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4.ARK825.04/仕事は厄介~屋根裏の散歩者-①

 違和感。

 彼はその時、ひどくその場に違和感の様なものを感じた。


「だから、別に禁退出の資料を持ち出そうって訳じゃないんですよ、ただ、この時点の資料をここでいいですから、見たいってだけで」


 テルミンはいつもの様に「空き時間」に首府中央図書館の扉をくぐったつもりだった。だがそこには見慣れない光景があった。


「だからそれは、時期によってはお見せできないものもあるということで」

「じゃあそれは何処に書いてあるというんですかっ」


 掴みかかりそうな勢いで、司書に向かって、若い女性が一人、怒鳴り込んでいた。

 へえ、とテルミンは何となく足を止めてしまった。

 この辺りで若い女性の姿を見るのは珍しい。もちろん軍隊にも女性がいない訳ではないのだが、絶対数として、この惑星の場合は少ない。そしてそういう場所の女性は、……少なくとも、この視界に入っているのよりは、落ち着いているだろう、と。


「あたしはね、市民としての当然の要求をしている訳で!」

「とにかく! 申し訳ございませんが、お引き取り願います」


 司書はきっぱりとした口調で、まくし立てている彼女の言葉を遮った。こりゃ司書の勝ちだよな、とテルミンは取った帽子でぱたぱたと思わず顔を扇ぐ。

 くってかかっていた女性は、わかりました、と一言言い残すと、うつむいたまま、ずんずん、と司書に背を向けて歩き出した。だがテルミンはん? と帽子を動かす手を止めた。ちょっと待て。


「……少佐!」


 気がついた司書がカウンターから手を伸ばすが、伸ばしたところで届く訳がない。

 うつむいたままで勢いよく歩き出した女性は、次の瞬間、尻餅をついたテルミンの上に居た。


「す、すみません!」


 彼女は弾かれた様に身体を起こすと、慌ててテルミンの上から退いた。何が起きたのだか、彼はいまいち事態を把握できなかった。だが、不思議と、次の行動だけは起こしていた。


「はい」


 彼はポケットからハンカチを出し、彼女に手渡していた。


「な…… んですか」

「どうぞ」


 そう言いながらテルミンは彼女の顔を外からでは判らない程度にそっと指した。言われて初めて気がついたように、彼女は右手を自分の頬に当てた。あ、と彼女は小さく声を立てた。


「あ…… りがとうございます」

「いえいえ。ぼうっとしていた俺も悪いです」


 彼女はしゅんとしてハンカチを受け取ると、それを自分の眼に当てた。その間にテルミンは立ち上がり、ぽんぽん、と服のほこりを払う。


「……本当にごめんなさい。興奮した上に悔しくなると、何かすごく一気に頭と眼にきちゃって……」

「うん、そういうことはよくあるね」


 ちら、と彼は司書の方を向く。顔見知りだったが、自分のせいではないぞ、と言いたげに顔をしかめている。テルミンは肩をすくめ苦笑すると、彼女の肩をぽんと叩いた。


「まあ落ち着いて。何かまだ声が震えているから、休んだほうがいい」


 彼女はそれまでの剣幕も何処へやら、小さくうなづいた。

 彼は彼女をいつも利用しているオートショップへ連れていくと、先に座らせ、紙コップの飲み物を差し出した。下の書庫には資料に液体がこぼれるのを恐れて、いつもストローつきのパックを買っていくので、これはそう口にするものではなかった。


「すみません。あの、コイン……」

「いいよいいよ。もしかしたら俺、下心あるのかもしれないし」


 くす、と彼女は笑った。長めの明るい茶色の髪の毛をポニーテイルの様に上げて、バンダナで結んでいる。ただその長さがあちこちまばらであるのか、後れ毛があちこちからはみ出していた。身に付けているのは、すっきりとした飾り気の無いコットンのチェックのシャツに、これまたシンプルな七分のパンツ。大きな目は結構よく動く。

 正直言えば、自分の好みだ、と彼は思っていた。

 だがだからと言って、すぐに口説く様な真似は彼はしなかった。自分がそういうことに慣れていないことを彼はよく知っていたから、無理はしないことにしていた。


「あ、そんなことしないでしょ、って言いたそう」

「だって、しないでしょう?」


 彼は黙って口元を軽く上げた。どうやら涙も乾いてきた様だった。


「しないよ。だけど、代わりに一つ聞いてもいい?」

「何ですか?」

「あなた一体、何の資料を探していたの?」


 彼女はとん、と前のテーブルにフルーツミックスのジュースを置いた。


「聞いて、どうするんですか?」


 おやおや、と彼は思う。途端にガードが固くなるらしい。


「ん? いや、あの……」

「だいたいおかしいんですよ! 最近前よりずっと、資料が出せなくなっているんですから」

「え、そうなの?」

「そうですよ!」


 彼女は紙コップをおいて空いた手をぐっと握りしめる。


「こっちは仕事上、色んな資料が必要なんですよ? なのに公共の図書館が資料の出し渋りするから、仕事進まなくて進まなくて! ただでさえ女ってことで結構軽く見られてるんだから、与えられた仕事はちゃんとしたいのに、これじゃあ」


 じわ、とまた大きな目に涙が浮かぶ。ぎょっとしてテルミンは慌ててまたぽん、と肩を叩いた。別にそうすることでこのこぼれそうな目からさらにこぼれる涙を止められるという訳ではないが、何となくそうしたくなってしまう自分に彼は気付いていた。


「あ…… もう。何かもう、しょうもないですよね」

「いやいや、どんな場所でも仕事というのは厄介なもんです」

「実感こもってる」


 まだ涙は浮かんだままだったが、彼女の顔には笑みが浮かんだ。


「別に、変なことしようって訳じゃないんですよ、あたし。実際、去年…… ううん、一昨年くらいまでは、結構よくここを利用しいたし、だいたいどんな資料でも簡単に引き出せたんです。ほら、やっぱり税金払っている以上、使えるところは使えっていうのが、市民としての権利の主張ではないですか」

「……ま、そうだね」


 矢継ぎ早に繰り出されるこの調子。彼は面くらいながらも、何となく楽しくなってくる自分に気付いていた。


「それに、今度の仕事で、本当に必要なんですよ? なのに…… これじゃすごく困る」

「仕事って…… あなた何やってるの?」

「中央放送局に勤めてます」

「アナ嬢?」

「って言われるのは心外ですねっ」


 可愛いし、誉めてるんだけどなあ、と彼は内心つぶやく。


「あたしはドキュメンタリーを撮りたいんです」


 どん、と彼女は握りしめた拳をテーブルの上に置いた。


「ど、ドキュメンタリー?」

「でもいいし、ニュース記者。とにかく、現在の、この世界の上で起きていることを、できるだけ正確に、できるだけ強く、たくさんの人達に届けたいんです」

「へえ……」


 彼は思わず感心して声を立てていた。元々女性は彼の周囲には少なかったが、こういうタイプは更に初めてだった。


「なのにっ! 皆あたしが放送局に勤めてるって聞くと、アナウンサー志望か、とか、隣の音楽番組のスタジオに実は出入りしたいんじゃないの、とかもう実にうるさくてうるさくて!」

「そっちでは嫌なの?」

「そっちが嫌、なんじゃなくて、こっちがいい、んです!」


 はあ、と彼は思わず首を縦に振っていた。


「だから、少しでも今は認められたいんですよ。ちゃんと仕事もできる、女の子、じゃなくてスタッフの一員として」


 そう言えば顔は可愛いのに、化粧気がまるでないことに、彼はその時初めて気付いた。


「そういうのって、いいね」

「えーと…… 少佐さんは、そういうの、じゃないんですか?」

「俺が少佐ってよく判ったね?」

「だってその階級章見ればすぐに判りますよ。ほら綺麗な星」


 ああ、と彼は肩を押さえる。確かにそうだ。


「俺は、軍人になりたくてなった訳じゃあないからね」

「そういうもんですかあ?」


 彼女は間髪入れず、訊ねた。彼はそういうものなの、と言ったきり、それには答えなかった。

 誰もそんな質問は今までしなかったし、自分自身にも、封印をしておいた様な疑問だった。


「でもその若さで少佐ってことは、やっぱり合っていたんですね。そういうのもいいなあ」

「そうかな?」

「そうですよ。確かにやりたいことだけど、時々自分には合ってないんじゃないか、って思うことありますもん。好きと適性って時々ずれるでしょ」

「それは確かにあるね」


 うん、と彼は腕を組んでうなづいていた。確かにそうなのだ。

 と、その時胸に入れた端末が震えた。


「……ごめん、呼び出しがかかった」

「あ、すみません、あの、こんな他愛ない話に付き合ってもらっちゃって…… 」

「ううん、俺も、珍しいから楽しかった。また会えたらいいな。あ、そういう意味じゃなくて」

「判ってますよ」


 本当に判ってるんだろうか、と彼は思いつつ、自分の連絡先と名前を告げた。


「もしかしたら、君の力になれるかもしれないし」

「そんな。でもちょっと考えてみますね。今は溺れる者わらでも掴むって感じだし。あ、あたしはゾフィー・レベカ」

「格好いい名だね」

「あら、そう言われるのは初めて」


 そして彼女の連絡先を聞いて、彼は図書館を出た。


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