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第50話 母への依頼

 玲奈と別れ、帰宅した俺は双葉への挨拶もほどほどに自室に戻った。


「そう。お願いできないかな?」


 スマホを手にして電話をかける。相手は母さんだ。


『上手くいくかは分からないけれど、探してみるわ。期待はしないでね』


 俺は母さんに一つ、頼み事をした。返事をする声がクイズに悩むような難しそうなもので、実現は厳しそうだけれど、そもそもダメ元でのお願い事だ。上手くいけばラッキーくらいの気持ちでいるつもりではある。


「うん。よろしく」


 言って、俺は電話を切る。ふうと息を吐いて、そのままベッドに座った。

 しかし、電話を切ったタイミングで部屋のドアがノックされたので応答する。


「はい?」


「取り込み中だったかしら?」


 ガチャリとドアを開けて顔を覗かせたのは双葉だ。

 まあ、この家には俺と彼女しかいないのだから当然なんだけど。


「いや、もう大丈夫だけど。どうかしたか?」


「ご飯、準備できたから」


「ああ、うん。分かった」


 なんというか、くすぐったいやり取りだなと思う。

 同棲しているカップルとか、新婚さんとかがするような会話だろこれ。それを俺と双葉は恋人でもない状態で繰り広げているのだから、本当に改めて考えると不思議な関係性だよ。


 先に向かう双葉のあとを追うように、俺も部屋を出る。


「今日のおかずはハンバーグよ」


 階段を降りながら、こっちを振り返って双葉が言った。

 なんでもなさげな表情と声色だけど、これでもわりと俺のリアクションは伺っている。そのことに最近気付いた。


 最初は別々に食べることも多かったけど、今では可能ならば二人で一緒に食べている。驚くことに、少しくらいなら双葉は俺を待つこともあるほどだ。先に食べてて良かったのにと言うと、『一緒に食べたほうが洗い物とか楽でしょ』と視線を泳がせながら言ってきたけど、本心はなんとなくお察しである。


「ちょうど食べたかったんだよ、ハンバーグ。おありがてえ」


 俺は手を合わせて、わざとらしくむなむと双葉を拝む。

 彼女はそれを見てか、満足げに笑った。


 食堂に到着すると、彼女の言ったとおり食事の準備は整っていた。

 湯気の立つおかずの他に飲み物もすべて準備されていた。ここまでしてもらうと申し訳なさもあるんだけど、俺がするより料理のクオリティは明らかに高いし、全体的にかかる時間も全然違う。


 なので、俺はいつもサポートに徹しているのだ。決してサボっているわけではない。ちゃんと後片付けとかもするし。


 誰にしているかも分からない言い訳を心の中で呟きつつ、いつもの場所に座る。

 長いテーブルの真ん中辺りに向かい合って座るのが今の俺達にとってのいつもだ。そう言えるくらいには、彼女と俺は食卓を共にしている。母さんは昔から忙しなく動き回る人だったから、俺も基本的には飯は一人で食べていた。


 だから、こうして誰かとご飯を食べることのありがたみを改めて実感している。


「いただきます」


 母さんとも仲直りできたし、もしかしたら今後はこうしてご飯を食べるようなこともあるかもしれないな。

 俺はハンバーグに箸を入れる。すると、そこからじゅわりと肉汁が溢れ出てきた。ハンバーグなんて究極言えばレシピ通りに作れば誰でもそれなりのものは完成させられる。けど、このレベルのハンバーグはそう簡単に作れるものではないぞ。


 よくは分からないけど、これだけの肉汁を中に閉じ込めておくのはそれなりの技術が必要なはず。付け焼き刃の腕では到底たどり着けない境地だ。


 ハンバーグを一口サイズに切って、それを口に運ぶ。

 ひと噛みした瞬間、ハンバーグが口の中で爆発したような衝撃を受けた。さらなる肉汁が溢れ出て、肉々しい味がドンと口の中に広がった。デミグラスやら和風ソースによって無理やりつけられた味じゃなく、肉本体にしっかりと馴染んだ味が俺の体内を駆け巡った。


 思わず、白米をかきこんでしまう。


「……そんな慌てて食べなくても」


 ちまちまと小さな口にハンバーグを入れる双葉が呆れたような口調で言う。


 それでハッと我に返った。


「あまりの美味さに無我夢中で食っちまってた」


「そんなに褒めてもなにも出ないわよ」


「そういうつもりじゃないって」


 本当に美味い。俺はさらに一口、ハンバーグを口にしてそれを確信した。

 デミグラスソースはハンバーグに直接かけるのではなく、別容器で出しているので味変も可能となっている。俺はハンバーグをソースにつけて食べてみる。さっきとはまた違った美味さが俺の胃袋をぶん殴ってきた。なんて暴力的な美味さなんだ。


「あなた、美味しそうにご飯食べるわよね」


 変わらぬ調子で言う双葉に俺は首を傾げる。


「まあ、美味いからな」


「演技じゃないかしら。天才子役さん」


 母さんとの一件に関わったこともあって、双葉は俺が過去に芸能界にいたことを知った。別に気にしているわけじゃないけど、もういじってくるんだとは思う。


「違うわ。あと、天才でもない」


「だといいけれど。それだけ美味しそうに食べてくれると、作り甲斐があるわ」


 ふふっと、楽しげに微笑む双葉。自然な笑顔に、つい見惚れそうになる。

 美味しいご飯と楽しい食卓で忘れそうになっていたけど、大事なことを訊こうとしていたことを思い出した。どう切り出そうか考えつつ、俺は麦茶で喉を潤す。


「そういえば今日さ、五十嵐と会ってきたんだけど」


「そうだったわね。行けなくて申し訳なかったわ」


 俺の唐突な話題提供を特に気にすることもなく答える双葉に俺は続ける。


「実は――」


 そして、五十嵐から聞いたことを覚えている限りそのまま伝えた。

 双葉は俺の話には一切口を挟んだりせず、相槌だけを打ちながら黙々と聞いていた。


 けれど、真剣だった表情は徐々に神妙なものに変わっていく。


「こんな話、知ってたか?」


「……いえ、初めて聞いたわ」


 言いながら、双葉は顔を伏せた。

 その表情は悲しげで、触れようものなら割れて壊れてしまうのではないかと思えるほどに弱々しいものだった。


「私、なにも知らないのね。これでもいろいろと調べていたつもりだったんだけど」


「……その、親からはなにも聞かなかったのか?」


 こくりと言葉なく頷いた双葉が息を吐く。


「訊いたことはあるの。でも、答えてくれなかった」


「どうして?」


 訊くと、双葉はなおも悲しげな表情のまま、ふるふると首を横に振った。


「分からないわ。あなたは知らなくていいことだから、としか言われなかった」


 どういうことだろう。

 しかし、お母さんの意図は読めないけれど、やっぱり双葉には意図的に伏せていたということらしい。


 彼女は何も知らない。

 知っていることは、きっとほとんど俺に話してくれている。


 つまり、俺と双葉の情報量は変わらない。そして、この町で知れることにも限度がある。

 俺達が情報を得る手段というのは、情報を得れば得るほど絞られてしまう。独自の情報網を持つ五十嵐でも、今回以上の情報を得るのは難しいかもしれない。


 だとすると、やっぱりあの手しかない。

 母さんが上手くやってくれればいいんだけど……。


「なら、これ以上話しても仕方ないし、今は美味しいご飯を楽しむか!」


「……なにそれ」


 くすり、と笑った双葉。暗かった顔が少しだけ晴れて安堵の息を漏らす。

 ここで深刻に考えたって仕方ないのだ。なら、楽しい時間を過ごしたほうがきっといい。







 そんなことを双葉と話した二日後。

 俺のスマホに母からの着信があった。たまたま部屋でぼうっとしていた俺は着信画面を見て慌てて電話に応じる。


「もしもし?」


 どくん、どくんと心臓が脈打つ。


『ああ、紘? この前頼まれてた件なんだけど……』


「うん」


 五十嵐から魔女の話を聞いた日のことだ。

 俺が新しい情報を得る手段はなにかないかと考え、そして母さんと和解した頃から考えていた一つの手段を実行することにしたのだ。それは俺の力程度ではどうすることもできない、芸能界に繋がりのある母さんの協力がないと叶わない道。


『話ができたわよ。本庄百合子さんと』


 本庄百合子。

 それは以前、図書館で借りた『私と魔女』という小説を書いた作者だ。


 双葉の曾祖母と思われる魔女と作者自身の物語。あれは創作なんかではなく、本庄百合子本人が体験した紛れもない真実に違いない。


 彼女とコンタクトを取ることができれば、もしかしたら俺達の知らない何かを聞くことができるかもしれないと考えたのだ。


「どうだって?」


 緊張しながら、それが声に出ないよう注意しながら、俺は恐る恐る尋ねる。

 母さんは一拍置いてから、すうっと息を吸ってから答えてきた。



『あなたの言う通りに伝えたわ。そしたら、会ってもいいって』



 瞬間。

 ばくん、と心臓が激しく跳ねた。


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