「どうして一人の女性が呪いを受けることになったのか?」
俺は五十嵐の言葉をオウム返しする。
「そうだ。それはつまり、魔女という存在が生まれた話でもある」
「……魔女が生まれた話」
三日月の魔女は、月光洋館にいる人の願いを叶える存在のことを言っていた。
でもそれは都市伝説でしかなくて、真実は山神の呪いによって人から感謝の気持ちを受け続けなければならない存在のことを言う。それをいつからか、誰かが魔女と呼び始めたのだ。もちろん、ほとんどの人はその事実を知らないけれど。
「気になるか?」
「ああ、話してくれ」
こくりと頷き、俺は五十嵐に話し始めるよう促す。
フフッと楽しげに笑った五十嵐はわざとらしくコホンと咳払いをしてみせた。
「今よりもずっと前のことだ。この三日月町にある女性が住んでいた。その女性は子を孕んでいたが、旦那を病気で亡くしていたそうだ。天涯孤独だった彼女は、大変だということは百も承知で、自分の唯一の家族になるその子を生むことを決意した」
五十嵐の話すことが真実なのかどうかは分からない。
けれど、火のないところに煙は立たないというように、なにもないところから話は生まれないはずだ。だから、もしかしたらこの話は魔女伝説のルーツである可能性もある。
だとすれば、その女性というのは双葉家の人間ということになるんだよな?
「出産は無事終わり、その女性は新しい家族と出会った。その子どもを育てることが女性の生き甲斐となった。仕事は大変だった。女手一つで子どもを育てるというのは、科学が発展した今でさえ大変なのだから、当時はもっと大変だったろうな。それでも、その女性は子どもと生きることを選んだことを後悔しなかったそうだ」
五十嵐は一度言葉を切った。
どういう経緯で天涯孤独となったのかは分からない。旦那は病気で命を落としていたとしても母や父がいたはずだ。姉妹はいなかったのか。けれど、天涯孤独という言葉を使うくらいなのだから、きっとそうだったのだろう。
もし、そうなのだとしたら、生まれてきた子どもにどれだけ救われたことだろう。
その感情は計り知れない。
「女性の頑張りもあって、その子はすくすくと育っていった。しかし、数年が経った頃、子どもに異変が起こった。旦那と同様に病気を患ったのだ。以前に聞いた説明からして、病気を治療するのはその時代では難しかったそうだ。分かるか? その女性は、唯一の希望さえも運命によって奪われようとしていたのだ」
俺に尋ねてきた五十嵐。
俺はそれに何も言えなかった。
そんな俺の様子を見てから、五十嵐は話を再開した。
「当時、三日月町には一つの言い伝えがあった。それこそ、最近よく耳にする都市伝説にそっくりなものだ。三日月町にある裏山、その奥にある祠には神様がいる、というな」
それを聞いて俺の脳裏に蘇ったのは、三日月山の奥にあった祠だ。
一度だけ顔を覗かせたことがあった。ちょうど祠の世話をしに来た玲奈と遭遇したんだっけ。確か、そのとき玲奈がなにか言っていた気がするけど、なんだっけか。おばあさんがお世話をしていた、とかだっけ。それで玲奈も祠の掃除なんかをしてたんだよな。
「その言い伝えというのが、神様の祠にお願い事をすれば、相応の対価と引き換えに願いが叶うというものだったそうだ。どうだ、そっくりだろう?」
「確かにな。最近よく聞くのも似たような感じだった。てか、同じか?」
「信じがたい話だが、とにかくそれが町の人間誰しもが信じるほどの言い伝えだったそうだ。つまり、その女性ももちろん知っていたのだが、医者からどうしようもないと言われた病気を患った子どもを救おうとした女性が、その話を思い出すのにそう時間はかからなかった」
「神様にお願いしに行ったわけか」
そういうことだ、と五十嵐は楽しげに頷いた。
「病気に苦しむ我が子を抱きかかえ、女性は山に入っていった。藁にも縋る思いで、時間など気にせずにただひたすら走り続けた。日も落ちようとしていた夕刻、女性は神様が祀られているという祠の前に辿り着いた。そこで叫んだ。『この子を助けてください! もしも助けてくれるのなら、私は何でも差し出します!』とな」
そこで五十嵐は俺の顔を見る。
「上村よ。もしお前が神様で、そんなことを言われればなにを対価にする?」
「……急に言われても思いつかねえよ」
「ならば質問を変えよう。もし何でも一つ願いが叶うとしたら、お前は何を願う?」
いつだったか、それに似た質問はされたな。
初めて月光洋館を訪れた日、双葉にされたのがそんな話だったっけ。
結局、俺はその質問の答えを出すことはなかった。自分の中に欲がなかったのかもしれないけれど、それとは別で、そのとき抱えていた問題は自分で解決しなければと思っていたのが大きかった。
「やっぱり急に言われても出てこないけど、まあ、金が欲しいとかそういうのじゃないか?」
「夢がないな」
呆れたように盛大に肩を落としながら溜息をつきやがる五十嵐。
「そういうお前はどうなんだよ。そうまで言うってことは、さぞかし夢のある願いを持っているんでしょうねえ?」
厭味ったらしさをこれでもかと詰め込んで言ってみたが、当然五十嵐にはなんの効果もなかった。
「……神様にそう願った女性だったが」
「おい」
話を再開するなよ。
しかし、俺の指摘などお構いなしに五十嵐は話を続ける。卑怯な奴め。
「神様にそう願った女性だったが、創作のような分かりやすい視覚的変化はなかった。青空を覆っていた暗雲が晴れるだとか、子どもが突然光りだしたとか、そういうことはなかった。ただ、さっきまで呼吸を荒げていた子どもの表情が穏やかになったそうだ」
「願いは叶ったってことか」
俺が一応確認すると、五十嵐はニッと笑って頷いた。
ここまでを聞けば、別にどうということはない良い話だ。子を思う親の気持ちが神様に通じて願いが叶った。その親子はその後も幸せに過ごしたんだとさ、みたいな。
けど、そうではない。
この物語には続きがある。むしろ、ここからが本番なのだろう。
「お察しだろうが、もちろんこのままでは終わらない。最初に言ったように、願いを叶えるにはそれに見合った対価が必要なのだ。そしてその女性は『なんでも差し出す』と口にした。神の目の前でだ」
「その対価ってのはなんだったんだ?」
もったいぶる五十嵐に若干の苛立ちを覚えながら、俺は答えを催促した。
「子どもの変化に気づいた女性は自分の願いが通じたのだと理解した。ありがとうございます、と何度も頭を下げ、感謝の気持ちを伝えた。すると、どこかから声がした。『お前の願いは叶えた。相応の対価を払ってもらう』とな」
「そこはなんかすげえ創作っぽいな」
「女性は驚きこそしたが、神の存在を信じ、なんでも差し出すと改めて口にした。神は言った。『対価はお前の命だ。今ここで、その命を差し出すがいい。さもなくば、死よりも辛い現実が待っているぞ』とな」
五十嵐の淡々とした口調とその内容に、俺の背中にぞわりと悪寒が走った。
表情は至って真面目。冗談など言っている様子は微塵もない。そもそも、こんな場面で冗談を口にするような奴ではない。
女性の命、か。
「もちろん、そんな対価だとは思っていなかった女性は訴えかけた。『私の命だけはどうかお許しください。今ここで私が死ねば、この子は一人になってしまいます』と。しかし、神は『何でも差し出すと言ったのはお前だ』と女性の訴えを受け入れない。そのおぞましいほどの冷たい口調に、どうしようもないことを悟った女性はその場から逃げ出した。死ぬわけにはいかないという一心でな」
これから先も子どもと一緒に生きていくために神に祈ったというのに、その対価として自分の命を差し出すなんて意味がない。自分が死ねばこの先誰が子どもを育てるというのか。けれど訴えは神には通じない。逃げる以外の選択肢はなかったのだろう。
「その場から逃げ出したからか、女性がそこで死ぬことはなかった。それから数日経っても変化はなく、子どもの病気は治ったまま。全てが上手くいった、これからは平和な日々が待っている。女性はそう思った。が、一週間ほど経ったとき、女性を得体の知れない激痛が襲った。奥底から体内を駆け巡るような激痛が永遠と続いたそうだ。女性の異変に町の人も集まってきたが、どうしようもなく痛みは続いた。激痛で気を失い、激痛により意識が覚醒する。そんなことを繰り返し、やがて耐えきれなくなった女性は命を落とした」
「それが、死よりも辛い現実だっていうのか?」
俺は眉をひそめる。
しかし、五十嵐は首を横に振った。
「いや、そうじゃない。その激痛が神の天罰であることを女性はすぐに悟った。だから、様子を見に来てくれた町の人にすべてを伝えた。上村が言ったように女性も思ったことだろう、これが死よりも辛い現実なのか、と。だが、そうじゃなかった。神の天罰というのは、呪いのことを言っていたのだ」
「呪い……」
その言葉に、俺はごくりと喉を鳴らした。
神の天罰。
呪い。
魔女の誕生。
俺の中で点と点が繋がったような気がしたからだ。
「そうだ。その子ども、そしてその血を持つすべての子が短命の宿命を負うこととなった。その運命から逃れるためには、人の役に立ち続けなければならない。そうして、この三日月町に魔女という存在が生まれたのだ」