母さんとの一件があった翌日。
俺は再びバスに揺られて月ノ木へと向かっていた。月ノ木というのは昨日行った場所のことだ。
バスの中は相変わらず数人いる程度。その中に知っている顔はない。まあ、あったらあったで困るんだけど。俺と双葉がこうして一緒にいることはあまり知られるべきではないことだからな。
「……」
ちらと隣を見る。
双葉はなんというか、そわそわしている。
俺の方が遅く起きたので、果たして何時起床なのかは分からないけど、俺が見たときには既にこの状態だった。遠足の日の朝みたいな感じ。ただ、はしゃいでいるわけではなく、態度的にはいつもと変わらないクールなものなんだけど、節々から楽しみにしてるのが伝わってくる。
「なに?」
見られていることに気づいたのか、双葉が居心地悪そうにこちらを睨んでくる。
「いや別に」
言って、俺は視線を車窓の外へと向ける。
今日は双葉とプールに行くことになっていた。
昨日、そういう話になって水着を買って、帰り道にさていつ行きますかという話をしたら『え、明日じゃないの?』と真顔で言われたので今日になった。
空は雲一つない快晴で、気温はこの夏の中でも一番なんじゃないかと思えるような暑さ。一分外を歩くだけで汗が止まらなくなる蒸し風呂のような状態。つまり絶好のプール日和というわけだ。
「あっそ」
冷たく言い放つ双葉。
しかし、わくわくしているオーラはやはり漏れ出ているようで。
触れると面倒くさそうなので、俺はしばしの間、そんな彼女を横目にぼうっとしながら時間を潰した。
「ついたわよ」
ゆさゆさと体を揺すられ、俺の意識は徐々に覚醒していく。
気づけばバスは目的地に到着していたらしい。大水町でさらにバスを乗り換え三十分。
ようやく目的地に到着したらしい。
「……おう」
「隣に女の子がいるのに寝てしまうなんてね」
「いや、今日六時起きじゃん」
そりゃ眠たくもなるって。
つんとした態度で言い放つ双葉にそう返すと、彼女はむっとした顔をする。
ちなみに言うと出発は七時。そして今は八時半を回った頃だ。
俺よりも早く起きた双葉は果たして何時起きなのかはさておき、さっさとバスを降りてしまおう。気づけば俺達以外の乗客は全員降りてしまっている。
三日月町から月ノ木までのバスと違い、さすがレジャー施設行きのバスということでほとんどの席が埋まっていた。三十分は乗るので座れないとキツかったから席が空いていたのは助かったな。
「おお」
そんなことを考えながらバスを降りると目の前に施設がドンと現れる。
ここら辺では一番の目玉スポットなのか力が入っている。田舎町ということを忘れてしまうような景色に俺は感心の声を漏らした。
東京ドームのような見た目をしている大きな施設にゾロゾロと人の群れが向かっている。
「俺達も行くか」
「ええ、そうね」
さっきまではウキウキしていた双葉が、どうしてかここまで来て表情を強張らせている。
え、なにその表情。
家族、友達、恋人、様々なグループが入り交じる列に俺達も紛れる。
周りからは俺達も恋人同士と思われているのだろうか。家族ではないし、男女二人で友達というのも少し違和感があるからな。実際はそうではないし、俺と彼女の関係性を一言で言い表すのは大変だ。
「俺達、周りからはどう思われてるんだろうな」
「友達ではないでしょうね」
入場までの暇つぶし程度に話を振ってみると、双葉が即答してきた。
「となると?」
「恋人同士、あとは姉弟かしら」
表情を一切崩さすに言う双葉。
もう少し照れるとかすればいいのに。可愛くないなあ、と思いながらも恋人のあとの言葉が少し引っかかる。
「それちなみに俺が兄ってことでオッケー?」
「いいわけないでしょ、私が姉よ。あなたみたいなすけべなお兄さんはごめんね」
「弟ならいいのかよ……」
「歳下だと思えば、まあ、可愛いと思えなくもないわ」
「じゃあ弟でいいや」
「……すけべ」
じとり、と恨めしそうな半眼を向けられる。
さっきの俺の立場での模範解答はなんだったんだよ。
くだらない話をしているとようやく俺達も室内へと入場を果たす。
中に入った瞬間にエアコンの涼しい空気が俺を包んだ。さっきまでの暑さが一気に吹き飛んでしまう。なんだよここ天国かよ。もうずっとここにいたい。
「受付はあっちね」
エアコンの快適さに脳を停止させられていた俺を放って双葉が先に行ってしまう。俺はそのあとを慌てて追った。
最近はプールに来ていなかったので今はこれが主流なのかは分からないけど、料金は後払い制のようで、受付ではバーコードのついたリストバンドを渡された。館内のあらゆる施設ではこのリストバンドで支払いができるそうだ。そして、帰宅時にすべての料金を支払うというもの。銭湯と一緒だな。
入場ゲートを入るとすぐに売店があって、水着や浮き輪なんかが売られている。
俺達はそこをスルーしてさらに奥へと進む。少し広めのエントランスが見えてくると、そこからは男女の更衣室へと繋がっている。
「それじゃあ着替えて合流で」
「え、と」
じゃ、と手を挙げて行こうとすると、双葉が捨て犬のようなつぶらな瞳を向けてきて思わず伸ばそうとした手を引っ込める。
「どうした?」
急に一人になるのが不安なんだろうな、と思いながらも一応訊いておく。
「あの、えっと」
しかし、そうとは言えずにおろおろとするだけの双葉。
仕方ないなと溜息をつきながら、俺は入ってからのことを想像する。
「入るとロッカーがあるから適当に選んで着替える。盗まれても面倒だから、必要最低限の者以外はロッカーに預けておくといいぞ」
「……分かったわ」
てっきり、『それくらい分かっていたけどね』くらいの返事がくると思っていたので、素直な反応を見せた双葉に驚かされた。いつもこうなら、いつも可愛いのになあ。
「じゃあ、あとで」
「ええ」
改めて別れ、俺は更衣室へと向かう。
適当に人が少なそうなエリアのロッカーを選んで荷物を入れる。水着は着てきたので上の服をさっと脱ぐだけで着替えは終わる。スマホも必要なさそうだし、手ぶらでいいか。
「ちょっと太ったかな」
昔は体型を気にしていたけど、最近はそういうところに意識を向けていなかったので改めて見るとちょっと気になる。お腹が出たとか、そういう変化はないんだけど三日月町に来た頃に比べると少しだけ太ったような気がする。
気がするだけかもしれないけど、今日は目一杯、泳いで帰ろう。
更衣室を抜け、プールのほうへと向かうと出口のところにシャワーがあった。絶対に冷たいんだろうなあ、と思いながら思い切ってくぐると案の定めちゃくちゃ冷たかった。予想より遥かに冷たかった。
「……双葉は、まだか」
男子更衣室と女子更衣室の出口は隣り合わせているので、もし彼女のほうが早かったならばここで待っているはずだ。なので、姿が見えないということは俺のほうが早かったということだろう。まあ、脱いだだけだしな。そりゃ俺のが早いよな。
そんなわけで目の前の光景に意識を向ける。
圧巻の景色が目の前に広がっていた。前を見た俺の視線を奪ったのは大きなウォータースライダーだ。青色とピンク色の二種類があるようで、微かにだけど楽しげな悲鳴が聞こえてくる。
スライダーのほか、様々な種類のピールがあり、ヤシの木のようなものが雰囲気を作っている。この規模の施設はやっぱりテンションが上がってします。俺だってプールは久々だからな、無理もないよ。
「すげえな」
腕を組みながら感心していると。
「お、お待たせ。上村君」
横から双葉の声がして、俺はそちらを振り返った。
そして、双葉閑の姿を見て思わず目を見開いてしまった。