プールで食べるカップ麺というものはどうしてこうも美味しいのだろうか。
双葉は隣で焼きそばを食べている。祭りのときなんかでも発揮するけど、焼きそばって環境によって味にブーストかかるの何なのだろうか。絶対普通の焼きそばなのに、感じる美味しさが家で作るのと全然違うのだから恐ろしい。
「どうだ、初めてのプールは」
せっかくのレジャー施設で黙食というのもどうかと思い、俺はそんな話題を提供してみる。
むぐむぐと焼きそばを咀嚼していた双葉は、それをごくりと飲み込んでからこちらを向いた。
「楽しいわ。こんなの初めてよ」
彼女にしてはえらく素直な感想で、俺はそれに驚いてしまう。
ぽかんとしていると、双葉の表情はすっといつものような鋭いものに変わり、「なによ?」と不機嫌そうな声を漏らした。
「あ、いや、なんか素直だなって」
言い訳が思いつかなかったのでこちらも素直な気持ちを吐き出すと、双葉の顔は再び柔らかいものに変わる。自分でもそう言われることがわかっていたようだ。
「感謝はしてるからね」
「感謝?」
思いも寄らない言葉に俺は首を傾げた。
こっちを向いていた双葉が、その視線を前に向ける。何となくその視線を追うと、そこにはビーチボールで遊ぶ中学生くらいの男女がいた。ただビーチボールをトスし合うだけの勝負でもなんでもなさそうな時間だけれど、それでさえさぞかし楽しいのだろう。
「言ったと思うけど、私は魔女の呪いのこともあって人との関わりを極力避けてきた。今に始まったことではなくて、小学生くらいのときからそうだったの。だから、友達と呼べるような相手はいなかった」
感情の読めない淡々とした口調で、彼女はぽつぽつと話し始める。
俺はそれに小さく相槌を打つ。
「一人でいることが当たり前だった私は当然だけどどこかに遊びに行くようなこともなかったわ。せいぜい公園に行くくらいかしら。海に行っても一人じゃ楽しくない、虚しくなるだけ。そう思って、楽しそうな人がいる場に行くのを避けていた。別にそれでもいいと思っていた。私がするべきことは誰かと楽しい思い出を作ることじゃなくて、魔女の使命を全うすることだと思っていたから」
魔女の使命、と言えば聞こえはいいけれど、実際はそうではない。
誰かの役に立つこと。それは事実なんだけど、魔女がそうするのは、そうしなければ呪いに体が蝕まれるからだ。事情を知った今では、彼女の言葉の意味はそう捉えることができてしまう。
「これから先、私は死ぬまでそんな日々を送るのだとずっと思っていたし、それでいいとも思ってた。けど、私はあなたに出会ってしまった」
言いながら、彼女の視線がこちらを向く。汚れのない綺麗な瞳が俺を捉えた。
「出会ってしまったって……」
あんまりよく思ってないのかな。
まあ、一人でいることが当たり前だった彼女からすれば、俺は突然現れた異物そのものだし、そう思われても無理はない……とは思えないぞ。僅かな時間だけど、一緒に過ごした日々は決して無駄なんかじゃなかったはずだ。
俺はそう思うし。
双葉だってそう思っているはず。一緒に過ごしていて、俺はそう感じた。
「あなたが月光洋館へやってきたあの日、私の運命は大きく変わったのよ。いいえ、それだけじゃないわ。生活も考え方も価値観も、少しずつ塗り替えられていった。誰かと一緒に食べるご飯の味も、おかえりなさいと返ってくる喜びも、おやすみなさいと言う心地よさも、休日にどこかへ出かける楽しさも、私が失っていた大切なものを、あなたは取り戻させてくれた」
「なのに、出会ってしまったなのかよ?」
俺は努めて恨めしそうな声色と表情を作り、不満をぶつけるように双葉にそう言った。
そんなことなどお見通しなのか、彼女はふふっと楽しそうに笑いながら、さらに言葉を続ける。
「ええ、そうよ。だって、こんな気持を思い出してしまったら、もう一人には戻れないもの」
もしかしたら、双葉にとっては何気ない、なんでもない一言だったのかもしれない。
いや、誰かが聞いていればそれはもう告白まがいのセリフだと思うくらいの発言だろう。
それを無自覚に言えてしまう彼女は罪深い魔性の女だ。魔女ではなく、魔性そのものだ。
「……まだまだ楽しいことはあると思うぞ。俺だってまだ知らないことばっかだし」
そんなにまっすぐに言われたあとに、気の利いたセリフの一つでも言えれば、もしかしたら俺の人生はもっと上手くいっていたかもしれないな。けど、それはまだ難しいので、照れ隠しにそっぽを向いて、そっけなく返すことしかできなかった。
「かもしれないわね」
楽しそうに笑う双葉を見て、どうしていいのか分からなくなった俺は、残っていたカップ麺を勢いよく頬張ることにした。
この施設にはプールの他に温泉エリアもあるらしく、俺と双葉は二人でそちらに向かうことにした。水着のまま入れるので、男女のペアでも一緒に楽しめてしまうのだ。まあ、もしかしたらカップルの場合は水着なんて取っ払えたほうがいいのかもしれないけど、少なくとも俺達にとっては有り難い施設だ。
温泉の種類は幾つかあって、中央にある大きな湯船には結構な人がいたので別の場所にする。
ジャグジーだったり、電気風呂だったりと、普通の銭湯となんら変わりないラインナップに感心しながらたどり着いたのは小さめの湯船が並んだ場所だった。家族だったり、カップルだったり、中には友達同士で入っている人もいて各々ゆったりと楽しんでいる。
「はふう」
湯船に浸かった双葉が気の抜けた声を漏らした。
表情はまるで溶けたようにとろんとだらしないものになっている。
そういえば、口にはしないけどお風呂好きなんだよな、双葉って。実は結構長風呂で一度入るとなかなか出てこないのだ。
「お風呂、好きだよな」
せっかくなのでこれを機に言質でも取ってみようと思う。
俺が訊くと、双葉は「んー?」と普段はあまり見せない油断した声を漏らした。
「そりゃあ、お風呂嫌いな女の子なんていないと思うけど?」
「そう、なのか?」
確かにあまり聞かない。
けど、それは嫌いじゃないだけで別に好きでもないのではないだろうか。
入るしかないから入るという業務的な行動な気もする。俺だってそうだし。気持ち悪いからっていうのが大きいけど、入らなくても体が清潔で気持ち悪くないのならば別に入ることはないだろう。
「それでもお前は好きな方だろ?」
「どうかしらね。他の人のことを知らないから、自分がどれほど好きかは分からないわ」
「たしかに。でも、長風呂だよな?」
「そんなことなくない?」
「一時間は長いだろ」
「そんなもんだと思うけれど。むしろ、あなたが短いのよ。三十分もかからないじゃない」
「体と頭洗って五分くらい入ってれば温まるしな。夏だし、特に短いかもしれない」
「あなたからすれば長いかもしれないけど、一時間くらい普通なんじゃないかしらね」
「一時間もなにしてるわけ?」
「ぼーっと考え事」
「ずっと?」
「そう。ずーっと」
はう、と天井を見上げながら双葉が言う。
いつもならばこんな会話はしない。俺から振ることもないし、仮に振ったとしても双葉はここまで素直に応じないだろう。こうして同じ風呂に入っているから、心を開いてくれているのかもしれない。
よくよく考えたら、こうして二人並んで風呂に入る機会なんて今後あるかどうかすら分からないくらいの貴重な経験だよな。もうちょっと見ておいたほうがいいかしら。なにをとは言わないけど。
「なに考えてるんだ?」
「いろいろよ。どうでもいいことも考えるし、真面目なことだって考える」
「どうでもいいことって?」
「明日のご飯なににしようかなとか、この前読んだ本が面白かったなとか」
「真面目なことっていうのは?」
「学校の勉強についてとか、町の人のこととか、あとは自分のこととか」
「自分のこと、か」
「そう。自分のこと」
それはつまり、どういうことなんだ。
そうは訊かなかった。なんとなくその言葉に含まれている意味は伝わってきたし、彼女が敢えて口にしてこないのであれば、俺がそれをつつくのもどうかと思ったから。
せっかく楽しい一日を過ごしているんだから、暗い話題はごめんだ。
「けど、どうでもいいことって割には、あんまりどうでもよくないな」
「どういうことよ?」
だから俺は、努めて明るく振る舞うことにした。
「俺なんてな――」
今日という一日を、楽しい思い出として記憶の一ページに刻んでほしかったから。