本庄百合子という女性は『私と魔女』という小説の作者だ。
その作品は一人の女性が田舎町へ行き、そこで自らを魔女だと名乗る双葉泉と出会い、魔女の運命と戦う双葉泉と主人公の友情を描く物語。ほとんどの人は、その小説を読んだところで、よくできた創作物だとしか思わないだろうけれど、事情を知っている数少ない人間が見れば感想はがらりと変わる。
つまり、俺はあれがフィクションではなく、主人公の女性――本庄百合子が実際に三日月町で体験した実話だと感じたのだ。真偽は確かではないけれど、恐らくその考えは正しい。
あの物語の全てが、本庄百合子の経験から来たものなのであれば、彼女は双葉泉の最期をその目で実際に見ているのだ。であるならば、きっと俺の……俺達の知らない何かを知っている可能性は高い。
だから俺は母さんに一つ、頼み事をした。
「その本庄百合子さんとコンタクトを取るようにってこと?」
「そう。一か八かだったけど、さすが長年芸能界にいるだけあって顔は広いらしい」
母さんからの連絡を受けたあと、すぐに俺は双葉にそれを伝えることにした。
食事の準備をしていたようで、双葉はキッチンにいた。さすがに作業しながらする話でもないので、キリの良いところで調理を止めてもらい食堂に移動した。
コップに注いだ麦茶に口をつけた双葉が難しい顔をする。
「それで、本庄さんは会ってくれるって言ってるの?」
「ああ。母さんはそう言ってた」
もちろん、ただの一般人が会いたいと言ったところでじゃあ会いましょうとはなってくれない。調べてみたけど、本庄百合子は『私と魔女』以降も様々な作品を執筆していて結構名の知れた小説家のようだった。なので、今もそこそこ多忙なのは間違いない。
その隙間時間であっても、話をしてくれるというのだから有り難いことだ。
「よく会うことを了承してくれたわね」
「魔法の言葉を使ったからな」
俺がわざとらしくぼかした言い方をすると、双葉がむっとした顔をする。
余計な回り道なんかするなよ、と言いたいのがひしひしと伝わってくるので、しばし楽しんだところで正解発表をすることにした。
「母さんにこう言うようにお願いしたんだよ。『三日月町に住んでいる自分の息子が、魔女のことについて聞きたいことがあるらしいから会ってくれないか』って」
「……そんなダイレクトな」
「分かる人が聞かないと意味は理解しないさ。現に母さんはなんのこっちゃ分かってなかったしな」
多分、本庄百合子の作品である『私と魔女』のファンなのかな、くらいにしか思ってないだろうな。けど、俺の意図は本庄百合子にはきちんと伝わった。だから、きっと会うことを受け入れてくれたのだ。
「ということなんで、明日からちょっと出掛けることになる」
「どちらまで?」
「東京。せっかくだし、ついでに懐かしの場所でも散歩しようかなと思ってさ」
「ふうん」
三日月町に来るまでは東京に住んでいたので、久しぶりに行きたい場所もある。
母さんとの関係が良好になったのでホテル代もかからないし、新幹線ならともかく電車を使えばそこまで激しい出費にはならない。母さんにお願いすれば、交通費くらいは出してくれるかもしれないし。
夏休みも終盤に差し掛かったところで、今夏最後の一大イベントだ。
「そういうわけだから、数日空けるな。寂しがるなよ?」
「寂しがるわけないでしょ。あなたが来るまでは一人だったんだから平気よ。まして、数日の話だし?」
その言い方がもう寂しがっているように聞こえるんだけど、それはもしかしたら俺の願望が混ざっているのかもしれないな。
いや、でもこの前プールで変えられたみたいなこと言ってたしな。
「好きなだけ行ってくればいいわ」
ふん、とわざとらしく不機嫌な態度を見せる双葉。
彼女が本気で不機嫌なときはもっと冷たい目をしているし態度も刺々しいので、そこまでガチの不機嫌でないことはその態度から見て取れる。ふふ、俺も段々と分かってきたな。
双葉との話し合いを終え、俺は自室に戻り出発の準備をする。
といっても別に特別用意するものはなく、適当に服をカバンに詰め込むくらいなんだけど。あとは充電器とか忘れないようにすればいいか。まあ、それくらいは最悪買えばいいんだろうけど。いや、それを言えば服もか。
旅行という気持ちはさほどなく、どちらかというと仕事……あるいは、帰省の感覚だ。
けど、久しぶりの東京ということでワクワクはしている。
準備を進めていると、食事の準備ができたようで双葉に呼ばれる。
その頃には機嫌は普通に戻っていて、というかむしろ良くなっているようにさえ見えた。不思議には思ったけど、なにかあったのかと訊いても『なんでもないわ』としか言わないので理由の言及は諦めた。卵料理があったので、もしかしたら双子の卵でもあったのかもしれない。
それからはいつもどおり。
お風呂を済ませ、あとは就寝までそれぞれ部屋で好きなことをする。
朝に出発しようと決めたので、少し早めに寝ようとしたちょうどそのときだった。
コンコンとドアがノックされた。
「どうした?」
「ちょっといい?」
「ああ」
返事をすると双葉がドアを開けて部屋の中に入ってきた。
相変わらず殺風景な部屋を一瞥してから俺の方を向く。
すでにお風呂は済ませているようで寝間着を来ている。油断しきった格好で男の部屋に来る危険性について、やっぱり一度しっかりと説明した方がいいだろうか。お互いのために。
俺の部屋では決して感じることのないシャンプーのいい香りが俺の脳を刺激する。こんな格好で目の前に現れて、欲望を刺激するような匂いを漂わせて。これで襲われても文句は言えないぞ。
「明日、何時頃に出るの?」
どうやら明日の俺の予定の確認に来たらしい。
あんなこと言っても、結局気にしてくれているのだから優しい女の子だよ。
なんだろう、見送りでもしてくれるのかな。あんなこと言っておきながら? なにそれツンデレすぎるだろ。最高かよ。
「ああ、昼前には出ようかなって思ってる」
「具体的には?」
「そうだな。まあ、九時くらい?」
「九時ね。なるほど」
「なに、見送りでもしてくれるのか?」
ついからかいたくなってしまい、俺は僅かな可能性を信じてそんなことを言ってみる。
はてさて双葉のリアクションはどんなものだろうか、と彼女のリアクションを伺ってみる。
「見送りなんてしないわよ」
声を荒げて否定してくるか、冷たく嘲笑されるかのどちらかと思ったけど、すんとした顔でのノーリアクションだった。それはそれで悲しいなあ。
などと思っていた俺だったのだけれど、彼女のその言葉がまんまの意味だったことを翌朝、知ることになる。
「……なにしてるんだ?」
翌朝。
準備を済ませ、玄関に向かった俺を双葉が待っていた。
待っていたんだけど……。
「なにって」
彼女は麦わら帽子を被り、白のワンピースを着て玄関に立っていた。キャリーバッグを持っていて、小さめのカバンがその上に置かれている。変装用のメガネまでかけていて、気分上々なのは雰囲気からひしひしと伝わってきた。まるで旅行にでも行こうとしているような彼女を見て、俺は昨日の言葉を思い出す。
『見送りなんてしないわよ』
なるほど、確かにそれは見送りではないな。
だって、彼女は……。
「東京、行くのよ!」
一緒に来る気満々じゃねえか。