかない」

「何を今更」


 けっ、とリタリットは笑った。それは彼がまだ見たことの無い、凶暴な笑みだった。しかし、その目は今までになく、ひどく生き生きとしていた。


「二手に別れよう」


 ヘッドは次々にやってくる118号房の男達に向かって言った。


「銃を持ってる三人は、一人は鍵を開けてくれ」

「それは俺が行く。ったく、オートコントロールにすれば、そこの部屋一個破壊すりゃ済むものをよ」


 トパーズはそう言って、金色の目をひらめかせた。どうやらこの慣れた手つきと銃の扱いは、都市型ゲリラの出らしい。こうなって初めて判るその人間の属性というものがあるものだ。


「BPは」

「判った。俺は管理棟へ攻め込む。とにかく武器を手に入れることが先決だな」


 よし、とうなづき、トバーズとドクトルK、それにエンジニーヤと呼ばれる男が、鍵の奪取に走った。


「ヘッド、大丈夫か?」

「大丈夫。骨は突き出たりしてないから、単純骨折だとは思う」


 そしてヘッドは先程自分達が乗ってきた車を指さすと、BPに向かって、あれに乗っていけ、と言った。


「それから、ビッグアイズ、お前も」

「オーケー」


 そして、何故かリタリットが車のエンジンを掛けていた。


「お前、吐き気がするんじゃないかよ!」

「吐き気がするよ! だから吐いてやるさ、連中のアタマの上にさ」


 判った、とうなづいてBPは助手席に乗り込む。機材で狭い後部座席にビッグアイズは乗り込み、言った。


「時間稼ぎ、だ」


 判ってる、とBPは答え、銃の中の弾丸の残数を調べる。銃が自分の手にしっくりくるのを覚える。ぐん、とリタリットはアクセルを踏んだ。


「いったれーっ」


 何故だかこれまでに無く生き生きと声を張り上げる相棒をちら、と見てから、BPは窓を大きく開け、前方を見据える。

 ひどく乱暴な運転に、よく考えたらこいつは軍用自動車には慣れていない筈じゃなかったのか、という疑問も湧くことは湧くのだが、どうもそんなことはどうでも良かったらしい。とにかくリタリットはアクセルを思い切り踏み、ライトを点けると、管理棟めがけてスピードを上げた。


「どう思う?! BP」


 背後でビッグアイズが訊ねる。BPはその問いかけの意味を問うことは止めた。予想はついている。


「奴らは、実戦慣れしてない。とにかく先制攻撃をかける!」


 開けた窓のせいで、声を張り上げないことには、相手に伝わらない。BPはだが、その動作のせいで、自分自身にも何やらわき上がる不可解な、だがひどくわくわくする様な感じを覚えていた。

 正直言って、命が掛かっているのだ。

 こうなるとは思っていなかったが、起きてしまったことには勝たなくてはいけない。


「そうでなくちゃ、もう後は地獄ヘルだ」


 BPはつぶやく。それだけは御免だった。この隣の相棒ではないが、自分にもまだ、知りたいことがあるのだ。

 相棒は慣れていないと言う割には、この地面と雪が半々の様な大地に車を器用に走らせる。クラクションを押し続け、ひどく耳障りな音が、周囲に響く。少しだけ開けた口元をきゅっと上げて、ひどく楽しそうな表情で、リタリットはそのまま突進させていた。

 一度棟内に入った看守の兵士達は、手に手に銃を持つと、入り口の前に並んで立って銃を構えていた。


「伏せろ!」 


 BPは叫びながらリタリットの頭を押さえた。途端、ガラスが一気に割れる音が響く。BPは目に破片が入らない様に注意しながらも、入り口の扉に向かってスピードを緩めず突っ込む車から、銃の口を出すと、引き金を引いた。頭の裏側が、ひどく刺激されている気分だった。


「突っ込むぜ!」


 短い言葉がリタリットの口から飛ぶ。BPは相棒の身体に手を伸ばした。この車にはシートベルトなんて気の利いたものは無い。衝突の衝撃と、慣性の法則は、そのままでは、自分と相棒を割れた窓から飛び出させかねなかった。薄い相棒の腹を、シートごと、その筋肉質の腕でぐっと抱え込む。そして、次の瞬間、ひどい音と衝撃が、車内に響いた。身体が前後に大きく揺れる。内臓が揺さぶられ、一瞬、吐き気が起こる。きゅー、と音が響き、車はそこで止まった。


「大丈夫かリタ」

「気持ちわりい。うー…… ったく誰のせいだ!」

「決まってるだろ」


 後部座席の機材と共に体勢を完全に崩していたビッグアイズは起きあがりながらうめく。


「ここに居る連中だ!」


 そしてやや変形した扉を両側から開けると、三人は棟内に足を踏み入れた。途端、背後から銃弾の気配がかすめる。ひっ、と息を吸い込むと、リタリットは車の前方に身体を引っ込める。数発BPが撃ち込んで、同じ様に駆け込んで来るのを待った。


「どうする」


 三人は顔を近づける。無論話しているうちにも、銃弾は彼らの頭の上を飛んでいく。時間は無い。そして銃弾にも限りはある。


「人質を取る」


 ビッグアイズは短く答える。BPはうなづく。それが一番単純で、しかも効果的な方法だと彼も考えたのだ。

 ちら、と辺りを見る。入り口から向かって右側に階段がある。車が入り口を塞いでいるうちに、素早く動かなくてはならない。


「収容所長室は何処だと思う?」

「こういう所のセオリイとしては、最上階だよな」


 リタリットは答える。


「何で」

「馬鹿ほど高いトコ、上りたがる」


 なるほど、とBPは思った。

 向こう側の攻撃が一瞬止んだ、と思われた。だが出ようとするリタリットの肩をBPは掴んだ。そして服のボタンを一つちぎると、大きく放る。雨の音の様に、銃弾が一斉に飛んできた。そのすきが出来たと思った時に、彼らは転がる様にして、階段の手摺りにしがみついた。

 確か、この建物は、五階建てだったよな、とBPは思い出す。彼らが入れられている棟は、最高でも四階だった。このあたりに管理する側の意図が感じられて、彼はひどく嫌な気分になる。

 カンカン、と靴の音が階段に響く。その間ににも、彼はこの建物の外観から、中の構造を予測していた。


「ちっ!」


 ビッグアイズは不意に上を向くと、その大きな目を開き、右手を鋭くひらめかせた。ぐぁ、という喉に詰まった様なうめき声がして、人間が彼らの頭の上から降ってきた。喉には、ひどく磨き込んだ金属片が深々と刺さっていた。

 正面から銃を構えた兵士が飛び出す。BPは迷う間も無く、身体が動くのを感じる。どさ、と前のめりになって兵士は階段を転げ落ちていく。

 横から飛び出す兵士に、リタリットはポケットのドリル片で切り付ける。首の頸動脈を正確に裂かれた兵士は、ぷつん、と自分の最後の音を聞いたはずだ。


「……くそぉ」


 ひどく正確な、慣れた手つきなのに、リタリットは口を押さえる。吐き気がするのか、とBPは思う。だが不本意もへったくれも無い。ここで止まることはできない。止まったら、死ぬのだ。本当に、死ぬのだ。


「も少しこらえろよリタ、どーせなら所長の顔にかけてやれ」

「う~」


 うめきながらも、リタリットは足を止めない。口を押さえながら、額に脂汗を流しながら、目に涙を浮かべながら、それでも走り続けていた。

 階段に点々と死体と死体候補が作られていく。だが彼らは五階にたどり着いた時、最後の難関が待っていたことを知った。


「……!」


 廊下に、数名の兵士が銃を構えていた。壁際に慌てて彼らは隠れた。そしてBPはやばい、と思った。心底思った。銃弾が足りない。いや、はっきり言えば、もう無い。あと一発二発というところだった


「どうする」

「扉は、この奥だ。突き当たり…… だな」


 予想はしていたが、最後の最後で、そういうものがあるというのはひどくBPにとっても口惜しいものだった。

 これが一人二人だったら、銃を相手が持っていようが、何とかなるという自信が彼にはあった。どうやら自分は確かに実戦の経験がある。手にしっくりくる銃の重みが、それを証明していた。だがそれだけに、無謀なことをする危険もよく知っていた。

 そしてこの仲間も、おそらくは、何らかの戦闘経験があるのだろう。


「……」


 ふと服を引っ張られる感触に、彼は相棒の方を向いた。相棒は黙って壁に取り付けられている、ひどく見覚えのあるものを指さした。


「……照明のスイッチ?」


 そうか、と彼は思った。もう溜まりそうで口を利けない状態らしい。


「ビッグアイズ、夜目がきくか?」

「馬鹿やろ、幾ら俺だってただの人間だ。そうそう利くかよ」

「じゃ、連中はもっときかないな」


 廊下に窓は無い。光の入る側に部屋が連なっているため、廊下は昼間でもただ暗かったし、夜となれば、もっと暗かった。照明だけが、その廊下の自由を約束していたのだ。


「リタ、俺が合図したら、こいつを全部切れ」


 ふふん、とビッグアイズは彼の意図を理解して笑った。リタリットは黙ってうなづく。ビッグアイズはじゃら、とポケットの中を探る。まだ幾つかのものが入っていたが、その手には、いつものナイフが握られていた。念入りに研がれたそれは、天井の灯りにぎらり、と光った。

 BPはさっ、と廊下の真ん中に立つと、その瞬間銃の引き金を引き、同時に叫んだ。


「切れ! リタ!」


 照明が一斉に消えた。わぁ、という声が、廊下中に響いた。


「騒ぐな! 銃は撃つな! 味方に当たる!」


 その場の指揮官だろうか、誰かしらの声が聞こえる。

 合間を彼らは駈けだした。BPは銃身を掴むと、くっとかがみ、前方の兵士の足をすくった。うわあ、という声と共に、幾名かの兵士が転ぶ音が聞こえる。そしてその手から滑り落ちた銃を拾い、思い切りジャンプする。

 暗さに目が慣れてくると、少なくとも、兵士と自分の仲間くらいの見分けはついてしまうものだ。それより早く、とにかく彼は前へ前へと、身体を進めた。

 ばん、と身体に衝撃を感じる。左の肩と、頭と、腕を一度に扉にぶつけたことを彼は感じた。そして扉だ、と改めて理解すると、押してみる。開かない。鍵が掛かっている。彼は最後の一発を手探りで当てたノブにぶちこんだ。空気が震える。

 右肩から体当たりすると、そう重くもない扉は、簡単に開いた。そしてBPはその中に居た人物に向かってそのまま走り寄り、目の前の人物の、驚きに開けた口の中に、つい今兵士から奪い取った銃の口を突っ込んだ。


「てめぇら見ろよ!」


 ひどく通る声が、部屋と廊下に響きわたった。彼が相棒の声だと気付くにはそう時間はかからなかった。


「殺っちゃうよ。あんたらの。いいの?」


 ひどくのんびりした、だがひどく乾いた声が、辺り一帯に響き渡った。そして口をぬぐいながら、リタリットはゆっくりと、口に銃を突っ込まれ、あふれ出す唾液を止めることも出来ずに恐怖に震えている男に近づいて行った。


「ったくあんたがこんなことしてくれるから、死体が増えたじゃんかよ」


 そういう問題だろうか、とBPは思いながら、既に戦意喪失して廊下のすみに固まっている兵士達を冷ややかな視線で見下ろしているビッグアイズを見た。その手に握られたナイフからは血が滴り、またその持ち主自身も、結構な量の返り血に染まっていた。血に混じって、吐瀉物もあちらこちらに飛び散ってはいたが、いずれにせよ、いつかひどい臭いを放つだろうことは、BPには予想ができた。

 気がつくと、外で地鳴りの様な音が響いていた。リタリットはそのまま五階の窓から下を眺める。


「おいBP…… ビッグアイズ!」


 声が弾んでいる。BPは黙ってうなづいた。

 銃は持っていたとしても、多勢に無勢だ。彼らが突破しただけ、の看守達を、トパーズ達が解放した棟の収容者達が制圧したのだ。


「そんなワケで、この収容所は、俺達が占拠した。あんたらが今度は、収容される番だ」


 BPは普段より低い声で、ぐい、と銃をねじこみながら宣言した。

 リタリットは部屋の中を見渡すと、備え付けのトイレに掛かっていたタオルを持ち出し二つに裂くと、それで所長を後ろ手にして縛った。


「……ったく、手こずらせてくれるからさぁ」


 指を二本、口の中に突っ込むと、まだ残っていた吐瀉物をべったりと所長の顔に塗りつけた。BPもビッグアイズも、それを見て苦笑いするしかなかった。

 下から応援に来た仲間達と、生き残った兵士を縛り上げると、彼らはゆっくりと階下に降りて行った。

 ドクトルKの手当で、骨折した足に添え木を当てたヘッドはにっと笑うと親指を立てた。やはり親指を立てて返す返り血や擦り傷があちこちに飛んでいる彼らの姿に、解放された政治犯達は、一斉に雄叫びを上げた。

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