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【36】あなたのモノ、全部ちょうだい

 しばらくすると、鞭は止まった。


「はあ……はあ……良い格好ね」


 ミューラのお仕着せはところどころ敗れ、血が滲んでいる。


 エレナは鞭を床に放った。


「ちょっと、あなた。ジーク様にエレナが婚約者としてふさわしい、って言いなさいよ。あの男ちっとも私の話を聞きもしない……」


 口を効くのもやっとだったミューラだが、ジークのことを言われて反応する。


「どうして……どうして、会ったばかりで本当に好きなわけでもないでしょう……? ――それは出来ないわ」


 どんな暴力を振るわれても、例え殺されても。

 エドガーのことだけは、黙っていられなかった。


「高位貴族になる予定の彼は欲しくて当然でしょ。更に、あなたのモノだってわかってから、ますます欲しくなったわ。――私はあなたから全部奪って本物になるの」


「彼は誰のモノでもないわ。そんなことして、彼を手に入れたってあなたが思っている本物にはなれやしないわ。それに、たとえ私が勧めたとしても、あなたみたいな人、エドガーが好きになるはずがない!!」


「……言ったわね……!! おとなしく従順にしながら、やっぱり私のことを蔑んでいたんじゃない!!」


「――当たり前でしょう。あんなに愛してくださってるバートン様だっていらっしゃるのに! お父様もお母様もあなたのことだけ愛しているのに! あなたはその愛情を裏切っているのよ! このままだと、その愛も失うわよ……! エレナとはこの家の娘のこと。私はミューラ。エレナなんて名前いらない。私にこだわるのはやめて。あなたが――エレナなんだから!!」


「あああああ!! もう!!」


 エレナは倒れているミューラの首を両手で掴んだ。


「……あ!?」


「あなた目障りよ! ああそうよ、あなたがいる限り、いつまでたっても私はこの家の本物の娘になれた気がしない! もう死んじゃえばいいのに!! そうよ!! 奪うよりも――あなたが死ねば完璧なのよ! どうして気が付かなかったのかしら!」


 ティーカップより重たいものが持てなさそうな、その華奢な容姿からは想像できない力の強さで締め付けてくる。


 ミューラは、驚愕きょうがくした。


 嘘でしょう……?

 殺人まで厭わないの!?


「……っ」


 手足を縛られた上、弱りきったミューラは、エレナに抵抗できる力が欠片も出ず、すぐに意識が朦朧としてきた。


「命含めて――」


 間近に見えるエレナの顔が今まで見た中で一番凶悪な表情だった。



「――あなたのモノ、全部ちょうだい」




 ――走馬灯だろうか。





 瞬きすると、エドガーの姿が、幻が、浮かんだ。


「(せっかく会えたのに。屋敷の中にいるのに……)」


 視界が揺れ、エドガーの幻も揺れる。

 目を閉じかけた時、誰かが階段を駆け下りる音が耳についた。


 その足音が止まると同時に――。


「――やめろ!!!」

 少し怯えたようなエレナの声。



 揺れるエドガーの幻に本物のエドガーの顔が重なる。



「……っ」



 ミューラはそれに目を見開いた。


 エドガーは、エレナをミューラから引き剥がした。



「きゃあ!!」


 引き剥がされ、強い力で床に転がされるエレナ。


 エドガーは意識朦朧いしきもうろうとするミューラの傍に膝をつく。


「ミューラ……! ミュー!!」


「ジーク様、何故ここに……!」




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