「……遅いな」
ミューラがバンダナを取りに行くと言ってから半刻経つ。
そろそろ日が落ちる。
エドガーは、旅の荷物の整理も終えて、ぼんやりとソファに座っていたが、立ち上がった。
「急な仕事でも入れられたのか?」
その時、ノックの音がした。
「ミューラか?」
ドアを開けると、そこにはエレナが派手に着飾り、満面の笑みで立っていた。
「ジーク様ぁ!! 晩餐の用意ができましたの!! お誘いに来ましたわ!!」
エレナはそう言うと、エドガーの腕に自分の腕を絡ませた。
エドガーは思わず、ため息をついて言った。
「……君は。すまないが俺は育ちが悪いから、エスコートは断らせてもらう」
そう言って、エレナを引き剥がした。
しかし、エレナは、しつこく腕を絡ませてきた。
「まあ……。でもいずれ叙爵した際には、パーティでエスコートをお願いしたいです! パートナーになってください……だから、今は練習で……ね?」
「……」
エドガーは、街で絡んでくる、営業下手の商売女を思い出した。
「ハミルトン男爵令嬢、はっきりと言わせてもらう。オレはあなたと親密になるつもりはない」
そう伝えて、今度は強めに腕を振り払った。
「きゃ……っ」
その勢いで、エレナは一歩後ろに下がった。
「ミューラを寄越してくれ。でなければ、オレは晩餐には出ない」
そう言って部屋に戻ろうとすると、今度は部屋に入り込もうと身を寄せてきた。
「ひどい……! 女性に恥をかかせるなんて……! ああでも、そういうこと……ですか? 構いませんわ、あなたなら。私、一緒にあなたの部屋に入っても――」
そして、天使の微笑みを浮かべ、見上げてくる。
エドガーにはそうは見えないが。
「……(吐き気がする。しかし、困ったな)」
部屋には、この状態では入れない。
下手したら、入室しただけで責任を取って結婚しろとか言い出しかねない。
「おーい、ジーク! 食事に行くのか?」
その時、仲間の1人が案内役のメイドと一緒に廊下の向こうから歩いてきた。
エドガーの2つ年上の青年、仲間のセベロだった。
数年前エドガーに付き合ってこの領地まで一緒に旅したりなど、エドガーとの付き合いはパーティで一番長い。
セベロはオレンジ色の髪にオレンジの瞳という、目立つ色合いの容姿をしている。
「セベロ。ああ。おまえもか? 一緒にいこう」
――助かった。
エドガーは、仲間と仲間を案内しているメイドに合流し、エレナを放置して食堂に向かい始めた。
「ジーク様!!」
エレナが慌てて追ってきたが、エドガーは両手を後頭部で組んで腕を組めないようにした。
「(しつこい。……これは、夜、来るな。誰かの部屋に泊めてもらおう)」
◆
晩餐の席は豪華だった。
だがエドガーはそんなことより、並ぶ使用人の中にミューラがいないことが気になった。
「――ミューラがいないのですが」
「ミューラですか? あの子ったら、急に体調を崩しまして!」
エレナが明るい笑顔で言葉をかぶせ気味に答える。
「なんだって。部屋はどこですか」
立ち上がろうとしたエドガーを男爵が止める。
「ああ、いくら幼馴染とはいえ、あなたは男性だ。あの子も年頃ですので、部屋を訪ねるのはご遠慮いただけますか」
「……」
そう言われてしまっては、引き下がるしかなかった。
たしかに、酷い扱いを受けていようと、ミューラは男爵令嬢だ。
そのレディの部屋へ、男のエドガーが尋ねるのは良くないだろう。
――だが、この男爵家はホエル兄の手紙を見る限り、相当おかしい。
「(……心配だ。オレのせいで、なにかされたのではないか)」
そしてまた、エレナを嫁にいかがか、と推されたが、それは断った。
「――それならば、ミューラを下さい。ここを発つ時に連れていきたい」
「ミュ、ミューラをですか? いや、しかしあの子は出来の悪い子で」
「ならば、なおさらオレが引き取ります。幼馴染ですので、出来が悪かろうと良かろうと関係ない。大切なんです」
「でもあの子は、エレナのものを盗る手癖の悪い子で、侯爵夫人になるにはちょっと……」
「ミューラの悪口はこれ以上やめてください……! あなた達は本当にミューラの親なのですか!? 子どもの悪口ばかりを言ってますよ!」
「むう……。それは心外ですな。ミューラは我々の本当の子です。完璧にどこに出しても恥ずかしくない娘に育てなければいけません。他人様からは厳しく見えるかもしれませんがね」
男爵は笑顔を浮かべてそう言った。
「そうそう。それに比べてエレナなんて、私達と血がつながっていないと言うのに、このように聡明で美しく、高位貴族になるのにふさわしい子です。私達も跡目として手元に置きたいのは山々なのですよ?」
そしてまた夫人がエレナを持ち上げる。
「ジーク様ぁ……。私では駄目……なのですか?」
「エレナ様のことは、さっきもお断りしたはずですが?」
助けを求めて仲間を見るも、彼らは一切口を出さず、大変だなー、おまえといった顔でこっちを見ている。
こいつら……オレが困ってるのを見て楽しんでるな!?
「ごちそうさま! 美味しかったです!」
セベロが、食事を終えて立ち上がったのを見て、エドガーも立ち上がった。
正直、食事が喉を通らない。
◆
「エドガー、おつかれ」
八重歯を見せながらニヤニヤ笑うセベロに、エドガーはジト目になった。
「疲れてるようにみえるか?」
「おう」
「ところで、お前の部屋に泊めてくれ。理由はわかるな?」
「あ~。あのご令嬢、きっと夜這いに来るな。うらやましいこって」
「うらやましいか? 気持ち悪いだろ、あの女」
「見た目は最高じゃね? 肉付きはイマイチだけど」
「……吐き気がする。この話題はここまでにしてくれ」
「お前のそういうとこ、つまんねえなあー」
「うるさい」
そしてそのまま、セベロの部屋へ行った。
ミューラが部屋を訪ねてこないか、すこし気になったが、おそらくこの感じだと来ない。
病気だというのも見え見えの嘘だとわかる。
明日もう一度問いただそう。
「先に寝ててくれよ。オレは庭を散歩したりしてくるわ。野営の見張りで体内時計ズレてっし」
「そうか。他の奴らもカードだろうな」
セベロの部屋のソファに寝っ転がって、エドガーは孤児院でもらったミューラからの手紙を眺めた。
「(――今頃、どうしてる。心配だ。明日は絶対に問いただそう)」
この男爵家はおかしい、と思いつつもまだエドガーは、常識の範囲内で捉えてしまっていた。