その後、数ヶ月経った男爵家では――。
「どういうことだ! その腹は!!」
結婚前だというのに妊娠し、その腹の膨らみが隠せなくなったエレナが、婚約者のバートンに責められていた。
「僕を裏切っていたのか……エレナ!」
婚約者のバートンが絶望と怒りを浮かべた顔で怒鳴る。
「だって……みんなやってることだって……知り合いの令嬢も、誘ってきた令息も言ってたし……」
「やってるわけないだろう! 他の貴族の口車に乗せられたな! 何も知らない令嬢を誘ったり陥れる時によく使う言葉だ! ……そんな事もわかってなかったのか!?」
怒りで頭がおかしくなりそうだ、とバートンは、髪をぐしゃぐしゃとかきむしる。
「バートン様の子じゃなかったのか!?」
「誰の子なの!?」
両親にも詰め寄られる。
エレナがこんなに追い詰められるのは初めてのことだった。
いつもなら、誰しもが自分を笑って許してくれるというのに。
「わ、わからないわ……だって、結婚前にみんな恋は楽しむものだって……」
「あなたはもう婚約していたのよ!? 慎むべきでしょう!?」
「エレナ、私達にはバートン様の子だって言っただろう!」
「つまり、確信犯だということか! 気持ち悪いな! それに僕たちはまだ、そういう関係には至ってない。僕の子でないことは明らかだ!!」
顔を真っ赤にしたバートンが怒り狂う。
「良くもバカにしてくれたな! こんな淫乱な女、願い下げだ!! 婚約は破棄させてもらう!!」
「そんな、お待ちくださいバートン様……!」
ハミルトン男爵家全員で、バートンにすがる。しかし――。
バートンは神経質すぎるほど生真面目かつ完璧主義で、大切なものは異様に大切にするが、自分に汚点をつけたものを絶対に許さない、気位の高い男だった。
「……婚約破棄だけで済むと思うな。賠償金、払ってもらうからな!! 僕をバカにした分と、僕の人生計画が狂う分全てだ!!」
――かくして。
大した財産のない男爵家であるハミルトン家は、賠償金とそれを払うための借金で破産した。
バートンはバートンで金は吸い上げたものの、完璧だと思っていた自分の経歴に傷がついたことに病み、その後、引きこもり生活になったという。
エドガーは約束通り通報しなかったが、ミューラの虐待・暴行の件をこのタイミングで使用人達から通報され、親子3人、牢屋行きとなった。
さらに借金返済のために、知人の屋敷から盗みを働こうとしたことがばれ、さらに罪は重なった。
裁判中、牢屋暮らしになった3人は、同じ牢に入れられた。
彼らは、お互いを責め合い、かなりの喧騒を響かせていたという。
「なんで私達がこんなところに閉じ込められなきゃいけないの!」
「ああ……もうなんて事だ。きっと爵位返上になる。私達はエレナ、お前に甘すぎた」
「そうですわね。厳しく育てたミューラは……いえ、私達の本当の子だけあって、慎ましかったわ」
そう言ってエレナを見る目が冷ややかな両親にエレナは、自分の全てが崩れていくのを感じた。
「ああ、ミューラ……。あの子は大人しくて良い子だった。やはり本当の血を受け継いたミューラを跡取りにしておくんだった!」
「そうね……エレナはいつも我が儘ばかりで……。ああ、ミューラ。私の本当の娘……」
「な……! お父様、お母さま! どうしてそんなことを急に言い出すの!? 私のことを愛してるっていつも言ってくれてたじゃない! ミューラよりも!!」
「そうだ。それなのにお前は……だらしのない令嬢に育ってしまった。この、親不孝ものが……!」
「私達の愛を受け続けてきたのに、あなたが望むことを、なんでも与えてきたのに……いくら見た目が良くても、やはり平民の血はだめね」
「そうよ! いっぱい愛してもらってたわよ! でも、これからもそうなんでしょう? お父様なら、ここから私を出してくれるんでしょう!?」
「この状態で、できるわけないだろう! そんなこともわからないのか、この娘は」
「ああ、もう……。こんな薄汚い衣でできた服を着るなんて屈辱だわ……。エレナ、あなたどうしてバートン様で我慢しなかったの?」
「私を責める前に、お父様とお母さまだって無能なんじゃない!」
――愛し合って強い絆で結ばれていたはずの3人は、最後まで自分の事ばかり訴え、その親子愛はひび割れた。
その後、裁判が終わり刑が決定すると、父親は炭鉱へ、母親は厳しい労働がある収容所へ送られた。
両親は厳しい労働に栄養不足でしだいにやせ細り、その後はそれほど長い人生ではなかった。
被害者のミューラなら刑を軽くできるだろうと思い、それを頼む手紙も書いたようだったが、それはエドガーが握りつぶしていた。
母親とは別の収容所に送られたエレナは、妊婦だった為に、出産までは労働を免れたが――。
「なにこの食事!! 豚のエサじゃないんだから!!」
と食事を拒否し続け、次第に体が弱り、その上でなんとか出産した。
生まれて泣き叫ぶ新生児はエレナによく似た金髪だった。
「フフ……! やったわ! 天使が生まれたわ!! 私と貴族の血をひく子よ!! ねえ、おまえ。いつかおまえを高貴なお父様が迎えに――」
しかし、産湯につけられ、すこし目を開くようになった赤子の瞳の色は――奇抜なオレンジ色だった。
エレナは青ざめた。
――忘れもしない屈辱の夜。
オレンジの髪に、同じ色の瞳の――ヘラヘラ軽薄に笑う、あの憎き男が頭に思い浮かんだ。
「あ……ああ! 違う違う!! あんな平民の子じゃない!! おまえは、貴族の血をひく子じゃないと駄目なのよおおおお!!」
生まれたばかりの我が子を絞め殺そうとしたエレナを、側にいた助産師が止めたが、エレナはそのまま収容所の中の独房にいれられた。
「こんなの……おかしいわ……私は王妃になるような人間なのよ……助けてお父様! お母さま!!」
そして発狂したエレナは牢で叫び続け、看護を受けられずに、日々弱り死んだ。
そのエレナの子どもは、いずこかの孤児院へと預けられた。
――ミューラは、使用人に通報され男爵家がなくなった事は知っていたが、両親やエレナがどうなったのか、その結末は知らない。
知りたくなかったし、知っていたエドガーも、口にすることはなかった。