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1.-⑤


「こっちだ」


 ヘッドは門を出ようとする彼に向かって、厚い手袋をはめた手を振った。

 そこには車が一台と、その内部の大半を占拠している様な機械があった。


「計測機械?」


 あたり、とヘッドは言いながらニヤリと笑う。


「よく判ったな」

「何となく」


 彼はぼそ、と言う。「知識」がそう口を動かした。


「だったらいい。車の運転はできるか?」

「できるとは思うが……」


 どうだろう、と彼はじっと手を見る。できるのではないか、と思う。一つ一つ見るマシンの内部の意味と用途も理解できる。ふうん、とヘッドは何度かうなづく。


「まあいいさ。とりあえず行きは俺が運転する。お前は帰りにやってくれ」

「判った」


 通行証をフロントガラスの内側に立てると、ヘッドは車のエンジンを入れる。

 ひどく大きな振動が、シートを伝わり、身体に響いてくる。パワーのある車だ。だが結構な旧式だ。

 地面からはひどく大きな音がする。積もった雪の表面が凍った、その部分をばりばりと砕きながら進む音だった。

 五分刈りの頭に帽子を目深にかぶると、ヘッドはある程度門から離れたと思われるあたりで窓を閉めた。


「BP、そこのドアについているハンドルを回せ。窓が閉まる」


 彼は言われた通りにした。

 途端に車内の音が半分以下になる。ようやく会話のできる状態になった、と思った彼は、とりあえず疑問に思っていたことを口にした。


「何処へ行くんだ?」

「そこの真ん中のパネルを見てみろ」


 前方の、右側でハンドルを握るヘッドと自分の間に、そこだけがこの旧式な車内では浮いている新式のパネルがつけられていた。


「点滅しているところがあるだろう?」


 彼はうなづく。そう言えばそうだった。黒いパネルの中で、そこだけが赤く点滅している。


「何処になっている?」

「現地点から東北東に150㎞、というところかな」

「だったら俺達は今日は運がいい。それはパンコンガン鉱石の場所だ」

「パンコンガン鉱石?」

「覚えてないか?」


 彼は首を横に振る。


「おかしいな、軍部ではそういう辺りのことは教える筈だが」

「軍に? 俺は軍に居たのか?」

「覚えていないのか?」

「ああ」


 ヘッドはそうだよな、と驚きもせずにうなづく。


「ここに来る奴は皆そうだ」


 BPは目を大きく広げると、右横を向いた。


「皆?」

「そう、皆だ。お前知らなかったな? ここに来る人間は、皆来る前に個人的な記憶を消されてるんだ」

「知らなかった……」


 だろうな、とヘッドは再びうなづく。


「だから、今日お前を『当番』にしてみた」


 彼は黙って、膝の上で両手を強く組み合わせる。ここは、そういう所なのだ。


「俺は…… そんな刑罰を加えられる様なことをしたのか?」

「判らない」


 ヘッドは短く答える。

 振動と共に向かう方角から、弱々しい恒星の光が飛び込んでくる。まぶしくはない。まぶしいと感じる程の熱量がそこには存在しない。


「だが予想はつく。ロクなことを思い出して欲しくない奴ら、という意味なんだろうな」

「思い出して欲しくない」

「ああ」

「誰が」

「決まってるだろう。ここへ俺達を送り込むことが出来る奴らさ」


 ああ、と彼はうなづいた。それでも彼の「知識」はここが合法的な流刑の惑星だということは知っていた。彼は合法的に記憶を消され、合法的に流されているのだ。合法的にそんなことをできるというのは。


「俺達は政治犯だ」

「……」


 政治犯。だがその言葉は彼にとって、ひどく自分自身とは遠いものに感じられた。本当にそんな大それたことを自分がやったというのだろうか。


「ま、どんな内容かは人それぞれだろうがな」

「あんたもそうだと言うのか?」

「たぶんな」


 たぶん。それ以上のことはいえない、とヘッドは暗に含める。


「お前には、何か残っているものがないか? BP」

「残っているもの?」

「何でもいい。自分の中で、意味が判らないままに浮かんでくるものは無いのか?」


 彼は首を傾げる。言われていることの意味がよく判らなかった。


「無いなら、いい。その方がずいぶんましだ」

「無い方が、いいのか?」

「わからん。少なくとも気は楽だろう」


 そういうものか、と彼は再び口をつぐんだ。



 窓の外の景色は、殆ど変わることなく、ただひたすら白い平原が続いていた。遠い向こう側に山は見える。BPの左側の窓からは、葉の無い木々のシルエットらしきものも見える。だがその眺めが変わることはない。延々同じ景色が続くだけだった。


「で、パンコンガン鉱石っていうのは何なんだ?」

「一応、ここでしか採掘されない鉱石のことだ」

「地域限定?」

「特産物、らしいな」


 彼はふっと口元を緩めた。流刑惑星には似合わない単語だった。


「何でもごく少量でも結構なエネルギー源になるとか、ここの看守達は説明を受けてるらしいな。うちの政府が帝都に納めるためのものらしい」

「帝都の」


 その言葉は彼の口からすんなり飛び出した。


「帝都政府に関することは、お前どのくらい覚えてる?」

「レーゲンボーゲン星系は辺境だから、基本的に自治権を持っているけど、その代わり、向こうの言うがままに、出すものは出さなきゃならない」


 まるで子供の回答だ、とBPは思う。


「そう。確かそうだ、と俺も思った。一応ウチの房の皆にも聞いたが、確かにそうだった」

「房の皆にも?」


 彼の中に、ふっとあの金髪男の姿が浮かぶ。ヘッドは前を向いたままだったので、彼の微妙な表情の変化には気付かない。あれも政治犯だというのだろうか。ひどくそれは想像のしにくいことだった。


「ただしその中で最も需要が高いのが、あの鉱石だというのは、ここに来て俺も初めて知ったんだ」


 確かにそうだろう。彼の「知識」の中には、その鉱石の名すら無かった。


「それならわざわざこんな『当番』を決めさせて行かせなくとも、皆が皆その作業に出ればいいものを」


 ヘッドは首を横に振る。


「そう単純なものではないらしい」

「単純じゃない?」

「俺もよくは知らん。ただ、変なもので、それは移動するんだ」

「移動? って鉱石だろう?」

「鉱石だ、と思う。だがそれは逃げるんだ」


 彼は眉を寄せた。ふとあの金髪男が、彼のそんな表情を見ると、ロコツに思ってることが判るよとげらげらと笑ったことが浮かび上がる。


「正確には、所在が掴みにくいんだよ、かなり。じゃあ人海戦術だったらいいか、というとそれも良くないらしい」

「何で」

「ほれ」


 ヘッドは後部座席を占領している計測機械を指さす。


「ある種のパルスを感知するタイプだ。で、常に測るんだが、ある一定以上の温度のものが多数あると、パルスを出さなくなるんだよ」


 ああ、と彼はうなづいた。


「だから、人間が多いというのも困る。どうも相手は実に敏感なお嬢さんなんで、せいぜいがとこ、二~三人だな。ごまかせる熱量は。それでもその反応がいつも一定の場所にあるとも限らない。だから下手すると、この役割は一日を越えることもある」


 そしてヘッドはこう付け足した。


「つまり、何か一つ取って来るまでは帰って来るなってことだ」

「なるほど」


 納得できると言えば、納得ができた。


「でもまあ、今日の俺達は、運がいい。反応が消えなければ、そこで100グラム採掘してくればいいだけのことだ」

「たった100グラム?」

「多すぎても少なすぎてもいけないらしい。その辺りのことは俺は詳しくないから、後でジオに聞け。奴の持ってる知識が詳しい」


 ジオというのは、同じ房に居る一人の呼び名だった。

 同じ房に居る人間には、それぞれ呼び名がある。他の房がどうであるのかは知らないが、番号で呼ばれるのは彼自身も好きではなかったから、きっと多かれ少なかれ、そういうものがあるのだろう、と彼は解釈していた。

 あれから後で彼が数えてみたところ、彼等の房には、総勢15人が居た。彼が入って16人になったのだ。

 そしてその15人がそれぞれ、その元々持っていた知識やら、腕やら外見からそれぞれの呼び名がつけられている。

 ただしヘッドは別だろう、と彼も思う。おそらく何か別の名があったのだが、この房のリーダー格になった時に、その名がついたのだと思われた。

 だが彼も前の「ヘッド」はどうなったのか、とは聞けなかった。ここに居ないのなら、答えは一つしか無いのだ。


「そう言えば、奴と上手くやってるようだな」

「上手く? そうかな?」

「リタリットが人に懐くことは俺が知る限り、無かった。珍しい」

「そうか?」

「そうだ」


 そうだろうか、と彼は思い、そうかもしれない、と思い返す。


「この場では、誰であって居たほうがいいに決まっている。凍死する割合も減る。顔が凍らないで済む」

「顔が」


 ぷ、と彼は吹き出しそうになった。


「笑い事じゃない。笑った方がいいのは確かだが。知ってるかBP? 表情筋は使わないと鈍るんだぞ?」

「よく判らないな」

「笑っていないと、笑い方を忘れるんだよ、人間ってのは」


 だからできるだけ、感情と表情を動かす様にしなくてはならない、とヘッドは付け加える。


「俺は、忘れたくない。奴もそうだろう。あれは本当に笑ってる訳じゃあない」

「どうしてそんなことが判る?」


 その問いには答えが無かった。

 しばらく車内には沈黙が続いた。

 彼はその沈黙の中で、房の人間を一人一人思い出してみる。皆確かに一癖も二癖もありそうな者達だった。

 先程ヘッドが口にしたジオもそうだが、例えば今朝がた彼の手を挙げさせたビッグアイズもそうだった。その名の通り、強烈な程の大きな目と、その目が置かれるに充分に整った顔立ちをしている。

 そう言えば、と彼は思い返す。よくこのヘッドの寝床に潜り込んでいるのはあの男だったよな、と。それで今朝がたの行動も納得が行く。

 他にも、猫の様な金色の瞳を持つトパーズ、それにあの最初に彼の腕試しとしてかかってきた男は何故か三月兎マーチ・ラビットと言った。


 最近の者は、皆リタリットが付けたのだと言う。


「奴は、どういう意味があるんだ?」

「何?」

「リタリットは」

「ああ…… 奴はどうだ? お前としちゃ」

「さあ。まだ判らん。変な奴だとは思うけど」


 ヘッドはそれを聞くと、にやり、と目を細め、片側の口元を上げた。何となくその顔がひどく子供っぽいのに彼は驚く。


「奴は、『文学者ブンガクシャ』さ」

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