――ミューラを実質、使用人にしようという夫人の提案。
それを聞いた男爵は――。
「そうか、金策を増やすのではなく節約できるところを節約すれば良かったのだな。これは一本とられたな。ははは」
そう言って笑った。
「……」
ミューラはもう、自分がこの人達にとってなんなのだろう、と落ち込んだり、傷つく事を――卒業していた。
「(――考えよう。学校だってちょっと勇気をだしたら変化があったじゃない。自分に有利になることを引き寄せる言葉を考えるのよ。……なんだって、いい)」
ミューラは、腫れあがりつつある頬の痛みを感じながらそう考えた。
――彼らの希望に沿った解答をしてそこに自分の要望をのせてみよう。
「わかりました。私、学校を辞めます」
「ほう」
「あら、聞き分けがいいわね、ミューラ」
――ほら、反応は悪くない。
「え、ちょっと待ちなさいよ――」
エレナだけが何かを言おうとしたが、そこへ言葉を被せて先んじる。
「そしてメイドの仕事をしっかりと覚えます。ですので、メイドとして奉公に出ることをお許しください」
「なんですって、それは駄目よ! あなたは私の可愛い妹なのだから」
「(メイドとなるということは、どこか高位の貴族の家で働くってことでしょ。万が一見初められでもしたら――許せない……それに、それに……)」
それに、他のことで成功して、自分よりも良い境遇に至るかもしれない。
「(ミューラを見張って、自分の下で這いずり回る姿を見なくてはいけないのよ、私は)」
しかしそんなエレナの思考を知らない、ミューラにとっては疑問でしかない。
「(何故この条件でエレナは反対するのかしら……でも)」
ミューラは正念場だと思った。
ここは、ここだけは負けてはだめだ。
――でも、それなら。
ミューラは両親に向き直り土下座した。
「お父様お母様、もし奉公に行くことができましたら、今まで育てて頂いた恩返しとして、給料の額面をお見せした上で、生活に不必要なぶんの給金を男爵家に収めます。私の給料など雀の涙でしょうが――そんな僅かなものでも受け取って頂けませんか?」
父は先程から金のことを気にしていた。
母はわからないが、金の件を持ち出せば父親は頷かせることができるのではないか。
ダメ元ではあるが、持ちかけてみた。
「いや……ミューラ。私は初めてお前に感動したよ。よろしい。メイド長が侍女の仕事に詳しい。メイドと言わず、侍女のことも勉強しなさい」
「ああ、そうね。男爵家の娘が侍女として奉公にでるというのは、よくあることだわ。それにうちのメイド長は昔、公爵家に仕えたこともある経験者だから良い先生になるわ。嫁ぐならともかく侍女ならまだ外へ出してもいいわね……」
両親は二人共、歩み寄りの態度を見せた。
母親のほうも、ミューラのこの希望は、許容範囲だったようだ。
「(――やった……!)」
ミューラの心に震えるような喜びが宿った。
「な……! そんなの駄目よ! メイドだなんてミューラがかわいそうだわ!?」
「エレナは本当に優しいね。でも将来おまえがここを継いだ時にミューラがここに住んでいるのはよくないと思うんだよ」
「そうね。将来いらっしゃるバートンさまの目に入るのもちょっと、ねえ」
「そんな、お父様! お母様!! 私はミューラと学校に行きたいのに!!」
エレナはしつこく訴えたが、今回はミューラの希望が通った。
◆
メイドになる、と決めた途端。
「なら、あなたにはもう、令嬢としての部屋は必要ないわね」
――と。
信じられないことに、ミューラは使用人棟に部屋を移された。
ミューラはそれにあたって、わずかに持っていたドレスやお金になる小物を売り払われ、代わりに平民が着るような衣類とメイドのお仕着せを与えられた。
だが。
少ない額でいいので給金をください、と依頼したところ、使用人たちよりは少ないがもらえることになった。
やっと――自分で自由になるお金が手に入るのである。
休暇もある。
許可をもらわなければ外出はできないが。
「(……多分、しばらくは様子を見たほうがいいわね)」
考えなしに外出許可を取ろうとすれば、今までの経験上、失敗する可能性が高そうだ。
外出理由をたくさん考えよう。
例えば、仕事を勉強するための本を購入したい、とか。
そのついでに便箋やペンを買う時間はあるだろう。
自由に外へいけて、自由になるお金があれば――エドガーに手紙がやっと書ける。
ここ数年の自分は考えることを放棄していたし無気力気味だった。
――今なら、用意周到に考えることができて、うまく行く気がする。
とにかく今は新生活をこなして様子見しよう。
さらに嬉しいことがあった。
与えられた部屋は、狭くて汚くはあったが、一人部屋だった。
掃除だからと、メイドが入ってくることもない。
鍵もかけられる。
そして、エレナは学校だから、半日以上顔を合わせなくて済むし、授業を受けないので宿題も代わりにやることもできない。
ミューラは実に、数年ぶりに――。
「ば、ばんさい」
小声でバンザイした。
そして誰もいないのに赤面した。
――気が緩みそうだけど、気を引き締めないと。
とりあえずはメイドの仕事をしっかり覚えよう。この先どうなろうともきっと役に立つわ。
ミューラはエドガーのバンダナに語りかけた。
「……エド、私、自由が得られるかもしれない。そしたら……会いに行くね」
エドガーのバンダナに涙が落ちた。
両親に使用人扱いにされ、学校も辞めさせられるのに。
「へんなの……でも、嬉しい」
それは、切ない嬉し涙だった。