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2.-②

 そうこう考えているうちに、足音を響かせて、手を上げる佐官の姿を彼は認めた。途端に彼は直立不動の体勢になる。


「やあ、早いな。君がテルミン少佐か」

「お初にお目に掛かります、アンハルト大佐」

「僕も早く来たつもりだったが…… 君はもっと早かったようだな?」


 アンハルト大佐は、扉の鍵を開けながらテルミンに訊ねた。


「……お恥ずかしい話ですが、時間を間違えまして……」

「へ?」


 鳩が豆鉄砲を食らった様な顔で大佐は振り向いた。


「何、君…… もしかして、一時間も早く来たのか?」

「……はい」


 その途端、アンハルト大佐はぷっ、と吹き出した。しかもそれに留まらず、大佐はそのまましばらく笑い続けていた。テルミンはさすがにむっとする自分を感じていた。


「や、済まない済まない。いや実は、今度来る少佐はずいぶんと真面目だ、とは聞いていたんだが」

「……お誉めに預かって恐縮です」

「そんな悪く取るなよ、テルミン少佐。僕は誉めてるんだよ? お、またやってしまった」


 ばり、と何やら耳慣れない音がテルミンの耳に届いた。何だろう、と彼が思っていると、大佐は振り向き、黒い手袋に包まれた手を開いた。

 は? と彼はそれを見て目をむいた。


「た、大佐…… これは…… 」

「だから、これ」


 肩をすくめながら、アンハルト大佐は開けようとした扉を指した。ノブの分だけ、穴が開いていた。


「いや、義手の調子が時々狂うんだ。なのに僕はかなりの粗忽者でね」

「義手…… なんですか」

「ちょっとばかり昔、無茶をしてしまってね」


 そしてくす、と笑ってみせる。

 ああそうだ。時々こういう者が居るのだ。自分と五、六歳違うか違わないか、という年齢で大佐という地位に居るなら、それなりの功績を上げているはずで、それにはある程度の代償が必要だったのだろう。

 それはそう珍しいことではない。任務の中で何らかの理由で身体の一部を欠損した者は、義手義足義眼といったメカニクルで補助する。時には、全身が義体化されている者も居る。外見年齢がいつまでも変わらないらしい。そう、まるで帝都政府に鎮座まします皇族や血族のように。


「すみません」


 だがとりあえず彼は、素直に頭を下げる。


「いやいいよ。別にもう長いつき合いだし。だけど君、まあだから僕がこんな粗忽者だから、よく補佐してくれないと困るよ。ドアだったらいいけど、これが…… ね」


 いい人だ、と彼は思う。もしくは、いい人を恒常的に演じることができる。

 いずれにせよ、この今度の上官は実に有能であるだろうことは、テルミンには容易に想像ができた。だから彼は、期待されている答えを返した。


「判りました。私にできることでしたら。とりあえずは、その扉の修理は如何致しましょう?」

「君、できるのか?」

「一応」


 それは便利だ、と大佐は声を上げて笑った。そしてその笑いがあまりにも自然だったので、彼もまた、気が緩んだのかもしれなかった。


「ところで大佐、お聞きしたいのですが……」

「何だ」

「ここには首相閣下のご家族がお住まいなのですか?」

「いや? 何だそんなことも予習していないのか?」

「いえ、そうではないのですが、先程、一人の少年をここで見かけまして」


 するとそれまで晴れやかな笑いを顔中に浮かべていた大佐の表情が凍り付いた。


「そのことは、誰かに言ったか?」

「いいえ、その少年を見た直後です。大佐がいらしたのは」


 ならいい、と言いながら、アンハルト大佐はかなり大げさに眉を寄せた。そして壊れたノブを手に持ったまま、胸の前で腕を組んだ。


「いいか、少佐、彼には構うなよ。もしこの先出会うことがあったとしても。……いや、出会うとは思う」

「は? ではご家族なのですか?」

「家族、と言うには語弊がある。まあいい。我々は任務だからな」

「はあ」


 言い渋る様なことなのか、とテルミンは曖昧な返事を口にしながら思う。


「あれは、閣下の愛人だ」

「あいじん?」


 ちょっと待て、と彼は目を瞬かせる。だってあれは少年じゃないか。

 彼の記憶の中では、首相には確か妻子が居たはずだった。ただ、その家族は、首府には住んでいないはずだった。

 いや住んでいるいないはどうでもいい。妻子が居る男が、少年を囲っているというのか?


 確かに綺麗だったけど。


「それに少年、ではない。テルミン少佐、君とそう変わらない歳だと聞いている」

「まさか」

「まさかと君が思うのも無理は無い。だが閣下がそう言われた。名はヘラ。少なくとも閣下はそう呼ばれる。姓は我々も知らない。何処の出身なのか、どんな経緯で閣下のお側に居るのかは我々もさっぱり判らない」

「は…… あ」

「閣下も聞かれることを好まない。だが警備は必要だ、ということだ」

「……はあ……」


 テルミンは、そんな気の抜けた声しか出せない自分に驚いていた。


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